煙管 Tipsまとめ
秀吉「それは別に、すごいことじゃない。俺はただ、自分がされたら嬉しいと思うことをしただけだ」
秀吉「いってきます、優香」
秀吉「謝らなくていい。思ったことは、俺には何でも素直に言え。な?」
。
秀吉「…当たり前だろ。俺もまだ、帰すつもりはない」
秀吉「……優香、いつもありがとな」
秀吉「お前は、ここに居るだけでいいから」
光秀「そうか。仲睦まじい様子で何よりだ」
光秀「まぁ秀吉のことだ、後ろ暗いことじゃないのは確かだろう。安心していいんじゃないか」
「そうですよね…」
(こんな夜に伺うのは、失礼かもしれないけど…)
れました?」
秀吉「俺はいつでも、余裕持って、お前を甘やかせる人間でありたいんだ」
わかるわぁ。煙管なのよねぇ
山手線の新駅:山手線が2020年「品川駅と田町駅の間」に開業を予定している駅名を、一般公募しています。山手線の新駅は、1971年の西日暮里駅以来の約40年ぶりで、JRが駅名を募集するのは初めて(発表は2018年冬)だそうです。鉄道ファンでなくても、興味がある新駅名です。
詳細は :
落語好き&歴史好きなくりまろんは、落語で有名な『芝浜』の地名を駅名にして欲しい。そして、日本史に残る素晴らしい決断をした「勝海舟と西郷隆盛が江戸城無血開城を決めた会見場所」の地名『芝浜』を駅名として、後々(のちのち)まで残して欲しいのです。
※以下に、落語の『芝浜』を聞いた事がない読者に、簡単に分かる『芝浜』のあらすじを掲載(転載)して
おきますね。
【ウィキペディア】より「物語のあらすじ」
一本で行商をしている魚屋の勝は、腕はいいものの酒好きで、仕事でも飲みすぎて失敗が続き、さっぱりが上がらない、裏長屋の貧乏暮らし。その日も女房に朝早く叩き起こされ、嫌々ながらの魚市場に仕入れに向かう。しかし時間が早過ぎたため市場はまだ開いていない。誰もいない美しい夜明けの浜辺で顔を洗い、を吹かしているうち、足元の海中に沈んだ革の財布を見つける。拾って開けると、中には目をむくような大金。有頂天になって自宅に飛んで帰り、さっそく飲み仲間を集めて大酒を呑む。
翌日、で起き出した勝に女房、こんなに呑んで支払いをどうする気かとおかんむり。勝は拾った財布の金のことを訴えるが、女房は、そんなものは知らない、お前さんが金欲しさのあまりに酔ったまぎれの夢に見たんだろと言う。焦った勝は家中を引っ繰り返して財布を探すが、どこにも無い。彼は愕然として、ついに財布の件を夢と諦める。つくづく身の上を考えなおした勝は、これじゃいけねえと一念発起、断酒して死にもの狂いに働きはじめる。
懸命に働いた末、三年後には表通りにいっぱしの店を構えることが出来、生活も安定し、身代も増えた。そして、その年の大晦日の晩のことである。勝は妻に対して献身をねぎらい、頭を下げる。すると女房は、三年前の財布の件について告白をはじめ、真相を勝に話した。
あの日、勝から拾った大金を見せられた妻は困惑した。十両盗めば首が飛ぶといわれた当時、横領が露見すれば死刑だ。長屋の大家と相談した結果、大家は財布を拾得物として役所に届け、妻は勝の泥酔に乗じて「財布なぞ最初から拾ってない」と言いくるめる事にした。時が経っても落とし主が現れなかったため、役所から拾い主の勝に財布の金が下げ渡されたのであった。
事実を知り、例の財布を見せられた勝はしかし妻を責めることはなく、道を踏み外しそうになった自分を真人間へと立直らせてくれた妻の機転に強く感謝する。妻は懸命に頑張ってきた夫をねぎらい、久し振りに酒でもと勧める。はじめは拒んだ勝だったが、やがておずおずと杯を手にする。「うん、そうだな、じゃあ、呑むとするか」といったんは杯を口元に運ぶが、ふいに杯を置く。「よそう。また夢になるといけねえ」
【ウィキペディア】より「地名としての芝浜」
芝浜は現在の4丁目のの南側にあたる地域にあった海岸線である。江戸から品川へかけての海は「袖ヶ浦」の呼称があり、この芝付近の陸側を芝浜、海上をと呼んでいた。
