ゾンビの夢を見ましょう
映画「カメラを止めるな!」
ぜひ観てください、きっと損はしないと思います♪
まだ観ていない人は、観てから読んでください。
※明確なネタバレというものは書いていませんが「ヒント」はあるので要注意
さてさて・・・
皆さん「パクリ」という言葉に敏感だと思いますので、あえて使わせていただきました(笑)
パクリとは決して悪い意味ではありませんし、私自身もパクることは悪いことだとは思っていません。ただし、そこに『オリジナル性があるかどうか』だと思います。
<三谷幸喜さんのパクリ?>
「カメラを止めるな m」と入力すると、その検索候補のワードに「カメラを止めるな 三谷幸喜」と表示されます。きっと皆さんも同じように感じたのだと思います。
まあ、はっきり言いますと『パクリ』ではなく『オマージュ』、いえ『インスパイア』された作品だということ。
▼インスパイアとは?
インスピレーションの動詞形で、何かに影響を受けて、感化されたり、ひらめきや刺激を与えたりすること。
まず・・・
カメラを止めるな!の序盤のワンカットシーンは、三谷幸喜さんの作品において、たびたび話題になる手法で、特に私が感動したのは「大空港2013」(WOWOWドラマ)です。空港という限られた空間ですが、役者の移動中のセリフや笑いが満載で飽きさせない脚本。
≫三谷幸喜「大空港2013」
そして、全体の構成としては、三谷幸喜さん(東京サンシャインボーイズ)の作演舞台「ショウ・マスト・ゴー・オン~幕を降ろすな~」を思い出しました。これは演劇の舞台でのお話のドタバタ劇です。
≫三谷幸喜「ショウ・マスト・ゴー・オン 幕を降ろすな」
はい、そうなんです。
もうお気づきだと思いますが「幕を降ろすな」と「カメラを止めるな!」
これが似ているというレベルではなく、三谷幸喜さんへの『オマージュ』や『インスパイア』もしくは『リスペクト』という上田慎一郎監督による意思表示だと考えるべきでしょう。
<パクリとして批判する人へ>
この「カメラを止めるな!」という作品を、三谷幸喜さんのパクリだと批判する人は、三谷幸喜さんのことも嫌いなのでしょうか?
なぜなら、三谷幸喜さん自体がパクリ(オマージュ)のプロフェッショナルだからです。
あの「12人の優しい日本人」(1990年、映画は翌年)は、アメリカ映画『十二人の怒れる男』からの影響どころか、シチュエーションはそのままです。さらに皆さんご存知の「古畑任三郎」は、日本版「刑事コロンボ」です。
<カメラを止めるな!私的な見どころ>
序盤のゾワゾワ感(モヤモヤ)を、後半に回収していく痛快さです。
そして、ラストシーンはちょっと涙が出そうになっちゃうの♪
個人的に、注目したのは主演女優さんです。
何とも絶妙な演技が最高(役に合っている)でした。
そして、ちょっとエロチックでミステリアスなのです。
エロ要素はゾンビ映画では『必須要素』なので、その意味でも適役だと思います。
上田慎一郎監督のお気に入りの女優さんみたいで、過去の作品にも出ているようです。
≫
<こんな方にオススメ!>
三谷幸喜さんの作品が好きな方は大丈夫です。
ただし、三谷幸喜さんをリスペクトしすぎている人は観ない方が良いでしょう。リスペクトしすぎていると変な別の感情が生まれてしまう可能性もあります。
そして、もともと三谷幸喜さんの作品が嫌いな人は観ない方が良いでしょう。
別に好きでもないし嫌いでもない、ただ面白ければそれで良いと思っているなら、きっと観ておいた方が良いと思います。
私のなかで邦画はDVDになってから、家で観れば十分という考えがありますが、この作品は映画館で観る価値もあると思います。映画館という臨場感と緊張感を多くの人たちで共有するという雰囲気も良かったです。
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ゾンビについて係長100人に訊いてみた
日本映画界の話題を独占している超低予算映画『カメラを止めるな!』について、思うところを書いていこうと思います。ネタバレ要素は途中まで伏せています。
2018年映画シーンにおいては『バーフバリ』二部作が大きなムーブメントを起こしてSNSを長く賑わせた。バーフバリに触れた観客の多くは「この映画をもっと多くの人に見てほしい!」という願いをいつのまにか植え付けられ、共有した。
大きな影響力を持たないような末端の映画ファンも必死にインフルエンスしようと書き込み・拡散を続けた。その要因として、バーフバリという映画の持つ特異性があった事は間違いない。
インド映画であること。日本におけるインド映画の知名度はまだまだ低く、数年に一度、小ヒットが生まれる程度である。当然俳優の知名度も低く、イメージするのが難しい。
