ギャンブルの魅力をあますところなく販売します
タイトルを 求める条件 にしようとして
上から目線半端ないなと思って
ちょっとやわらかく?変えてみました😃笑
絶対はずせない条件なのか
理想の条件なのかは
自分でもわからないけど
とりあえず思い付くものから挙げてみます
顔が生理的に無理じゃない
自分より背が高い
デブじゃない
同い年以上
自分より高収入&正規雇用
自分と同等以上の学歴
タバコ吸わない
お酒はほどほど
ギャンブルやらない
自分より運動神経がいい
昔から結婚相手…というか
彼氏に求めることで言い続けてるのは
このくらいかな
全然理想は高くないと思う。
そしてお気づきでしょうか。
○○ではない。という否定と
自分より○○。という自分基準の
条件ばかりなこと。笑
内面は言葉にするのが難しいし
感じ方も人それぞれだから
ここでは触れていません(^-^;
今は付き合うだけだったら
学歴はそこまで気にしないけど
結婚相手となると気にしないのは無理♡
元彼は私立文系だったんですけど、
次に付き合う人は国立理系がいいな~
と思ってたらそうなりました(°ω°)
もちろん良い感じになった人でも
文系だとわかったらやめるとかではなく、
選べるとしたら…くらいの軽い希望。
だったんだけど…
センター数学は普通満点とれるでしょ。
むしろなんでとれないの?
ってたまにバカにされるのとか
たまんないですね♡←
連休中、婚活ブログを読んでいましたが
この条件の人を見つけるのも
大変なことなんだろうなぁと感じました。
私には無理だ…がんばれない…(°O°)
ギャンブルさまざまな視点から商品を比較・検討できます
ここしばらく間苦しんでいるパニック発作のような症状。
メンタルクリニックにかかりたくなくて逃げて来ましたが、いよいよそちらにお世話にならなければいけないかもしれません。
症状が出始めてから、息が吸えない症状が一番辛かったので、呼吸器内科に通っていました。
心電図や採血などあらゆるものを調べましたが原因は分からず。
先生に「実はパニック発作かなって思ってるんです。。」というと、先生も「その可能性が高いのかなと私も思ってました」と。
ただ、内科なのでその辺の診断ははっきり出来ないそうです。
今、こちらで出している薬で様子を見てみても良いけど、行けるなら一度メンタルクリニックにかかってみた方が良いかもしれないよ、と言われてしまいました。
「私、それなりにストレスはありますが、人並みのものだと思ってるし、病んでは無いんですが。。」と伝えると、「パニック発作はストレスとか病んでるとか関係なく原因不明で出ることもあるから、気軽に行ってみると良いよ」とアドバイスしてくれました。
とりあえず、今は漢方と症状が出た時に飲む用の抗不安薬を出して頂いているのですが、劇的には症状は変わっていません。
私の勝手な想像ですが、3週間近くギャンブルを経っているので、快楽を感じる脳ミソが異常をきたしているのでは?と思っています。
セロトニン不足?
