20世紀の残りは短編がおもしろくする
広美は思った。
あの写真の裏側の文字がおかしい。
「昭和二十八年 H神社境内にて」
私と珠代は同い年の生まれで誕生月も2月と3月と近い。
あの写真の赤ん坊は生まれてすぐに見えた。
季節が四月頃と思われるのは境内の桜の花で分かる。
なのに昭和二十八年。
美津子は学年が私たちより1つ上で二十七年生まれのはずだ。
しかしどう見ても満1歳と言う感じには見えず、生まれたての赤ん坊のお宮参りなのだ。
珠代の母の姉である多紀さんとその旦那様の緞通工場の社長山森さんが生まれたての美津子さんじゃない赤ん坊を抱いている。
あの赤ん坊は誰?
しかも今思えばあれは美津子さんの母の多紀さんじゃない。
どちらかと言うと珠ちゃんのお母さんに似ている。
しかも和服とは言え普段着だった。
対して山森さんは紋付き袴なのだ。
あれは山森さんと珠ちゃんのお母さん?・・・赤ん坊は珠ちゃん?
珠ちゃんは山森さんと顔のつくりが似ている。
広美の想像はどんどん恐ろしいものになっていく。
もし、山森さんと珠ちゃんのお母さんがそういう仲だったとしたら。
その結果出来た子供が珠ちゃんじゃないのか?
針で女性(珠ちゃんの母親?)の写真の心臓あたりを刺していたのは多紀さん?
どこからあの写真を手に入れたのかは分からないけれど、暗闇で針を突き刺す怨念に溢れた女性が映像として浮かんできた。
怖い。
珠ちゃんのお父さんはそのことを知っているのか?
穏やかでいつも笑顔のサラリーマンのあのお父さんは珠ちゃんの本当のお父さんじゃないのか?
珠ちゃんのお父さん(嘉男)に何回か道で会ったことがある。
ある日のことを思い出した。
「やあ、えっと・・・広美ちゃんだっけ?」
「あ、おじさん、こんにちは」
「お帰りなさい。うちの珠代は一緒じゃないのかね?」
「はい、珠ちゃんはクラブだから」
「そうか」
家が同じ方向だから暫く一緒に歩く。
側溝から赤い湯の臭いが立ち上る。
「この臭い嫌い」と広美が言った。
「広美ちゃんは・・・その・・・緞通は好きかい?」
広美の母も緞通の工場で工員として働いている。
「臭いは嫌いだけど絨毯は綺麗だから好きです」
「そうか・・・僕は嫌いだな」
嘉男の顔が険しくなった。
「どうしてですか?」
「いくら綺麗でも人に踏みつけられるのは嫌いだ」
「・・・」
「あいつは高級品だと言ったが、僕には分かっていたんだよ。ただの試作品だってね」
「何の話なのですか?あいつって誰ですか?」
嘉男はそれには答えず話を続ける。
「何から何まで僕を騙して、欺き通して、踏みつけてボロボロにして、でも僕はそんなにバカじゃない!」
「あの・・・」
あまりの怒気に広美は立ち止ってしまった。
「あ、ごめん、ごめん。気にしないでね」
「・・・」
あのお父さんは何故私にそんなことを言ったのだろう?
あいつって誰だろう?
それにしても。
いろんなことが頭の中をぐるぐる回る。
これは恐ろしいことを知ってしまったのだろうか。
私は絶対に人に言えない秘密を見てしまったのだ。
あの写真さえ見なければと思った。
その後事態は急展開した。
なんと石坂一家は夜逃げしたのだ。
家財一式は無くなっていたのに玄関の絨毯だけは残されていた。
警察が一家のことで近所に聞き込み捜査をしている。
村瀬広美は石坂珠代と友人と言うことで特に根掘り葉掘り聞かれたが、何故夜逃げしたのかこちらが聞きたいぐらいだった。
さらに衝撃的なニュースが飛び込んできた。
二週間後、石坂一家は北陸のとある海岸で一家心中していたのだ。
遺書には簡単に「ごめんなさい」とだけ書かれてあった。
誰が誰に向けて書いたのかは分からなかった。
山森兼児が逮捕された。
遺産相続に絡んだ公文書を偽造していたのだ。
そしてその別件逮捕から嘉男の放火殺人の件が明るみに出たのだ。
石坂秋穗の夫の嘉男は山森家放火及び山森将吾郎の放火殺人の疑いで逮捕状が出た。
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姉の多紀が出て行った前日、多紀と秋穗は言い争いをしていた。
宝石箱の中の写真を見た見ないがその原因だった。
「あんたとあんたの子と私の夫が、ほら、これ見たろう?」
凄い剣幕で多紀が秋穗を責めた。
「あ、この写真は」
この写真を撮ったのは使用人の清吉郎だった。
将吾郎に無理やり子供と一緒に連れだされてたどり着いたのは神社だった。
「これは俺たちの子だ」と嬉しそうに将吾郎が言った。
そしてこの秘密のお宮参りの光景を清吉郎にカメラに収めろと命令したのだ。
鬼畜だ。
山森将吾郎は鬼だ。
「どこでそれを手に入れたか知らないけど、義兄さんのせいで私は・・・私の人生は無茶苦茶よ!」
秋穗は涙ぐみ声が震えた。
が、さらに多紀は秋穗を責める。
「この写真は夫が大事に隠してたよ。あんたが夫を誘惑したんだろ?金までせびっておいて私の夫のせいだ?笑わすな」