CGを惜しげもなく使った派手なアクション映画であること。市場規模の大きいアメリカが量・質ともにトップを走るジャンルだけに、インド映画でそこに挑戦していると言われると一体どのような出来なのかが想像しづらい。
バーフバリは産地もジャンルも特異な作品だったため、SNSユーザーはあの手この手でその魅力を伝え、観賞に至る道のりを丁寧に整備しようとした。
カメラを止めるな!にも、絶対的な特異性がありました。
俳優主体のワークショップの一環として制作
製作費300万円
俳優は全員無名
監督は長編デビュー作
これらの事実が、劇場用長編映画としては特異であると言えるでしょう。こういった条件で作られた映画でも、劇場にかけてもらえず終わる例は少なくない。そしてこういった条件の映画が面白い可能性は決して高くない。
それゆえ今作を見てその面白さに感染してしまった観客は「映画がどのような条件で作られたのか」というファクト以外の部分で作品の魅力を表現しようと悪戦苦闘してきたのですが、さらに問題となるのが
どういった内容なのかを知らないまま見た方が、多くの感動を味わえる
という、今作の構造的な特徴です。ざっくりな表現でいう「ネタバレ禁止」と言われるタイプ。そういう方向性の作品・宣伝自体は今時珍しくもないですが、今作における構造的トリックは、もっと大胆であり、もっと俯瞰的であり、観客が見ていた本編映像それ自体の本質を変えてしまうような仕掛けであるため、観客は内容について具体的に語る事を極端に避けようとする。
それゆえ、抽象的な賛辞や、完全に個人的な感想・印象・感動を並べる
声がSNSに並ぶ。そしてそういった同志たちの苦慮を目にすると、そこに強い共感を覚えてもっと拡散したくなる。一種、理想的な連鎖反応なわけです。
これより映画本編の構造を読み解いていきます。
初っ端、ゾンビ映画のクライマックスがいきなり始まります。寂れた工場、うめきながら歩く男ゾンビ、その正面に悲痛な表情の美女。恋人同士だった2人が、生者と、生ける屍という対照的な関係に変わってしまっている。女は男のゾンビ化を受け入れられず正気に戻るよう哀願するが…
はいカットー!
と声がかかり、カメラの前に別のカメラを持った別の人物が登場する。後から登場したヒゲ男は怯えていた女に対して威圧的な説教を始める。パワハラだし、暴言・侮辱だ。返す刀でヒゲ男はゾンビ男にも説教を始める。
この時点で観客は、自分たちが今見ているのは「ゾンビ映画を撮っている人たちの映画」なんだ、という認識にスイッチする。「そういう映画」を見るモードになった観客は、どこまで続くのかも分からないワンカット撮影のドラマの行く末を見守る。
しかしこの「映画撮影映画」には様々なタイプの違和感が用意されている。一番初めに映るゾンビのメイクが安っぽいのを筆頭に、演技のトーン、会話のディテール、カメラワーク、キャラの挙動などなどで観客に違和感を植え付けていく。
違和感の連続とはいえ、なんとか物語を完結させる、なんとかワンカットで収める、なんとかオチをつける…そうやって製作陣が苦労している姿を見ているだけでも楽しいし、一定以上の魅力がある。
冒頭37分間におよぶワンカット撮りゾンビ映画の中で植え付けられた違和感は後に芽を出し、花を咲かせるーーなんて言うのは簡単だが、それを可能にしているのが今作の革新的な構造だ。
ゾンビ映画を撮ろうとしたら本物のゾンビに襲われ、予定が全て狂ってしまうものの、カメラを止めずに最後まで撮ろうと奮闘する映画(劇中でのタイトルは『One Cut of the Dead』)が終わり、
そんな映画を撮るために集められた人々の苦労を描く、カメラを止めるな!という名の映画が始まる。
改めてまとめると、
開始1秒でゾンビ映画
開始1分でゾンビ映画撮影映画
開始10分でゾンビ映画撮影映画の現場にゾンビが乱入してくる映画
開始37分でゾンビ映画撮影映画の現場にゾンビが乱入してくる映画を作ろうとした人々を描く映画
というように、時間経過とともに観客の視点と意識をひっくり返すような仕掛けが待っている。
とはいえ、それによって大きく戸惑うほど複雑な見せ方をしている映画ではない。楽しく、テンポよく、サラッと見せる映画でありながら実は斬新で意欲的なアイデアであるところがこの映画の底知れない凄みであります。
準備期間1ヶ月と撮影当日の苦労・トラブルを描く事で、37分ワンカットの本編で感じた違和感の正体を観客が知ることになり、なおかつ本編として出来上がったものを知っているがゆえに、撮影までの経緯と撮影風景そのものが可笑しく楽しく笑えるものになるのです。
