会話大好き人間大集合~♪
昨日Twitterで気になるツイートを見つけて調べてました。
会話はひとつは購入しておきたい商品、ご贈答品にもよく利用されていますね
明日を変えよう!会話
やだ、大変!
昨日の日記のタイトルに、””と付けておきながら、考えた結果を書くのを忘れてた!
てへっ(/ω\)
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「ん?その結果は明日更新するのかな?」と気長にお待ちいただいていた方もいると思います。すみません、ただの私のミスです・・・。
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誤字脱字がないかと、昨日の日記を再チェックしていたら、それどころか一番大事なところが抜けててビックリしちゃったわ!
私って子供の頃からそうなのよね・・・。
小学4年の授業で、「将来の夢」という課題を出されているのに、私の作文の締めくくりは「明日の給食はカレーがいいです。」で終わってるの。
初めの3行くらいはいい調子なんだけど、段々給食の話になって、あとは書くことがなくなっちゃって、最後は自分が食べたいもので締めくくったって感じ。
授業で書いたその作文を、先生のチェックなしでいきなりみんなの前で発表しなきゃいけなかったんだけど、私が作文を読み終えたとたん、クラスのみんなが爆笑しはじめたのよね。
でも、それも仕方がないのかもね。
だって将来の夢が、「明日の給食はカレーがいいです。」なんだから。
今思えば、担任の先生も先生で、「くるみは何でいつもこうなんだ!バカか!座れ!」って、よく怒鳴られていたわ。
この担任の時の1年間は本当に辛かった・・・。
でも自己肯定感が低い私は、先生に言い返すこともなく、「ですよねぇ~」と受け入れていた。
当時は離婚する家庭が少なかった時代で、クラスで母子家庭なのは私だけだった。みんなは親が宿題もちゃんとチェックしてくれていたんだけど、母は仕事が忙しすぎて、宿題を見てくれたのは入学したばかりのほんの数日間だけだった。
作文があまり上手に書けなかったのは、読書が嫌いなのもあったけど(現在は好きです♪)、人とたくさんおしゃべりできる環境ではなかったのも原因のひとつではないかと思っている。
親子でさえ会話が少なかったから、考える力もあまりなかったのよね。
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親子の会話が少なかった理由
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おっと、危ない!
また本題を書き忘れるところだった。
夫がなぜ私を「ブタ」扱いするようになったのか。
雪かきをしながら真剣に考えた結果、夫は「私自身」が好きだったのではなく、夫の好みに合わせていた頃の私が好きだったのだろうと気づいた。
昨日の日記にも書いたんだけど、出産前までは、夫は私の服装から髪型からすべてをコーディネートして喜んでいた。(私が全然おしゃれじゃなかったもので^^;)
でも産後、私の生活態度が急に変わって、髪の毛は乱れ、服は朝と同じパジャマのまま、挙句の果てに、夫が「息子を託児所に預けてデートしよう」と誘っても、自分自身の睡眠時間を優先しちゃったものだから、以前の私とのギャップについていけなくなって、夫はどんどん淋しくなっていたのだと思った。
けれど、妻の私の言い分は、緊急で帝王切開で息子を出産したのもあって、産後しばらくは手術した箇所も痛いし、眠いし、おっぱいも張って痛いし、デートどころじゃなかったのよね。
でも夫からしたら、「どうして今まで俺のために色々してくれていたのに、急に俺に興味がなくなるんだよ!」ってなるわよね・・・。
で、ふと気付いたら、私がものすごく太っちゃって、あまりにもビックリして「子豚におっぱいをあげているお母さんブタ」に見えたのかも。
当時は息子の夜泣きがひどくて、夫も私もそれを何とかしようと必死だったんだけど、その時はまさか息子の脳の発達や睡眠障害からくる夜泣きだとは思ってもみなかったから、こんなに泣き止まないのは、「私たち夫婦の愛情が足りないからなんじゃないか」とかなり落ち込んだこともあった。
でも今だから思うのは、息子があんなに夜泣きをしてくれたから、私も夫も自分たちの未熟さに気付くことができた。
息子に罪はない。
私たち夫婦が「子供」だっただけ。
息子には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
それなのに、親しくしていたご近所さんからは、
二人とも母子家庭育ちだから、何かが欠けてたんじゃない?