「誘惑じゃない!!あれは強姦よ!犯罪よ!お金だって義兄さんが勝手に振り込んできたのよ」
秋穗が声を絞り出す。
「返さないでいて偉そうに言うな!それにあんたの旦那はどうなんだい?夫はあんたの旦那に殺されたんだ!あの男、兼児が言ってた。バカはすぐに踊るって。それはどういう意味?」
「兼児さんが何言ったか知らないけど、あれは違う、私は主人を信じてる!そんなこと言うならもういい、ここから今すぐ出て行ってよ!」
「あんたの世話になったのが間
いだったわ。もう会うこともないでしょう」
「願ったりかなったりだわ!」
「放火殺人犯の嫁!おまえのせいで私たちは根無し草になってしまったのよ」
「証拠がないのにいい加減なこと言わないで」
「裁判ではっきりさせてやるからな。訴えてやる」
「いいわ、そのときは私も全てぶちまける!姉さんも大恥をかくのよ」
「ふん!おぼえてらっしゃい!」
姉妹は深夜に罵り合いをした。
珠代は起きてしまい一部を聞いてしまったのだ。
出産のためかなり前から里帰りしていた多紀。
その留守中に姉の生まれてくる子供のために服を届けに来て、以前から秋穗に好意を持っていた将吾郎に襲われてしまったのだ。
秋穗の告白を受けて嘉男はショックを受けて悩んだ。
さらに不幸なことに子供が出来てしまった。
出来た子供には罪がない。
自分たち夫婦には子供が生まれない体質であることも決断を遅らせてしまった。
この子を自分の子として育てよう。
年々娘は将吾郎に似てきた。
腹立たしくはあったが嘉男はそれでも普通に自分の娘として珠代に接してきたつもりである。
将吾郎から養育費として月10万円振り込んできていたが生活苦の嘉男はつき返せなかった。
だがやはり男として将吾郎を許せなかった。
生活のためとは言え屈辱だった。
「憎い相手に金を貰って納得する情けない夫」
あるとき山森兼児にそうそそのかされて逆上したのだった。
彼は山森将吾郎の山森緞通を狙っている将吾郎の腹違いの弟である。
この男が清吉郎に金を渡し将吾郎の秘密を聞きだしたのだ。
兼児は頻発する放火事件に便乗して将吾郎の首を絞め放火することをそそのかした。
そのとき嘉男の心に生暖かくて嫌な臭いの赤い液体が流れ込んできた。
そして嘉男を「憎しみ」で満たしてしまった・・・。
断崖絶壁に立つ一家。
「あなたが私を許したように、私もあなたを許します。姉に誤解され恨まれて生きるのにも疲れました」
「秋穗、珠代。僕は結局騙され煽られ踏みにじられるバカな人間だ。情けない」
「いいえ、私はそうは思いません。騙される方が悪いというのは騙す方の方便です。あなたは悪くありませんし情けない人ではありません」
「すまない・・・」
「お父さん、これからどこに行くの?」
何も知らない珠代が問う。
今夜も豪華な旅館に泊まって明日も観光をするのだと信じている。
「誰にも踏みにじられない本当に美しいところさ。そこで三人でいつまでも平和に暮らそう」
人に踏みにじられて美しいままのものなどあるものか。
踏まれた方は悪くなくても汚れてくたびれてしまうのだ。
お前は緞通が好きか?
僕は嫌いだ。
その人はそう言った。
強い風が崖の下から一家を撫で上げ去っていった。
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激しくセミが鳴いている。
「お母さん、ちょっとの間だけ卓ちゃん見ててね」
「どこ行くん?」
「すぐ戻るから」
「はよ帰ってきてやってね」
広美は母に子供を預けたが生まれたてなので本当にちょっとだけあの場所を見たら帰ってくるつもりだ。
広美は10年ぶりに帰ってきた。
快速電車も止まる新しい大きな駅が出来て一気に発展したふるさと。
広美は離れた私大の付属高校の寮で暮らし、そのままその大学に進学し、卒業と同時に同級生と結婚。
すぐに子供が生まれたのだ。
子供が生まれて暫くは実家で世話になると決めたので、またこの町に帰ってきたのだ。
暑い。
汗が噴き出る。
あの辺りだ。
昔あったパン屋さんは無くなっていて小さなコンビニになっている。
その角を曲がった。
「あ・・・」
高層マンションが建っている。
かつての山森緞通のあった場所だ。
エントランスの前には庭園があり小川が流れている。
その小川で子供たちが歓声を上げて水遊びをしている。
母親たちはひさしの下で暑さから逃れ、おしゃべりしながら子供たちを見守っていた。
こんな綺麗な小川じゃないあの嫌な臭いの赤い湯が流れる溝はもうどこにもなかった。
遠くから小学生の女の子2人がこちらに走ってきた。
「たまちゃ~ん、待って~」
「ひろみちゃ~ん、こっちこっち」
そう叫びながら走ってきた。
「お帰り、私・・・珠ちゃん」
私は少しかがんで軽く両手を広げる。
二人の子供は広美の腕の中で消えた。
終
次回6月1日からは「週刊クイダメ社物語」の連載を再開します。
また読んでくださいね^^
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