美容法になる人は代理人の一人くらいいるもんです。
こちらの記事について、色々な感想や意見や質問などが続いていますので
もう少しお話しさせて頂こうと思います。
まず最初に母のことを心配して下さった皆さんへ。
「元姑ってAkiさんのお母さんにまでそんな酷い事を言っていたんですか?」
「Akiさんのお母さん、そんな事言われて大丈夫だったんでしょうか(~∀~||;)」
といった質問が結構あったのですが、
私の母は世界最強の人なので全然大丈夫でした。笑
というより、母をバカにした元姑の方が母の一言に
立ち直れないくらいの大打撃を受けてしまったんです。
元姑に「貧乏って本当に嫌ですわねぇ~」と言われた時
母の目がいつもの通りキラキラと輝きだしたので
(あ・・・絶対何か言う)と思ったら・・・・
「〇〇さん(元姑の名)はお幸せですか~?」
こんな感じです。
そして心の中で必ずこう思うんです。
ヤダこの人って変わってるわ~~
何て面白いのかしら~~
そして、その意地悪な人に言ってしまうんです。
いつもそんな風に考えているんですか~?
私そういう人に初めてお会いしたわ~~
とっても面白いわ~~
そうするとみんなこの顔に。
つまり、母には怖い人や苦手な人がいないということです。笑
しかもそういう物凄い意地悪な人に限って
次から母に対してだけは絶対意地悪をしなくなるんですが
それはあのバケモノのような元姑も同じでした。
その後、母に対して嫌味を言ったり意地悪をすることは一切ありませんでした。
多分、「国宝級の変な人」「触れると危険」とピン!ときたんだと思います。笑
最後に、「いくら亡くなったからといってそんな酷い姑に対して“感謝の気持ちしかない”なんて私だったら絶対に言えません」と言われていた方々に、ちょっと説明をさせてください。
そうですね。
確かにあの記事だけ読んだらそういう風に思ってしまうのも当然かもしれません。
でもそうではなくて、実はまだ同居していた時から
「この人って可哀そうな人なんだ」ということが分かって気の毒に思う気持ちがあったんです。
元姑の実家には信じられない大きな問題があって、超おかしな育てられ方をしたせいであんな人になってしまった・・・という事や
元舅の実家にもあり得ない大きな問題があって、超メチャクチャな育てられ方をしたせいであんな人になってしまった・・・という事や
その変な2人が家の都合で好きでもないのに結婚させたれることになってしまった・・・という事や
自分のコンプレックスを人に悟られないために、自分が幸せではないことを人に悟られないために「常に地位と名誉と財産を自慢するしかなかった」という事が分かってからは、「哀れな人たち」という気持ちを持つようになっていました。
でも結婚した時はそんな事情を知るよしもありませんし、まだ22歳という若さだったことや
「曲がったことが大嫌い」「弱気を助け強気を挫く」という正義感の強い熱血人間だったことがあって
あの人たちと正面衝突してしまったわけです。
向こうもプライドの塊だったかもしれませんが、私は私でまだ小娘だったにも関わらずプライドの塊だったので
「知性も理性もモラルもなくて金持ってる事ぐらいしか取り柄がないようなクズどもめ」という感じで
舅・姑・夫らを心の底から軽蔑しまくっていたものですから
向こうにしてみたら私は「自分たちのコンプレックスを引っ掻き回す許せない女」
「自分たちのことを毎日イライラ・ヒリヒリさせる嫌な女」だったのも納得と言えば納得です。
でも元姑のことを心の底から「何て気の毒な人なんだろう」と思ったのは
離婚が成立してしばらく経った時のこ
とでした。
新宿伊勢丹の前で元姑とバッタリ会ってしまったことがあったんですが
その時すでに別人のように痩せ細っていて、以前の面影はもうどこにもありませんでした。
「あら、お久しぶり。お元気そうね?」
「はい。お義母さまもお元気そうで」
「もう知っているかもしれないけど、ウチの息子再婚したのよ」
「そうなんですか?」
「そうなの。今度はいい人が来てくれてね」
「まぁ、それは良かったですね」
と、こんな会話をちょっとだけ交わして別れたんですが
あちらの家にはスパイ(私の息子)がいるので私は全部知っていたんです。
元夫の再婚相手が決まってしかもその相手というのが自分達の知り合いの良家のお嬢さんだったので
元舅と元姑は最初「これで世間の奴らに自慢できる」と喜んでいたこと。
でも実はそのお嬢さんというのは息子の元愛人で
私を追い出すために元夫をそそのかし、私に嫌がらせをさせていたという事実を知ってしまったこと。
しかもその元愛人の嫁に
「前のお嫁さんのように私まで出ていくような事になったら困りますでしょ?