こういう環境で育った人は、もともと結婚生活に向いていないのよ。
私の娘は、絶対に両親が揃ったとこへお嫁に行かせるけどね。
ってビックリするほどアホなことを言った人がいたの。
やれやれ・・・。
この方は視野が狭いのかしらね!?
物事の本質を見極めるのってそこじゃないよね!?
「母子家庭」だからとか「父子家庭」だからとか、そんなことじゃなくて、「人柄」をみることが大事なんじゃないの!?、
母子家庭で育った人たちだって、多くの人が心から温かい家庭を築こうと思ってるし、母性や父性が強い方々だってたくさんいる。
私たち夫婦が何か欠け
ていただけで、母子家庭育ちの人が全員そうなのではないのに。
ところで、ちょっとお話は変わるけど、この下の一文読んでくださる?
妻を「ブタ」扱いした挙句に不倫した男。
まぁ、夫のことなんだけど(笑)
この一文だけ読むと、多くの女性は腹が立つでしょう?(笑)
でも夫の生い立ちまでさかのぼっていくと、ほとんどの女性が「母性」でいっぱいになって、「かわいそう」という気持ちが芽生えてくると思う。
今後は、母子家庭で育った私たちの生い立ちにも触れていくわね。
今日も最後まで読んでくださって、本当にありがとう。
【お知らせ】
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皆さまからいただいたせっかくのメッセージを無駄にしたくなくて、その想いを記事に書いてあります。お手数ですがよろしくお願いいたします!
いただいておりますコメントやメッセージには、全て目を通し、順番にお返事しておりますので、もうしばらくお待ちくださいね。
応援してくださって、本当にありがとうございます(*^-^*)
時計仕掛けの会話
前日、話がつかないまま翌日のクリスマスを迎える事になりました。
この日は12月24日クリスマスイヴ。
旦那との話し合いが物別れに終わり、心の中に悶々とした気持ちを
抱えながら迎えたイヴ。朝から掃除などの家事を一通り終え、
娘を予約していた美容室へ連れていきました。
伸び放題になった髪を、いつも担当してくれている美容師さんに
髪型の説明をして、娘を待っている間私は旦那にメールを送りました。
「美容室終ったら、一緒にケーキ取りに行かない?」
「いいよ。」
美容室が終ったら連絡するから、支度して待ってて・・・と返し、
2人で取りに行く事になりました。
娘が髪を切り終わり、美容室を後にする時に旦那に終った事を
告げて家に帰りました。
家に着き、旦那を連れていつもお祝い事がある時に頼んでいる
ケーキ屋さんに向かいました。クリスマスという事もあり、道路は
すごく混んでいましたが、車中は昨日の事もあり会話が弾まない。
ワインを買って、ケーキを買って家に帰る時、もうすぐ家に着く・・・
という時、私は旦那に話を切り出しました。
「私、ちょっと話がしたい。いいかな?」
「うん。」
家に入ると娘がいるから・・・と、旦那は家の前に車を止めました。
「私、全部知ってるの・・・がんなんでしょ?がんだったんだね・・・」
「違うって!」
「もう、嘘はつかなくていいよ。全部わかってるから・・・」
私が何故、旦那ががんだと知ったのか・・・
我が家は障害を持つ娘がいます。欲求が抑えられないとこがあり、
仕事が休みの日などは、家中の食べ物を探して食べてしまったり、
悪さをしてしまう事があるので、彼女が1人になる時は何をして
過ごしているのか、カメラで撮っていました。
12月21日 その日は娘の仕事が休みで1人で家にいた日。いつもの
ようにカメラがまわっていました。ここで普段はその日のうちに
動画をチェックして、悪い所を本人に伝えすぐ注意するように
していたのですが、動画をチェックするのを忘れてしまっていました。
12月22日 旦那が紹介状をもらって、検査をしてきた日です。
この日の夜にカメラを止め、この日は旦那の様子がおかしい事に
不安を覚え、何もせずに寝てしまいました。
12月23日 旦那との話し合いの中で、がんを疑い泣きながら旦那を
問いただした日です。この日の夜、カメラのチェックして私が見たもの、
聞いたものは、前半は娘の様子が映し出されていて、何も悪さを
することなくゲームやパソコンをする姿が映っていました。
終わり・・・かと思ったらまだ映っていて、旦那が朝から病院へ行き、
午後3時半過ぎに自宅へ戻った姿が映っていました。
溜息をつきながらテーブルに処方された薬を置き、着替えて、
その日の洗濯物をしてくれています。脱水が終った洗濯物を干し
ながら旦那の独り言が聞こえてきます。
「はぁ~最後のクリスマスかぁ~・・・最後の正月かぁ~・・・」
洗濯物を干し終えた旦那が座椅子に座りながら、お菓子を食べて
います。
「なんでもおいしく食べないとな・・・。」
自分の片腕を上に上げながら
「来年の今頃は俺は骨になってるのかぁ・・・」
そう言いながら、一人で泣いています。
そして、暫くしてどこかに電話をかけていました。
「今日、胃潰瘍って言われて検査に行ったら、がんが見つかっちゃった
んだよね。肝臓にさ。それでちょっと話聞きたいから、時間どうかな?
