会話命!
またまた公式サイトが更新されましたね。
「臨スポ改修工事完成記念イベント」出演予定
日時:10月14日(日) 14:00開演
場所:大阪府立臨海スポーツセンター アイスリンク
詳しくは下記URLをご参照ください。
そろそろだとは思ってたのですよ。そして大ちゃんは間違いなく出場するだろうとも。だって臨海スポーツセンター存続活動の功労者ですもの。知事から提示された3億円という巨額な工事費の半額を寄付金で賄えるなら存続を検討するという条件。
当時、私も時系列でその状況を見てきたひとりなので、それを聞いた時には正直無理だなと判断してしまったくらいです。
つまり期限付きで一億五千万を用意せよ!というおそらく知事自身も実現は不可能と考えていたかもしれない厳しい現状を突き付けられても大ちゃんたちはあきらめたりはしませんでした。
あの時の流れをご存知の方もそうでない方もぜひとも一度振り返っていただきたく、過去記事から抜き書きさせていただきますね。
2013年 2月14日
「大阪府立臨海スポーツセンター耐震化等改修のための寄附金受領式」が、
大阪府から松井一郎知事、教育委員会中西教育長、
寄附側からは練習生OBのフィギュアスケート高橋大輔選手、
臨海スポーツセンター大西ヘッドコーチ、支援の会高林会長らが参加し、
午前10時30分より大阪府庁にて挙行されました。
高橋選手、高林会長より、知事に1億5千万円の寄附金の目録が手渡されました。
良かったーーこの動画まだ残ってますね。
無事に存続が決まった時の松原孝臣さんの記事がこちらです。なぜ一億五千万も集めることが可能だったのか、経緯が詳しく書かれていますので
閉鎖寸前のスケートリンク存続に一役買った高橋大輔の「求心力」とは
前略
2度にわたって起きた危機
振り返ってみると、存続の危機は2度に分けられる。1つは2008年4月のことだ。橋下徹大阪府知事(当時)の意向のもと、閉鎖案が打ち出されたのだ。その後、署名活動などの反響の大きさから、一度は存続が決まった。
だが、それでおさまりはしなかった。2011年に再び、危機が訪れる。建設されて長い年数がたつ同センターは、2015年度末までの耐震化が必要であった。その工事費は約3億円と見られていたが、大阪府は負担しないとしたのだ。といって、その費用を同センターで捻出するめどはたたない。まさに、閉鎖は現実のものとして差し迫ることになった。
これらの危機にあって、同センター存続に向けた活動の中心となったのが、2004年から2006年にかけ、2年ほど同センター内にあるリンクを練習拠点としていた高橋大輔だった。2008年5月には、同センターでのアイスショーに出演して存続へ向けてアピールするなど努めた。それもまた、13万を超える署名を集めるのに大きく寄与したのは間違いない。
2度目の危機でもまた、高橋は精力的に動いた。2012年5月に松井一郎知事を訪問した際、支援を要請する。すると知事は、「半分を集められるなら」と答えた。つまり1億5,000万円を集められれば、府が残りを負担するというのが府側の”答え”だった。
ただ、1億5000万円という額は小さくない。募金で簡単に集まる額ではないのは容易に想像がつく。高橋も言った。
「正直、厳しいと思います」。一方で、こうも語った。
「あきらめたら、次はないと思います」。
言葉のとおり、高橋は活動を続けた。募金の呼びかけではファンの前で頭を下げ、機会あるごとに呼びかけた。その結果、2013年2月に寄付金1億5000万円が大阪府に贈られ、存続は決まった。
繰り返すが、多くの人々の活動や支援があり、それが実を結んでの現在である。アイスショーに出演するなどして協力した鈴木明子や村上佳菜子、町田樹、さらには募金活動のために駅前に立った田中刑事ら選手たちの存在もあった。と同時に、流れを変えたのは高橋がいればこそではなかったか。
「小さな縁」としなかった高橋の姿勢
