アホでマヌケなコミュニケーション
主人の親戚の方々の集まりに行ってきました。毎年のことですが、私は親戚の方々に大切にして頂き、本当に幸せです。
主人や親戚の方々に感謝です。
これも全て、主人のおかげです。
過去にいろいろあったにもかかわらず、主人が親戚付き合いを大事にしてくれていて、私もその輪に入れてくれたからです。
今回の集まりで、過去のことや、親戚同士の付き合いのこと、親子関係のこと、兄弟姉妹関係のこと、夫婦関係のこと、家系的なこと、嫁としての役割のこと、アウェイの身であること、など多くの話をさせて頂きました。
簡単ではないことも、家族や親戚が助け合い、お互いを大事にされた結果、今の幸せが成り立っているということがよくわかりました。
主人の親戚の方々は、本当に心が豊かな方ばかりです。主人の人格の良さは、家族や親戚の方々との環境だと確信しました。
私の家族にはなかった、とても重要なことを発見できました。
①家族同士の密なコミュニケーション
②家族間のトラブルを兄弟姉妹、従兄弟姉妹、夫婦でフォロー
③長年のわだかまりがあっても、解決できる日を信じ続けること
④誰かが犠牲になった場合、親戚全体が犠牲になった方を守る
⑤いつも希望を持って明るく過ごすこと
今の世の中で1番大きな問題となっている、
家庭崩壊問題を見事に乗り越えておられる素晴らしい家族です。
今の世の中のお手本だと強く思いました。
家族愛というのは、本来助け合いの心情だと思います。しかし、一人一人の個人プレーが目立ち、自分中心にしか考えられなくなっていると、誰かに苦労が集中して、家族全体が暗くなってしまいます。
また、コミュニケーションができていないと、自分達の思い込みで誤解が生じて、大事なことを言わないようになることもあります。結局悪循環に陥ってしまい、家族がバラバラになってしまいます。
主人の親戚の方々の良いところは、問題はいろいろあるけれど、それを諦めることなく希望を持ち続けておられるところです。
鏡の法則で、今の現状は自分の姿だ、楽しそうにしてると来られない人も来たくなるだろうと仰っていたのが印象的でした。
そして、負けず嫌いで、家族を愛したいというアツイ思いを持っておられる
です。スポーツマンシップというべき、愛が溢れる家族なのです。
家族の幸せは、努力なしではあり得ないということが今回よくわかりました。
普通ならできないことを皆さまはやってこられているのです。
涙と荊の道を越えられたのは、家族がおられたからです。家族で苦労しても、救われるのもまた家族しかありません。
見えないところで、忍耐して、それを喜びに変えるところまでが努力だと思いました。
忍耐だけでは、不十分だと思いました。
忍耐で終わるのではなく、心から感謝できるようになれば、本物の幸せだと気づかされました。
報道されない「コミュニケーション」の悲鳴 現地直撃リポート
義実家に年始のご挨拶に行ってきた。
高速で1時間半。あまり渋滞してなくて良かった
道中退屈だろうと音の出るオモチャをトムに渡したら、行きも帰りもエンドレスで「大きな古時計」ばかり聞かされたよ。
到着するなり、義父はトムを庭に連れていく。
トムが生まれた年に植えたみかんを収穫するふたり。ちなみに2個。
義父「トム、引っ張るんじゃないよ。クルッと回すんだよ」
(みずみずしいけどちょっと酸っぱくてトムは食べなかった。残念)
義兄に腹筋マシンで鍛えられるトム。きゃあきゃあ大喜び。
なんだか以前よりもだいぶ交流できてきて嬉しい
今までコミュニケーションがホントに一方通行で、トムは基本フルシカト。
せっかく可愛がってくれてるのに、毎回申し訳なかったもんなぁ…
まあ、まだまだ呼びかけても気まぐれにしか反応しないし、抱っこしようとしてもスルリと逃げちゃったり、かなりツレナイ孫ではあるんだけどね
「おじいちゃん」「おばあちゃん」「おじちゃん」
呼びかけることは出来ないけれど。
別れ際に手を振れるようになっただけ上等。
名残惜しげに後ろを振り返って見るようになっただけ上等。
今年もゆっくりゆっくりいこう。
さて、明日は療育園スタート。
イキナリ親子通園だ。
頑張るぞー
統計から読むコミュニケーション
に、
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体罰の代わりが「みんなで感動」 涙が統治する日本社会:朝日新聞デジタル https://t.co/Ch8rAOzsnQ
マジックとおなじ掴みのコミュニケーションツールでしかないやろ
(ガチレス)
薄れゆくコミュニケーション
雑踏の隅で膝を抱え
砂の城を築いている
#言葉メモ