早く毒を抜けきって、正常な生活に戻りたいものです
ギャンブルは堂々通販ランキング入賞、各商品の特徴やリスク、使い勝手をプロのコメントとあわせて紹介します。
かつて格闘ゲームが一世を風靡した時代があった。ストIIで花開いた格ゲー文化は神ゲークソゲーを乱立し、バーチャファイターで3Dを、KOFで乱打コンボ系を確立し、その後衰退した
という史実があって、ゲーマーという生き物の生態を知るのにちょうどいい事例なので、解説まじりに紹介してみる
・格ゲー黎明期と、開花
このあたりの事情は悪名高い『ハイスコアガール』なんかで詳しいのだけれど、キャラクターを操作しCPUを殴り倒して進むゲームというのは昔からあって、その完成系の一つが「ファイナルファイト」。どこかの誰かが殴り合いをプレイヤー同士でやったら面白いんじゃないか?ということを考え出して、そこから格ゲーは生まれてくる
初期は手探りで作られていて、初代「ストリートファイター」は体感重視でボタンの強弱を押しの強弱でつけたりしていたそうであるが、とにもかくにも89年の「ストリートファイターII」の登場で格ゲーの基礎と文化が確立される
この間で最も大きな発明はHPバーの概念だと言われる。削りあいという地味な作業に、明確な目標を視覚化させることに成功したわけだ。「ストII」では、ジャンプ、上段下段、ガード、投げ、コマンド入力必殺技が実装されているが、これは現在でも通用する格ゲーの基本だ
この時期はとにかく他人と対戦できるゲームという事実、時代が新鮮で楽しかったようである
・格ゲー人気の爆発、ゲーセンの覇権
駄菓子屋にゲーム機を設置するという発想からインベーダーゲームが爆発的人気を誇り、その果てに「ゲームだけを設置した駄菓子のない駄菓子屋」としてゲーセンができたわけだが、STG系を主体に戦ってきたゲーセンは、80年代後半には実は萎んでいたようである。これはSTGという周回ゲーが抱える最大の難点であるうまいやつがプレイすると50円1クレで何時間も粘られてしまって収支がとれないという問題に直面していた頃であるらしい
格ゲーはそんな時代、ゲーセンが抱える問題にほぼ完璧に近い答えを出した。対戦を行えば、片方は必ず負けて追加クレジットの投入を行うことになるのだ
この時代は正に「ストII」の覇権であったらしい。それほどまでに完成度が高く、かつ時代も噛み合っていた
当時は格ゲー黎明期かつビデオゲーム筐体開花期でもある。レバー+ボタンという基礎構造が確立され進化している時期で、要するにみんなまだ筐体に不慣れで、格ゲーにも不慣れで、とにかくみんな下手だった
当時はストーリーモードのクリアすら困難だったらしいから相当だったのだろう。勝てば次がある、というギャンブル性もあってみんな「ストII」をやった。みんなやってるから練習などできないし、1人だけ強くなることもなかった。常に対戦することで勝ったり負けたりを繰り返し、みんな平等に上達していったのである
・格ゲーの進化、そして衰退の兆候
何事にも飽きはくる、とはいうものの「ストII」人気が低迷するのは92.3年あたりのことらしい。「ストII」で確立された2D対戦の基礎から乱立がはじまるが、「餓狼」「サムスピ」「KOF」といった名作を作ったSNKの時代でもある
「KOF」は「コンボ」「乱打技」という概念を打ち出した。「ストII」は基本的に単発技の差し合いだが、「KOF」は技同士が繋がることで大ダメージを出すコンボを、そして連発攻撃を決める必殺技である「乱打技」を確立する
これにより、突き詰めると地味な差し合いである「ストII」から派手にぶっ飛ばし合う格ゲーへの進化を遂げる。それは飽きが見え始めた「ストII」に取って代わる新風であった
……のだが、これらの概念は後の衰退を加速させる要因にもなる
・格ゲーが内包する問題の表面化、そして3Dへ
「KOF」の項目で少し触れたが、93年ごろには格ゲーが根元に内包していた問題が噴出してしまう、それが
技術蓄積によって培われた古参の強さが、新参を締め出しはじめる現象
である