トップスケーターであることを自覚し、現役生活にあり、はたからは負担も小さくないように思える中で存続活動に尽力し、その活動の前面に立った。また、厳しい条件ながらも、松井知事から言葉を引き出したのも高橋だ。3億円という巨大な数字とはいえ、わずかながら希望の光が見えた瞬間だったかもしれない。
さらに、高橋のスタンスを示すものとして印象的なのは、最初の危機にあった2008年5月のアイスショーのことだ。当時は、コーチとして信頼を置いていたニコライ・モロゾフとの関係を解消することを発表してまだ間もなかった。ショックが小さいわけもなかっただろうが、そのすぐあとの時期にショーに出演し、笑顔で同センター存続へのアピールに努めたのだ。
高橋が直接、同センターに関わったのは2年。その2年という期間を小さな縁と考えることもできるし、大きな縁ととらえることもできる。そして小さな縁とはしなかったのが、高橋だった。
以前、取材の中でふと、「子どもたちには元気いっぱい、滑ってほしいんですよね」と語っていたのを思い出す。あるいは、シーズン開幕へ向けた練習のつかの間の休憩の時間に、集まってくる子どもたちとにこやかに会話をしている姿も目にしている。
自分が歩んできた道の後に続こうとするスケーターたちへの、あたたかなまなざしがそこにあった。それもまた、同スポーツセンターの存続活動の原動力となっていただろう。そして、「フィギュアスケーター・高橋大輔」の一面を、とてもよく表している。
ここでは省略されてますが、ファンや地元の方がたが集められたのはせいぜい2千万超くらいだったのです。期限が迫ってきても目標額には遥か遠く、たぶんそのことを一番気に病んでいたのはリンスポを利用していた生徒や一般滑走者、そしてそこを拠点に頑張ってきた町田君や友野君らスケーターたちでしょう。
でも奇跡が起こりました。残金のほとんどを賄えるような高額な寄付をしたいという匿名の方が現われて、最終的には大ちゃんと2時間に及ぶ面談の末に寄付を決めたのです。残りが現実的な金額となってから寄付も俄然勢いが付き、目標額を達成。
知事は約束を守り、臨海スポーツセンターは無事工
に入ることができました。
大ちゃんが臨海スポーツセンターとかかわったのは上記にもあるようにたった2年間、しかもずっと通い詰めたわけではありません。その頃は関大アリーナもありましたし、国内外で練習していたので、大ちゃん本人は練習拠点に困ることはなかったのです。
が、あとを続く選手のため、そして子供たちのため、スケートを愛する人たちのために懸命に呼びかけたのが功を奏したわけですね。
私が書いた記事はこちらです。
そして当時アメンバー限定にしてた記事はこちら。まだリンクが生き残ってますのでどうか当時の先生方のご苦労も合わせてご覧いただければ幸いです。
リンクはすでに滑走可能となりD友さんも時々様子を見ているそうです。送ってくださったお写真を見る限り外観は4年前とそんなに変わってなさそうですが、中はきれいになってるみたいですね。
もちろん私も応募しますよ。行けたら幸いです。でもそれよりもこうしてお祝いが開かれること自体が私にとって一番うれしいことなんです。
4年前の臨スポ感謝祭での主催者の挨拶の中で、大ちゃんから目標額達成の知らせを受け取った時はみんなで大感激して喜び合ったとおしゃってました。感謝の言葉が心にしみました。
4年前の臨スポ存続目標達成御礼フェスティバルの際に買ったTシャツ、なんと今夜たまたま着ていたのです。最初うひょーーっと喜んで、そしてしばらくたって自分が着てることに気が付き、
いやあやっぱご縁ってあるんだなあなんて一人悦にいっておりました。とても丈夫でいい生地なんですよこれ。
ま、Tシャツご愛用者特別ご招待ってわけにはいかないですよねーー(;^ω^A
でも運よく当たった人がいたらせめてTシャツだけでも買ってきてってお願いしようかな?