もしですが…、山手線が出来た時に、くりまろんが国鉄の総裁か?駅名を決める責任者だったら:その時点で現在の「田町駅」を「芝浜駅」にして…、品川駅から北上して行き「品川駅」~「芝浜駅」~「浜松町駅」~「新橋駅」と命名していたでしょう。
新駅名の公募締め切りは:6月30日(土)23時59分まで。まだ、12日間も申し込み期間があります。是非、希望の名をチャレンジしてくださいね。
詳細は :
そして、最終的に決定するのは勝手に希望している『芝浜』ではなく…:
長い歴史がある「芝」の地名と、高級感が感じられ品川駅前の高級ホテル名にもなっている地名の「高輪」を足して、『芝高輪』(しばたかなわ)に決定すると想像しています。
少子化で子供がいない、女の子どもだけで墓守(はかもり)をしてくれる男の子どもがいない、地方(遠距離)に先祖の墓があり墓参りが出来ないから、「墓じまい」&「散骨」する家が増え続けています。
「墓じまい」&「散骨」後に、自宅供養用のミニ骨壺を利用する家、供養する家も増えているのはご存知(新聞・TVなどの情報)の通りです。
陶芸家:栗原万洋(くりまろんの雅号)は自宅供養用「ミニ骨壺」との呼称が嫌いです。栗原万洋が作陶する「ミニ骨壺」を、大切に自宅で供養する気持ちを込めて【供養盃(くようはい)】と名付けて、名称を広めています。
←&↑栗原 万洋 作 【供養盃】
※6/18(月)に焼き上がったばかりの最新「供養盃」ですが、残念な事に【売約済】です。
※「供養盃」(供養盃)の蓋には3種類の供養シンボルが付いています:
①キリスト教用には十字架「十」が付いた蓋②仏教用にはお寺の地図記号まんじ「卍」が付いた蓋③無宗教用には天国の門をイマージした「天」
が付いた蓋です。
税込価格は:栗原万洋が自由に作陶した中から選んで頂く10800円~お客様の希望オーダーにより
作陶した32400円まであります。
追伸 : 誠に申し訳ありませんが…、引き続き2018年分(4月~)も友人・知人・仕事関係者の注文対応だけで、一般希望者からの注文を受けられない状況(年間100個前後と作陶数の少なさから)です。
← 左記写真は: 供養盃(くようはい)を入れた桐箱の蓋
(フタ)を取り外した中の様子。地震などで供養盃が倒れた時、簡単に蓋が取れない(落ちない)様に
蓋の裏側には⊥型の引っかかりフック付きで、蓋を回転して取り外す様に作陶してある。
知っておきたい煙管活用法
重井筒
1、
井戸の近くに汗のない猫がうずくまっていた。
口には鳩を一羽くわえていた。
畜生!と小親は落ちた煙管を振りかざしたが、痛い、と言って落とす。
我は、姉さんリウマチかい、と聞く。
それくらいで青くなるなんて気が弱いと言い、たかがリウマチ、生命が取られるわけではない、と言うが我はリウマチと聞いてゾッとすると言う。
そして小六さんのようにと言うと小親はが、ハリツク、と言う。
物語の銀六は蛇責めで釜に入れられそうになると蒼くなるがその頃の小親は牛若をしていた。
銀六の役をしていた小六もならば以前よりリウマチに悩んで車の上り下りも肩を借りていた。
だんだん体が動かなくなり湯を呑むのに7人の手を借りるほど。
仕方なく親方の座を売った。
売った相手が手品師で小六を観世物のハリツケにした。
体は動かなくても槍を付かれ手足をもがき苦痛の声を絞絞ればよかった。
小親は本当に寝た貢さん、と言う。
2、
小親は泣く泣く小六の枕元にその恐ろしいことを語ると彼はただ冷ややかに笑っているが我々はただ悲しかった。
そもそも何の根拠があって小六に誰が十字架にかけられるか。
手品師は半ば死んでいる小六の身の美しい鳩尾の肉を買ったのだ。
小六は小さい頃より苦労して舞を修めた人だった。
座頭となって働き楽屋に倒れたが江戸の家元の達人と比べるとどこが劣ると言えようか。
手品師と約束が成立し一座と別れると小親に扇子を持って来いという。
人さし舞って見せると言って周囲が止めるのも制止して立てないはずの膝で立つ。
「客を!」と声をかけ幕が上がる。
舞台を見ると小六がいて客席には誰もいない。