要するに、純粋な腕の勝負となる格ゲーにおいて、みんなが下手だから成り立っていた一種のレートマッチングがやり込み勢によって崩れてしまい、腕の差=結果になる構造が故にうまいやつがいると勝ち目がなくなるという現象である
これは現在でも格ゲーの抱える根本的な問題である。というより、それこそが格ゲー衰退の最大の原因であると言ってもいい
そして「KOF」の生んだ罪とは操作難度の複雑化によるハードルの上昇に他ならない
「ストリートファイター系」をやったことがある人ならわかると思うが、スト系は基本的に「単発技の差し合い」である。一撃の比重が重いが、ボタン1回でも刺されば刺さる。パンチとキックと波動拳だけでも、運良く刺さって勝てるときは勝てるわけだ
しかし「KOF」で操作難度が上昇し、差し合いに勝った上でコンボを決める、複雑なコマンド入力を成功させる、ということが必要になった。これらは新規と古参の勝ち目の差に直結し、新規を締め出す結果になったわけである
2D格ゲーが衰退を見せた頃、革命が起きる。それが
「バーチャファイター」による3D格ゲーの登場
である。当時はただ、とにかく、ひたすら、3Dであることが素晴らしかったのである。ファミコンや精々スーファミの時代に、後のPS、サターンのゲームが登場したと思うといい
とにもかくにも、衰退をみせはじめた格ゲー、ひいてはゲーセンは「バーチャファイター
「鉄拳」により窮地を脱することになる
・格ゲーの衰退、ゲーセンの衰退、家庭用機の猛追
「バーチャ」によるブームは、しかし一過性に終わる。「バーチャ」の魅力は新鮮な体験であり、新鮮味が薄れた時点で終わる
この時期家庭用ゲーム機がゲーセン筐体を猛追している。プレステやサターンにより3Dは当たり前になり、わざわざゲーセンに出向いてゲームをする理由は薄れてきたわけだ。トドメになったのは名機PS2の登場で、その時点でゲーセン筐体は家庭用機と肩を並べられることになった。これはゲーセン筐体は家庭用の先を行く最新ゲームであるという利点が消え去ったことを意味する
格ゲー衰退の陰で、当時のゲーセンは「ビーマニ」「DDR」といった音ゲーと、プリクラの台頭により救われていたようだ。しかしこの頃から筐体の価格が高騰し、ついていけないゲーセンが増えはじめたようでもある
・格ゲー乱立、完全なマニアックジャンルへ
正確には、格ゲーの後継者として「ガンダムvsシリーズ」が台頭しているので、対戦ゲーが衰退しきった、というのは語弊がある
しかし00年代の格ゲーが、名作話題作を出しつつもマニアックジャンルに成り下がったことは間違いない
この少し後がぼくが中坊の頃だが、名作といえば「ZERO3」「3rdスト」「ギルティギア」などがあげられる。鉄拳やバーチャは詳しくないが、その他にも「ヴァンパイアセイバー」「カプS2「メルブラ」「マブカプ2」「ジョジョ」などが人気があったようである
「ギルティギア」は空中コンボ、いわゆるエリアルコンボの金字塔だ。壁際でタコ殴りにするコンボから、浮かせてダメージを稼いで落とす派手な空中戦が花開いた。しかし言い換えれば地上X軸のコンボに空中Y軸の概念も追加したようなもので、コンボ難易度が高くなっただけでもある
ぼくがゲーセンに入り浸っていたクソガキの頃はゲーセンも遊べるゲームが多かった。レースゲーは「イニD」「湾岸」があったし、ガンシューティングは「タイクラ」「ハウスオブ」があった。しかし対戦ツールとしての主戦場は明らかに「ガンダムvs」に移っていて、格ゲーをやっているのはいい歳してゲーセンに入り浸っているおっさん達だけだったのをよく覚えている(悪し様に言っているようだが、別に他意はない。単にぼくの語彙チョイスが京都人らしく嫌味ったらしくできているだけだ)
ゲーセンにいるわけだから、なにを間違ったか格ゲーを触ることもあった。しかし当時既に(少なくとも京都では)初心者狩りは横行していて、悔しく思いながらやめた思い出が多々ある