これを「伏線の回収」という言い方で簡潔に表現してしまうのが言葉足らずに思えるほど、強い相乗効果が生まれている。この構造により「ネタを理解した上でもう一度見てみよう」とリピーター化する観客が増えているのも今作の特徴・強みだと言えます。
今作が高く評価されている理由は構造的な新しさだけに留まらず、登場するキャラクターが普遍的な魅力を持っている部分も大きい。この要素がしっかりしているからこそ、映画マニアが狂喜するだけの奇抜な作品に収まらず、全国民的な盛り上がりにつながる可能性を秘めているのでしょう。
発注された無茶な企画をなんとか形にしようとする映像ディレクターの日暮隆之。ポスターでカメラを構えているヒゲのおじさん。彼が今作の実質的な主人公ですが、このキャラクターがテレビ局・撮影スタッフ・俳優など関係者の中間に立ち、次々と突き付けられる難題に向き合いながら作品を納品しようとするまでの経緯が『カメラを止めるな!』という映画の中心的なプロットとなっています。
彼が味わう、いかにもサラリーマン的な苦悩やフリーランスとしての弱みは観客の共感や感情移入を呼び込む入り口になっていますが、この日暮の弱さ・スキの大きさなどは冒頭から登場している様子から窺い知れず、むしろ暴言とパワハラを振りかざすばかりの粗雑な男として描かれています。
だからこそ、ワンカット撮影の本編が終わって映画的に正統派のカメラワーク・カット割りにスイッチして以降の日暮隆之というキャラクターのボンクラ感・ポンコツ感が際立っています。
そういうキャラを机上の空論として脚本に書く事は簡単かもしれませんが、実際に演じている俳優が説得力を持って演じてこそ成立するもの。
主人公・日暮隆之を演じているのは濱津隆之さん。映画出演経験も少なく、長編作品で役名をもらったのは今作が初めてだそうですが、この濱津さんの演技力と、顔だちの持つ説得力が本当に見事!
劇中、物語の進行・展開を日暮の演技力で半ば強引に納得させられる瞬間があります(私にはそう見えました)。濱津さんがいかに魅力的な役者なのかを強く実感させてくれる瞬間が何度か(否、何度も)見られるのは監督の演出力と確かなプランの賜物。
日暮だけでなく、今作のキャラクターは誰もが魅力的に見えます。俳優として大きなポテンシャルを感じさせてくれる作品です。
なぜそういった感覚を呼び起こす事に成功しているかといえば、今作が俳優主体のワークショップの一環として制作されているからでしょう。
ワークショップとして長編映画の制作をオファーされた上田慎一郎監督は、元から温めていた企画にワークショップの参加者の中から選んだ俳優たちの個性を取り入れ、俳優に合わせたキャラクター像を織り込んで脚本を書き上げたそうです。劇中キャラクターをキャストに近付ける「当て書き」と呼ばれる手法です。
これによって今作の登場人物たちは、一定以上のリアリティを持った状態で画面に登場しています。俳優としても、演じやすい・心情を自然に表現できる…といったメリットがあったと思われます。
この「当て書き」は、俳優の見た目にあったキャラクター像にするといった浅いレベルの話ではなく、ワークショップとして監督と俳優が理解を深め合う期間を経た上で成立した手法です。
ワークショップの一環として、参加俳優12人が実際に短編映画を撮影するというプロセスもあったというから驚きです。短くない準備期間、その準備の必然性・必要性があったからこそ、今作の出演者がとても輝いているわけです。
斬新な構成の脚本と、魅力的なキャラクター。そこにもうひとつ、今作の「勝因」として付け加えるとすれば、
明快なカタルシスとそれによって浮かび上がるテーマ性
を挙げたい。
劇中劇『One Cut of the Dead』の完成の瞬間が『カメラを止めるな!』という映画のラストシーンになっており、作中の俳優陣とスタッフ(を演じている俳優陣)が達成感に浸っている姿を見て観客は大きな感動を得る。カタルシスだ。キャラクターと観客が自然と感情を重ね合わせる、そんな高いハードルを今作は越えているのだ。
そのカタルシスに至るまでの過程で描かれてきたシーンによって、主人公である日暮は、仕事人としての大きな達成と、仕事とは離れた個人としての達成を同時に得る(←できるだけネタバレしないように書きました)。
他のキャラクターにも、様々な形の達成が描かれており、単に「撮影が終了した」という描写が重層的な感動を帯びた名シーンに見える。「テーマやメッセージ性を二の次にして脚本である」なんて上田監督は語っておられたが、この上なくポジティブなメッセージ性に満ちた大団円として見事に成立している。
撮影終了のために撮影チームが最後に乗り越えなければいけない障害、その設定がこれまた上手い!にくい!