次から次へのイベント尽くしで、それもほとんど大阪ですからね。めったに当たらないと思うから全部申し込んでるけど、当たったら交通費だけで破さんしそう。ある意味この狭き門は安心ですw
私にとっては欲望抑止効果抜群ですわ。
まあ私はこんなに呑気だけど世の中、そうは言ってられない!絶対に見るッ!!!って頑張ってる方は大勢いますよね。
今回もチケットの転売については話題になってるみたいです。ま、今に始まったことじゃあございません。ずっとですよ、ずーーっとこの繰り返しです。違法行為といってもまだチケット転売できるサイトが生き残ってるんだから、こうなることは確実です。
入り口で厳しく取り締まってほしいとは願いますが、地方ブロックにそれを求めてしまうのは難しいし、人間の欲望が存在するところすべからく悪徳もまた存在するとしか言いようがありません。
で、自分はどうか?というところで皆さん自身を振り返ってみるしかないですよね。私は売らない、私は買わないときっぱりと言えるかどうかですね。
私自身は家族名義ですら申し込んだことはありません。自分ひとりでやってダメならすっぱりとあきらめます。
楽公演はとくに人気が高いのでなるべく多くの方にチケットが行き渡るように大概の場合は一枚しか申し込みません。
もちろん今年のフレンズもおひとり様でしたよ。あの大ちゃんと昌磨君とのハグは誰かとキャーキャー共有したかったのはやまやまだったのですけどね。寂しくったってこれが主義なんです。
何らかの都合で行けなくなってしまった方のチケットの仲介を手伝うことはします。これまでかなりお手伝いはしました。当たり前ですが無償です。
もちろんご厚意で声をかけていただき、譲っていただいたことはありますけどね、自分のほうからチケットが欲しいとか、探してくれと頼んだことは一度もないのです。
ましてTwitterでも募集したことはありません。貧乏なので正規のチケット代以上びた一文も出せませんよ。
チケットゲットには通常できる最大の努力を地道にするしかありません。ダメだと思っても結構戻りもあるので皆さんしっかりとチェックされてますよね。
転売行為は確かに腹が立つけどそれがなくたって当たらないときは当たらないんだしね。ダフ屋行為の防止にあたっては粛々とプレイガイドに対策要望を出すのみです。
別に正論ぶってるわけではなく、私はなるべくほかの煩わしいことから解放された状態で、心おきなく演技に集中したいので、自分の枠に応じたことしかできないし、しないってだけです。
こんなんで今年は大阪方面に一度くらいご縁があるんでしょうかねー?
あ、今日善光寺にはお参りしてまいりましたよ。大ちゃんがとにかくご無事でリンクに立てますように、このまま順調に全日本まで進めますようにってね。今、本気で願ってるのはそれだけです。
しばらくは神社仏閣に頼る日々になりそうです。
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超手抜きで会話を使いこなすためのヒント
会話しか残らなかった
会話不滅のフェイス。
実家に遊びに行った時の会話。
母が「1週間ほど前から目がかゆかったのよ。」
と、事後報告をし始めた。
「ふむふむ、それで?」
「で、近くの〇○眼科に行ってね、膿をだしてもらったの。
ここ。ちょっとほら、赤く、腫れてて。」
「ああ、本当ね。でも、ものもらいなら治せたよ。
(ホメオパシーのレメディで)
何なら、だいたいなんでも、内科、眼科、他、マトメてOKだが。
でも、ま、いっか。」
「あら、そうなの。歯医者は?」
「穴空く前ならいけるけど、穴空いたらどうかな。」
「そうよね。あ、それでね。前は別の△△眼科に
行ったでしよ。その時、白内障って言われたじゃない。」
「うんうん。」
「そうしたら、今度の〇○眼科は、白内障も無くて
綺麗ですねって言うのよ。どうなってんのかしら。」
「あら、お母さん。私、白内障にいいレメディ、
年末に出したよ。言ったじゃん。忘れた?
ユーフレイジア、白内障にも不整脈にもいいって。」
「あら~。そうなの~。でもね、本読むとき、
ちらちらするのよ~。この間あなたから貰った本。」
お母さん。いいじゃん。
ものもらいよりも、白内障治ってんよ。
ちらちらはもういっか。(笑)
ホメオパシーのレメディは、
時々、知らぬ間に、何かを治してしまっていて
本人も気づかないことがよくあります。
スルーされてしまう。(笑)
ものもらいのお蔭で、
白内障が治った結果が聞けたので、
有難うございました、と
空にお礼を言う秋の夜でした。
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まあ、会話している感じだけなら落ち着きがあるってことだな!