ぼく自身がコマンド入力が致命的に下手だとか、家に練習できる環境がなかったとかの理由もあるのだけれど、たとえばジルのおっぱいに惹かれて「マブカプ2」にコインを入れる(余談だがぼくがキャプテン・アメリカ大好きでマーベルヒーローファンなのはこのあたりが根っこかもしれない)2ステージくらいすると乱入される。別にマグニートーやセンチネルがぶっ飛んでくるわけでもないが基本コンボから練習中のぼくは本当に文字通り手も足も出ずに一方的に負ける。上段か中段か下段かよくわからない攻撃から大ダメージをとられて壁際に押し込まれ、あとは被せてエリアル、被せてエリアル、被せてエリアルでゲームが終わる。貧乏学生としては泣きたくなる
そういうもんだから仕方ないのだが、格ゲーのダメなところは、ここで「弱いのが悪い」「勝つために努力しろ」「負けて覚えろ」といって、プレイヤーの努力不足にすべてをすり替えて環境整備を怠ったことにあると思っている。これらの主張は一面の事実だが、ではコイン投入してキャラ選択したあと、手も足も出ずに壁際でサンドバックにされて50円を失う状態で「なにをどうやって努力し、どうやってリベンジに挑むモチベーションを確保し、そこからなにを学べというのか」という点を蔑ろにしている
筐体の向こうのプレイヤーが新参を新たな仲間として迎え入れてくれることはない。格ゲーの厳しさを教えてやるといって、明らかな初心者を壁際でサンドバックにして、勝ってニヤついている、という状況で、どこの誰が追加クレジットを投入するだろう?あまりにも一方的だと練習にもならないわけだが、ハードルが上がってしまった結果、筐体の向こうのプレイヤーと腕の差が開きすぎていてどうやっても勝ち目がないことが丸わかりだから仕方ないのだ
初心者は勝ち目が薄いのではなく全く一切ないという状況にしてしまったのが、コンボ性を追求した格ゲーの到達点だ(そしてこういうことを言うと「お前が弱いのが悪いだけで、向上心もなく努力もしないくせに偉そうなことを言うな」と言われる。それは一面事実だろうが、であればそんなことを言ってる連中には格ゲー人口が増えなくて萎み続けていることを嘆く資格はないとだけ言っておこう。弱いやつでも養分にされない選択肢はある)
誰もやっていなかったから「キン肉マン マッスルグランプリ」は楽しめた。友達とへぼいながらコンボを探している作業は楽しかった。きっと「ストII」はみんなにそういう体験を与えていたのだろう。だから格ゲーが悪いものだとはまったく思わない
・格ゲーの衰退、閑古鳥。vsへの移行
ぼくがリアルタイムでみてきた格ゲーは「北斗」や「メルブラ」で、その後は「P4U」をはじめとしてキャラものが多い。「スト4」は名作だったようだが、基本的には「鉄拳5.6.TAG2」にしか人はいなかった。京都だけかもしれないが「鉄拳」は不良御用達ゲームというイメージが強い
まぁ「北斗」は……ほんとの一部のプレイヤーしかついていけない難易度のゲームだから仕方ないけれど、それでもかろうじて生き残ったのが「スト4」と「鉄拳」だけで「ギルティギア」も「
レイブルー」も覇権争いに負けている、というのがなんとなく格ゲーの問題を露呈している気がする
「スト4」も「鉄拳」も基本は差し合いにあって「鉄拳」は差し合いからほとんど一気に殺しきることも多発する。それは実力者から見れば運ゲーということになるだろうが、初心者からみれば実力差をひっくり返せる要素が強いことを意味する。逆に「ギルティギア」や「ブレイブルー」などのコンボゲーは差し合いから先に基本コンボを決めてダメージを稼ぐ作業が必須だ。その最たるものが「北斗」「バサラ」だろうが、ジャンプ中キック→波動拳でまぁ、戦えなくもないスト系に対して15コンボくらい決めないとまともにダメージの入らないゲームでは入り口の広さがまったく違うのである
ガンダムvsシリーズが成功した背景は、操作の適度な不自由度からくる「シンプルな差し合いのゲーム性」と「2on2によるモチベーションの確保」ではないかと思う。後者は要するに相方のせいにできるということであり、健全とはとても言えないが、ストイックでなくていいというのはモチベーションを保つには向いている