「親ちゃん」と言って扇子を落として涙を流す。
皆も泣き迎えの車が来て乗っていく。
病の床に小親と我を引き寄せて二人の手を握り小親が顔を赤くさせた人は愉快な人は手品師が人の眼を眩惑させる。
一種の廃業となった。
まるで今の小親はあの時と同じだ。
小親はよく覚えていたねというがどうして忘れようか。
3、
時々起きる小親の病気は一声叫べば姉上の声。
我が小親に心配すると小親は小六さんもどうしているのか気にかけているけれどどこにいるのか分からない。
そしてどうして我々はこんなに苦労するのだろうと言う。
お前さんを可愛がると不幸になるのだろう。
小六さんもお前を可愛がっているのにああだし、お雪さんもとんだ婿をもらうし、と言う。
我が小親に何ともないだろうねと聞くと、私はいずれはハリツケにされるのだろう、と言う。
動けるうちはいいけれど先は知れている、と言う。
我が小親にこれからどうなるのだろう、と言うと、堪忍しておくれ、お前を引っ張っておいてこんな目にさせて、と言う。
私がみんな悪いんだね、と言うが我はそんな気で言ったんじゃないのにと言う。
4、
いいえ、お前さんはきっと腹を立てているよ、私の身勝手だったね、ごめんなさい、と言って涙ぐむ。
我はどうしてそう思いますか、宿無しも暑さも寒さもさせないで風邪もひかない。
家では知らないこと知ったとこんなにしてもらって不足はあるのか、悪く思わないでくれ、と言う。
小親も、お前とずっといたいだけだ、と言って、もうこれ以上つまらないことはお互い言わないことにしよう、と言う。
5、
小親は猫が鳩を咥えていたけれど変な気がすると言う。
小親は自分のことはいいから小雪さんのことを心配しなさいという。
小親は別々の部屋で寝て貢さんはネズミと会話しなさいという。
峰の堂
1、
あれ、という声は姉上かと思えば猫を見て驚いた声だった。
我は思い悩み夜中の道を歩く。
小親を売って養子の手から姉上を救うか姉上を差し置いて小親と楽しく生きるかどちらにすればいいか分からない。
小仮屋まで来た。
橋の上まで来たが決められない。
小親は寝ているだろうと思う。
2、
坂道を登る。
峰の近くになると、艶子之墓、という石碑があった。
貴い家に生まれたが継母に疎んじられ追い出されこの辺りに隠れ住み子供たちに手習いを教えていたが若くして亡くなったと老人たちがいつも話していた。
苔添い墓に草が生え人の来た形跡もない。
広岡の姉上は我にはどのような女なのか。
小親は棄てれば救われると叫ぶものが胸に響く。
様々なことが聞こえてくるが落ち着くと峰の方から清き謡が聞こえる。
松風だ。
また少し坂を歩く。
また山の端から謡が聞こえた。
ソト堂の前に行き覗いてみると扇子を裃(カミシモ)を着た人が4、5人いて尼君が一人薄茶の手前をしていた。
そしてそっと立ちあがった。
山の端に歩いていく。
小路が見えたが襟を正して言う。
ここにいる者、聞け、わが心は定まった。
慈しみ深い姉上、われは小親と別れる悲しさをもって救うことにする。
姉上が楓のために陥ったと聞く。
その境遇に報いるために参る。
・感想:
何て言ったらいいんでしょうか。
難しいような意外とそうではなかったような。
現代の価値基準において読めば「ありえねー!」って話だがそれで一蹴していいのか、と思いたくなる絶対不可能だと分かっているからこその憧れみたいな。。。
ストレス社会で迷走しながら日々生きているからこそこんな日本語文学に出会えた感動と恍惚に浸れる喜びも一方ではあったりと。
23歳で書いたんですか。。。
天才なんですかね。
それとも昔の人の方が頭が良かったんですかね。
男からすると年上の女性に甘えたい頃良い年齢だったんだと思います。
娯楽がないから劇団がものすごく楽しみで、なんて熱量が半端なかったんでしょうね。
それもそれで羨ましさがありますね。
姑虐めだったり孤児だったり不条理と分かっても忠義を尽くすとか時代ですなあ。
「幻」は自分で勝手に美化できる、だから「幻想」は最も美しい、だから「幻想美」をかくんだ、
ということなのかな。