ですので私はこの家のことは一切やりません。
お父様たちはお父様たちでご自由になさってください。私は私で自由にしますので」
といきなり宣告されてしまい、料理も洗濯も掃除も何もせず、
毎日高級外車を乗り回して買い物やゴルフ三昧だということ。
自分たちが大けがをしようが大病を患おうが、世話もしなければ家の手伝いもせず、
相変わらず毎日出かけて遊びまわっているということ。
「何でこんなことに」と毎日涙に暮れているということを私は全て知っていました。
でも「私が全て知っている」ということを知らない元姑は、今にも泣きそうな顔で笑いながら
「今度はいい人が来てくれて」と、絞り出すように言ったんです。
そしてそれが元姑の姿を見た最後になりました。
ホント、馬鹿だなぁ人間って。
もっと違う生き方があったはずなのに
もっと違う生き方が出来たはずなのに
最後の最後まで誰からも大事にされず
誰からも信用されず、誰からも愛されず
そうやって死んでいくの?
そんなの悲し過ぎるでしょ。
新宿駅に向かって歩きながら涙が止まりませんでした。
結婚して同居していた当時は、本当に毎日が戦争で
生きるか死ぬかの日々を送っていたのは事実ですが、
それでも私に得るものがたくさんあったのも事実です。
もし普通の人と結婚して、普通の主婦になって
のんびりのほほんと生きていたら、今の私は存在していないと思っています。
あの経験があったからこそ私は賢くなれたし
あの経験があったからこそ私は強くなれたし
あの経験があったからこそ私は人として成長できたし
あの苦労があったからこそダイエットのプロフェッショナルになれて
今こうして悩める人の役に立つことができているんです。
下北沢で美容法が流行っているらしいが
こちらの記事について、色々な感想や意見や質問などが続いていますので
もう少しお話しさせて頂こうと思います。
まず最初に母のことを心配して下さった皆さんへ。
「元姑ってAkiさんのお母さんにまでそんな酷い事を言っていたんですか?」
「Akiさんのお母さん、そんな事言われて大丈夫だったんでしょうか(~∀~||;)」
といった質問が結構あったのですが、
私の母は世界最強の人なので全然大丈夫でした。笑
というより、母をバカにした元姑の方が母の一言に
立ち直れないくらいの大打撃を受けてしまったんです。
元姑に「貧乏って本当に嫌ですわねぇ~」と言われた時
母の目がいつもの通りキラキラと輝きだしたので
(あ・・・絶対何か言う)と思ったら・・・・
「〇〇さん(元姑の名)はお幸せですか~?」
こんな感じです。
そして心の中で必ずこう思うんです。
ヤダこの人って変わってるわ~~
何て面白いのかしら~~
そして、その意地悪な人に言ってしまうんです。
いつもそんな風に考えているんですか~?