前者は「着地硬直か射線合わせでビームライフルを差す」という基本のゲーム性がとにかくわかりやすくシンプルで、かつ防御もステップによる誘導切りでほぼすべて片付くということ。スト系で例えるなら、お互いジャンプして波動拳の当てあいをするゲームで、わかりやすい確定タイミングがあり、ガードに上段下段の概念がなく難しくない、ようなゲーム性
技術介入度が低くシンプルで、一撃の比重が重い。だから腕の差があってもひっくり返せる可能性が常にあるわけだ。そういうところがある意味新たな「ストII」として、下手同士の対戦ツールとして人気を博したと言えるのではないだろうか?そして後継作で高い技術介入を求められるに従って下火になっていく様も格ゲーそのものである
まぁ、そのあたりの話はおいおい書くとしよう
・そして現在へ
格ゲーが辿って至った場所はマニアックでニッチは市場だ。それはゲーム性とユーザー自身で門戸を狭め、初心者を拒み続けたがゆえの必然でもある
しかし格ゲーそのものがクソだとか、格ゲーは滅んだとか、そんなことは一切思わない
「スマブラ」はやっていて楽しいし、いまだに人気がある。やっぱり友達と下手同士で対戦できて、技術介入度の高くないゲームなら勝っても負けても楽しいわけだ。しかも運要素も強い
友達同士でも腕の差が大きいと勝負にならないが、その場合は一方的な展開になり楽しくはない
「スト4」の家庭版ではレートマッチングが実装され、大変好評なようである。腕が近いもの同士、下手同士で切磋琢磨するのはやっぱり楽しいだ。むしろ、そういったレートマッチングを主体的に用意せず、完全無差別級で殴り合いをしている(もしくは店側の努力を悪意を持って妨害してきた)アーケードのプレイヤーがどうかしているとも言える
ただ、通信技術の問題で仕方なかったとはいえ、オンライン対戦とレートマッチングの実装は遅きに失した感は強い。やはり気軽に出来る対戦ツールとしてFPSに完全に居場所を奪われてしまった後なのは厳しい状況だろう。努力しなくても運が良ければボタン押せば銃が撃てて相手を倒せるわけだから、FPSのほうが格ゲーよりはるかに入り口が広いのだ
vsシリーズが衰退する横で新たな対戦ツールとして頭角を表したかけたのが「ガンストシリーズ」であるが、ずっとやっている友人曰く初代からどんどんダメになっていてもはやオワコンであるそうだ。残念な話だ
こうやって書いてみると必ずしも1on1ではないとすれば、対戦ツールというジャンルは手を替え品を替え生き残っているということがわかる。あるところでそれが格ゲーの手を離れただけの話でしかない。だから格ゲーだって、復権の可能性はあるにはあるのだ
どちらかといえば、家庭用機との差が本当になくなったことでゲーセンで対戦する意義がなくなって、ゲーセンでの復権は難しいだろうというほうが問題として深刻である気もする。いまは音ゲー隆盛期ではあるが、基本的にもうメダルゲープライズゲーでしか食えていないのがゲーセンの実情だ
格ゲーの衰勢史を眺めるとゲーマーというものが身勝手で、純粋で、わかりやすいことがよく見えてくる。ゲーマーたちは新鮮なものに感動し、飛びつき、そして飽きる。一方的なのは嫌なのに対戦ツールは欲しがる。腕の合うもの同士で対戦するのは楽しく、先鋭化するとついていかない。だがその本質のところは今も昔も変わらないのではないだろうか?感動し、シンプルで、みんな下手な対戦ゲームならきっと売れるはずだ
ギャンブル 安心と信頼のネットワーク
ライバルの眼から見た天才モーツァルト
時差ボケから立ち直れない中、もういい加減空いているだろうと『カメラを止めるな!』を観に出かけたら、またしても満席!
すごすごと帰ってきました。
私は一体いつになったらカメ止めが観られるんでしょうか・・・
って、予約できない映画館に上映開始ギリギリに行くやる気のなさがいけないんですけどね
それにしてもカメ止めフィーバー凄すぎです。
SNSで話題になった商品などに人気が一極集中する現象はモンスターヘッドと呼ばれているそうですが、これもその一例ですね。
まだまだ続きそうなカメ止めフィーバーの一方で、私が旅行準備でバタバタしてる時に始まった『泣き虫しょったんの奇跡』は、TOHOシネマズ新宿では2週間で打ち切り?