個人的な事を言うと、私自身も自主製作で映画を撮った経験があるた
め、クランクアップの瞬間に味わえる喜びやドッと押し寄せる疲労感と安堵感などなどを思い出してとても感動しました。
しかし今作のクライマックスが描いているのは映画業界に限定された達成ではなく、1つのプロジェクトをみんなでやり遂げたという構図だったからこそ広く共感を呼び込んでいる。監督もスタッフもキャストも、決して突出した才能は持っていないけれど、それでも必死になってたどり着いたゴール。素晴らしい。
One Cut of the Deadクルーに与えられた救いの眼差しが、カメラを止めるな!クルーへの救いに転じ、なおかつそんな映画を見ている観客の心も救う。まさしく理想的な共存関係です。
そんなクライマックスの後に、上田監督がGoProで撮影したというおまけ映像と共にエンドロールが流れ、今作の完成までの道のりの険しさを追体験させてくれます。そしてスクリーンが真っ暗になれば、作り手に対して自然と拍手を送りたくなるような大傑作。
大いなる感動に浸りつつ、7月21日に名古屋シネマスコーレで今作を初めて観賞した私は、心の半分で「こんな映画を無名キャストと超低予算で作る日本人が現れるなんて信じられない…」と、唖然呆然としている自覚がありました。
37分ワンカットの映像の中には、脚本の段階で用意していたトラブルもありつつ、実際に撮ってみてから発生したハプニングもいくつかあったそうです。つまりワンカットでなんとか撮りきった映像の中で起こったトラブルを、映画本編のネタバラシ篇でオチとして回収させなければいけない。予期せぬハプニングを伏線に転化して笑いに変えなければいけない。
こんな手法で作られた映画、私は見たことがありません。
まずどのシーンから撮ったのか? 撮るにしてもどういった意図を持って演出していたのか、脚本として書き上げていたのはどういう形のものなのか? 多層的な作品である、と断ずる事は簡単ですが、それを実現するために必要な準備の大変さを思うと気が遠くなるし、そんな企画にゴーサインを出したプロデューサーや監督、ワンカット撮影に応じたスタッフの心意気、演技プランを見事に切り替えながら演じきったキャストの苦労…
考えれば考えるほど、この映画の底が見えなくなりそうになるのです。
上映後に行われた上田監督の舞台挨拶を聞いて一番ビックリしたのは、「全てがうまく行くパターンの台本も書いてキャストに配っていた」と聞いた瞬間です。途方もなく膨大で、なおかつ綿密な準備があってこそ完成した映画である事がわかります。
それを予算も知名度も無い人たちが、熱意だけで作り上げてくれた。たかが1本の映画のために、ここまで情熱を注いでくれた、カメラを止めるな!関係者の皆さんにはいくら感謝してもしたりないです。
映画の可能性を信じてくれて、信じさせてくれてありがとうございました。
カメラを止めるな!必見です!!!!