私そういう人に初めてお会いしたわ~~
とっても面白いわ~~
そうするとみんなこの顔に。
つまり、母には怖い人や苦手な人がいないということです。笑
しかもそういう物凄い意地悪な人に限って
次から母に対してだけは絶対意地悪をしなくなるんですが
それはあのバケモノのような元姑も同じでした。
その後、母に対して嫌味を言ったり意地悪をすることは一切ありませんでした。
多分、「国宝級の変な人」「触れると危険」とピン!ときたんだと思います。笑
最後に、「いくら亡くなったからといってそんな酷い姑に対して“感謝の気持ちしかない”なんて私だったら絶対に言えません」と言われていた方々に、ちょっと説明をさせてください。
そうですね。
確かにあの記事だけ読んだらそういう風に思ってしまうのも当然かもしれません。
でもそうではなくて、実はまだ同居していた時から
「この人って可哀そうな人なんだ」ということが分かって気の毒に思う気持ちがあったんです。
元姑の実家には信じられない大きな問題があって、超おかしな育てられ方をしたせいであんな人になってしまった・・・という事や
元舅の実家にもあり得ない大きな問題があって、超メチャクチャな育てられ方をしたせいであんな人になってしまった・・・という事や
その変な2人が家の都合で好きでもないのに結婚させたれることになってしまった・・・という事や
自分のコンプレックスを人に悟られないために、自分が幸せではないことを人に悟られないために「常に地位と名誉と財産を自慢するしかなかった」という事が分かってからは、「哀れな人たち」という気持ちを持つようになっていました。
でも結婚した時はそんな事情を知るよしもありませんし、まだ22歳という若さだったことや
「曲がったことが大嫌い」「弱気を助け強気を挫く」という正義感の強い熱血人間だったことがあって
あの人たちと正面衝突してしまったわけです。
向こうもプライドの塊だったかもしれませんが、私は私でまだ小娘だったにも関わらずプライドの塊だったので
「知性も理性もモラルもなくて金持ってる事ぐらいしか取り柄がないようなクズどもめ」という感じで
舅・姑・夫らを心の底から軽蔑しまくっていたものですから
向こうにしてみたら私は「自分たちのコンプレックスを引っ掻き回す許せない女」
「自分たちのことを毎日イライラ・ヒリヒリさせる嫌な女」だったのも納得と言えば納得です。
でも元姑のことを心の底から「何て気の毒な人なんだろう」と思ったのは
離婚が成立してしばらく経った時のこ
とでした。
新宿伊勢丹の前で元姑とバッタリ会ってしまったことがあったんですが
その時すでに別人のように痩せ細っていて、以前の面影はもうどこにもありませんでした。
「あら、お久しぶり。お元気そうね?」
「はい。お義母さまもお元気そうで」
「もう知っているかもしれないけど、ウチの息子再婚したのよ」
「そうなんですか?」
「そうなの。今度はいい人が来てくれてね」
「まぁ、それは良かったですね」
と、こんな会話をちょっとだけ交わして別れたんですが
あちらの家にはスパイ(私の息子)がいるので私は全部知っていたんです。
元夫の再婚相手が決まってしかもその相手というのが自分達の知り合いの良家のお嬢さんだったので
元舅と元姑は最初「これで世間の奴らに自慢できる」と喜んでいたこと。
でも実はそのお嬢さんというのは息子の元愛人で
私を追い出すために元夫をそそのかし、私に嫌がらせをさせていたという事実を知ってしまったこと。
しかもその元愛人の嫁に
「前のお嫁さんのように私まで出ていくような事になったら困りますでしょ?
ですので私はこの家のことは一切やりません。
お父様たちはお父様たちでご自由になさってください。私は私で自由にしますので」
といきなり宣告されてしまい、料理も洗濯も掃除も何もせず、
毎日高級外車を乗り回して買い物やゴルフ三昧だということ。
自分たちが大けがをしようが大病を患おうが、世話もしなければ家の手伝いもせず、
相変わらず毎日出かけて遊びまわっているということ。
「何でこんなことに」と毎日涙に暮れているということを私は全て知っていました。
でも「私が全て知っている」ということを知らない元姑は、今にも泣きそうな顔で笑いながら
「今度はいい人が来てくれて」と、絞り出すように言ったんです。
そしてそれが元姑の姿を見た最後になりました。
ホント、馬鹿だなぁ人間って。
もっと違う生き方があったはずなのに
もっと違う生き方が出来たはずなのに
最後の最後まで誰からも大事にされず
誰からも信用されず、誰からも愛されず
そうやって死んでいくの?
そんなの悲し過ぎるでしょ。
新宿駅に向かって歩きながら涙が止まりませんでした。
結婚して同居していた当時は、本当に毎日が戦争で
生きるか死ぬかの日々を送っていたのは事実ですが、
それでも私に得るものがたくさんあったのも事実です。
もし普通の人と結婚して、普通の主婦になって
のんびりのほほんと生きていたら、今の私は存在していないと思っています。
あの経験があったからこそ私は賢くなれたし
あの経験があったからこそ私は強くなれたし
あの経験があったからこそ私は人として成長できたし
あの苦労があったからこそダイエットのプロフェッショナルになれて
今こうして悩める人の役に立つことができているんです。
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