良くも悪くも、明暗がくっきり分かれる時代です。
そんなわけで、『アマデウス』(1984年)。せっかくウィーン・ザルツブルグ・プラハと、モーツァルトゆかりの地を見てきたので、観直したかった作品です。
当初ブロードウェイで上演されていた人気舞台作品を映画化してものだそうで、監督は『カッコウの巣の上で』で知られるチェコ出身のミロス・フォアマン。
幼少の頃から天才の名をほしいままにしたモーツァルトの、ウィーンでの活躍から死までを、彼のライバルだった宮廷楽師アントニオ・サリエリの眼を通して描いています。
モーツァルトにとらわれたサリエリのアンビバレンツがたまらない
サリエリがモーツァルトを殺した!というスキャンダラスな噂は、サリエリの存命中からあったらしいですね。
ただし、それはあくまでも噂。何の証拠もないし、サリエリ自身も否定していたようです。
その俗説を採用した大胆なストーリー展開には賛否両論あると思いますが、私はこの思い切り方、好きです。というのは、この俗説を採用することで2人の関係の本質を曇らせてはいないし、むしろモーツァルトの人物像をリアルにあぶり出せている気がするので。
そして何よりも、サリエリを、モーツァルトの才能を激しく憎む反面、彼の曲に心をふるわせ、自分の演奏会での彼の反応に一喜一憂し、モーツァルトの日常を逐一探るストーカーですらあるという、或る意味ではモーツァルトの熱烈なファンとして描いているあたりが最高!
愛憎表裏一体の自らの感情に翻弄されるサリエリは、さながら恋する乙女。
モーツァルトにとらわれ、独りよがりに彼に翻弄され続ける中年男・サリエリの姿は滑稽でそこはかとなく笑える・・・と同時に、彼のモーツァルトを盗み見るねっとりした視線に、才能への憧れと嫉妬という私の中にもある負の感情の醜さをぐいぐい抉られるようで、その痛さがまたたまらないんです。(←マゾ?)
サリエリの弟子であるベートーベンやシューベルトがモーツァルトを絶賛していることからも、サリエリが恐らくモーツァルトを高く評価していたことは推察できます。
ただ、当時はサリエリもモーツァルトと肩を並べる(というよりもモーツァルトより一段上の)宮廷楽師だったわけで、どちらが後世まで名を残すかは同時代の人には分からなかったんじゃないでしょうか?
本作の中のサリエリの視点は限りなく、モーツァルトの音楽に心酔し、彼の才能に嫉妬する後世の人間の目線と重なり合います。
この、嫉妬まじりの憧れ目線というフィルターを通してモーツァルトを描いたことが、この作品の成功の決定打になっている気がします。
モーツァルトはこんなお調子者だった?
もうひとつユニークなのが、モーツァルトの人物像の解釈。
モーツァルトを傲慢な天才に描くのはありがちながら、本作のモーツァルトは底ぬけに陽気で下品でお調子者の小男でもあるのが画期的です。
しかもこれが、あながち間違ってはいないんじゃないかと思わせるものがあるから凄いんです。
今回ウィーンで、モーツァルトが『フィガロの結婚』を作曲した頃に住んでいたという通称フィガロハウスにも行ったんですが、ここの展示品(日本語音声ガイドあり)の中に、モーツァルトが或る貴婦人におねだりしたという真っ赤なフロックコート(本物なのか類似品なのかは分かりません)と、彼がこの女性に書き送ったおねだりの手紙がありました。
18世紀の音楽家は貴族や富裕層のスポンサーがいないと成り立たなかった職業。おねだりくらい普通だったかもしれません。でも、この手紙のモーツァルトのねだりかたというのがなんとも露骨な上に、刺繍入りの赤のフロックコートがまたド派手で!