ゾンビで作ったようなロゴを作成するPhotoshopチュートリアル
こんばんわ。
先日のコミケで自作のタイニービー作られた方を見てからというもの、
また架空銃への熱が上がってきたので、今回は思いつくままに書きなぐってみました。
大体ニトロプラス無双になりそうな気も・・・・・・
ちなみに特撮物は玩具の方が出来が良かったりするので今回は除外
ドミネーター (PSYCO-PASS)
みんな大好きドミネーター
多分、ギミックの派手さではトップクラスじゃないですかね。
電動ギミック再現したモデルがあったり
ダイソーのライオンボードで作る人が居たりとファンの熱さも半端ないです。
流石にこれの自作はいくらかかるかわかったもんじゃないですな・・・
上:レイジングブルマキシカスタム
下:ミンチメーカー
(吸血殲鬼ヴェドゴニア)
同じくニトロプラスがらみの吸血殲鬼ヴェドゴニアから
レイジングブルマキシカスタムはそのままレイジングブルベース
ミンチメーカーはSPASの魔改造。
ミンチメーカーは絶対銃身歪むだろ…
デッカードブラスター(ブレードランナー)
映画から。この系統のご先祖。
小説だと名前の通り熱線銃だったらしいですが、映画だとライフルと拳銃の両方の弾を
切り替えて撃てる銃 という設定。
ベース素体はチャーターアームズ ブルドッグ らしいです。
ブルーローズ(デビルメイクライ4)
ダンテじゃなくネロの使ってる方。
素体は世界最強の拳銃弾 .500マグナム弾を撃つための銃 S&W M500
ドアノッカー(パンプキンシザーズ)
伍長の銃。戦車に零距離まで肉薄して接射することで装甲をブチ抜くという思想のトンデモ銃(ガルパン逃げて)
モデルはワルサー ガンプピストル
元は信号弾を撃つ銃ですが即興グレネードピストルとしても使われたとか。
どうやって戦車に肉薄するかって・・・・・・? 『保身無き零距離射撃』(ゾンビアタック)
クトゥグァ(赤)
イタクァ (銀)
(斬魔大聖デモンベイン)
これもニトロプラスですね。ちなみに撃つのは巨大ロボット。
クトゥグァの素体はモーゼル。ぶっちゃけ原型とどめてません。
イタクァの素体は攻殻機動隊で有名なマテバ。
どちらも廉価品が存在しないうえに装飾が極まっていて自作は鬼難度。
エンフィールド改(サクラ大戦)
マリア・タチバナの銃。
エンフィールドはイギリスの名銃で、ジブリ御用達というか宮崎駿の推し銃ということもあり
アニメにおける 通好みの銃 としての立ち位置をキープしてるように思います。
ヴァッシュの銃 (トライガン)
正式名称不明。これもエンフィールドベースなんですが銃身がマテバ構造になってるという
自作泣かせの極悪仕様。
マテバ構造・・・銃身がシリンダーの下側にある方式。
最近水鉄砲が発売されたんで、むしろ改造素体になりそう。
ジャッジメント(D-Grayman)
これもマテバ構造。漫画だとなかなか出てこないんですが何巻収録か誰か教えてください。
エボニー&アイボリー(デビルメイクライ)
お待ちかねのダンテの銃
コルトガバメントベースにスタビつけただけでこんなに重厚になるんだという感じです。
(下の雪男の銃と比べるとよくわかります)
ガバメントは口径の大きいメジャーな銃だけあって改造素体として人気ですよね。
雪男の銃 (青の祓魔師)
こちらもガバメントベース グリップ部分と梵字が独特。
エアガンベースでも割と作れそうです。
クラリックガン(リベリオン)
映画から。
ベースはベレッタM92 これもメジャー銃ですね。
バイオのサムライエッジとか緋弾のアリアとかブラクラのソードカトラスなんかも有名です。
オート9(ロボコップ)
同じベレッタでもM93Rの方がベース。かなり見る影ありませんが。
元々マシンピストルのカテゴリなので、連射っぷりが爽快ですね。
ケルベロス(ガングレイヴ)
トライガンの内藤さん監修のゲーム(後にアニメ)
サイズは大きいですがゲームが撃ちまくり系なので威力よりは弾数の印象が強いです。
素体は不明ですが、主人公が前に使ってた銃がシグザウエルP226なので
何か関係がないかなあと・・・完全に別物ですが
タイニービー(FFX-2)
今回のきっかけとなったユウナの銃
完全ファンタジー畑ですがサイズ的には
デザートイーグルを素体にするのがよさそうですね。見た人もそれで作ってたし。
ポイントは撃鉄部分の装飾。
ジャッカル&カスール(ヘルシング)
自分でもDE.50ベースに厚紙ベースで作りましたがシンプルにカッコイイですね。
カスールは.454カスール弾、ジャッカルは13mm炸裂徹甲弾
上で出てた.50マグナムが11.8mmの口径なので、世界最大クラスですね。
記録だけなら.600ライフル弾(約15.2mm)を撃てるツェリスカがありますが、ネタの領域だろこれ。
コスモドラグーンは以前書きましたので今回はお休みです。
と、まあ色々上げてみました。
文中でも書きましたがマテバ系統の銃がヴァッシュの銃ベースで行けそうになってきたので
いつか作ってみたいですね。
では、また。
ゾンビ 関連ツイート
といった事をよく聞きますけど
頭にフルオートで撃てば流石のゾンビも死ぬので私はそうします。
ゾンビに人権?人じゃないのでセーフ