有名な肖像画のモーツァルトも赤を着ていますから、赤が好きな人だったんでしょうか。
このほかにも、多額の収入があったにもかかわらずモーツァルトがしばしば差し迫った借金依頼の手紙を出していることについて、ギャンブル癖が原因ではないかという説が紹介されていました。
こういったモーツァルトの一面は、トム・ハルス演じる下品な笑い声に乱痴気騒ぎが大好きなモーツァルト像と少しも矛盾しません。
『フィガロの結婚』の原作は貴族を諷刺する内容で、当時のオーストリア宮廷では危険視されていた題材だったことも、モーツァルトの大胆で新しいもの好きな性格を物語っていますよね。
キュートな悪妻・コンスタンツェ
そして悪妻で名高いモーツァルトの妻・コンスタンツェの描写もさりげなく濃い!
この作品、サリエリとモーツァルト夫妻の人物描写が最高ですね。
コンスタンツェ絡みで特に印象深かったのが、サリエリにモーツァルトの宮廷楽師への取り立ての便宜を図ってもらおうと、コンスタンツェがサリエリの屋敷を訪ねるシーン。
テーブルに盛られた「ヴィーナスの乳
首」という名前のお菓子に何度も手を伸ばすコンスタンツェ・・・ラム酒漬けの栗に白くアイシングしてこんもりした女性の乳房みたいな形にしつらえ、その上に干しブドウをトッピングしたお菓子の形がなんとも卑猥、かつ、とってもおいしそうです。
まるでコンスタンツェ自身のようなこの菓子を嬉しそうにつまんで口にはこぶ彼女の俗っぽさがまたチャーミングでもあって、欲望に正直な彼女の性格・だらしなさ・小悪魔性が、甘ったるそうな菓子の印象とともに強く脳裏に焼き付きます。
もっとも、彼女が悪妻だったというのは、モーツァルトの死後彼女が遺稿を売り払って多額の財産を手にしたことや、モーツァルトの葬式をろくにせずに共同墓地に葬ったことから尾ひれがついた話のようです。
ウィーンやザルツブルグのモーツァルト関連施設ではコンスタンツェにまつわる具体的エピソードは殆どなかったですし、空港には夫妻ラブラブ・モードのみやげものが売られていたり。
現地ではあまり悪妻説は真に受けられてないのかもしれません。
(ザルツブルグの空港にあった、モーツァルト柄とコンスタンツェ柄のチョコが仲良くセットになったお土産物)
コンスタンツェを演じたエリザベス・ベリッジは、この役以外にはあまり目立った実績がないんですが、本作のコンスタンツェ役は彼女以外には考えられないくらいハマリ役!
一生に一度でもこんな役に巡り会えたら、幸せでしょうね。
音楽も美術もたっぷり楽しめる、最高の歴史エンタメ!
モーツァルトの代表的なオペラ『フィガロの結婚』や『ドンジョバンニ』・『魔笛』のハイライト・シーンが観られるのも本作の魅力です。
モーツァルトことトム・ハルスの陶酔感満々の指揮はコミカルで笑えますが、実は猛特訓で体得した本格的な指揮なのだとか。
宮廷やモーツァルトの住まい(彼は金持ちだったはずですが、それほど大きな家に住んでいたわけではありません)も、ついこの間ウィーンで見てきたシェーンブルン宮殿やフィガロハウスそのもの。
まるで現地で撮影されたかのような素晴らしい再現性。衣裳も豪華で、チープな部分がひとつも見当たりません。
特に、モーツァルトがビリヤード台の上や陶器製のストーブのそばで仕事をするシーンは、実際に彼の自宅にあったものだけにリアルです。
主にプラハで撮影されたという街並みや小路の映像も、すばらしい絵になっています。
これほどオールラウンドに高水準の本格的歴史大作は最近では少ない気がします。
歴史物は興収が望めないからでしょうか? こういう作品の再来を待ち望んでいるんですけどね。
いいえ、ギャンブルです
僕は保険医だ。
だから
読まれてる患者さんは
保険がん担当医を信じるべきだ。
保険医の仕事を理解する事だ。
がん標準治療は当然だ
だって大学でも
臨床でもそう
習ったからだ。
田舎にハナ金なんてない。
聞こえるのは
虫の音色。🎶
標準治療を完遂せよ。
基本だ。
でも癌がんになって
どうですか?
生きるか?
死ぬか?