誰にも、言わないでよ・・・」
この時の電話の相手は保険屋さんでした。この後、言い忘れた事が
あったのか、もう一度かけ直して話している内容で相手がわかったのです。
見ている途中で、旦那が何を言っているのか理解できませんでした。
「最後のクリスマス、最後の正月って何?」
「骨になるってどういう事?」
体全体に訳のわからない震えが走っていました。
手の震えが止まりませんでした。やっぱり私の嫌な予感は当たって
いました。涙が溢れ、溢れた涙は止まる事を知りません。
泣きながら、旦那が検査をした結果の紙を探していました。
見つけてそれを開いて見ると、そこにあった数値はあきらかに
異常を示している数値。特にALPとγーGTPは共に正常値を
大幅に上回り1000を超え、2000に近い数値がそこに記されて
いました。素人の私にでも異常を察知する事ができる数値。検査結果を持つ手の震えが大きくなり、心臓の鼓動が激しくなっていき、過呼吸になりそうなくらい呼吸をし続けたと思います。
なぜ?なんで?どうして旦那なの?それしか頭にありません。
8月に会社の健康診断でγ-GTPは基準値を超えていましたが、
もっと低く、2000になんて近い数値ではありませんでした。
この4ヶ月の間に旦那の体にいったい何が起きていたのか・・・
なぜ・・・どうして・・・を繰り返し、ひたすら声を殺して泣くしか
ありませんでした。冷静になれるまで、涙が止まるまでどの位の
時間が経ったのかわかりません。
その日、眠っている旦那の寝顔を見ながら、涙が止まらず眠る事が
できないまま一夜を過ごしました。
一睡も出来ないまま、翌朝になり、旦那は何事もなかったかの
ようにいつも通りに過ごしています。
前日の事で頭が一杯の私は、今日こそ旦那と話そう・・・
そして、旦那の口からちゃんと話が聞きたい!そう思っていました。
どのタイミングで話を切り出そうか悩んでいました。
2人っきりになる為にケーキを取りに行こうと誘い、その時を
待ちました。そして家に止めた車の中で私は話を切り出したのです。
今回、この闘病記を書くにあたり、正直とても辛かったです。
書きながら思い出して、また涙がでてきました。
もう少し後に・・・と思っていたのですが、避けられない場面で
一気に書き上げました。なぜカメラまわしてたのか・・・
そしたらこんな形で、旦那のがんを知る事はなかったのに・・と当初、
とても後悔していました。今は、この日があったから旦那の口から
がんだと聞く事ができたし、覚悟が持てたと思っています。
い文章ですが、お読み頂きありがとうございます。
あまりに基本的な会話の4つのルール
半壊した建物の地下に
温泉がありますが
もともと旅館なので
客室がたくさんあるのね。
ちょっと失礼して、勝手に部屋の中を撮影。
こんな感じ。
↓
広いしテーブルがたくさんあるから食堂かな。
現役時代はきっと良い宿だったんだろうな。
で、早速階段を降りて地下に降りると
兎に角、暗い。
男湯、女湯を通り過ぎると
地下一階ですから
建物自体がかなり老朽化していて
天井は崩れ落ちてるわ、壁紙は剥がれ放題だわ、床も抜けてるわで
なかなかの荒れっぷり。
↑
そして主人と別れ
子供2人はママと女湯へ。
浴室内は上が繋がってて会話ができます。笑
小綺麗なご婦人、40代かな?
夫婦で来てるみたいでした。
ご婦人が先に上がったので
温泉の写メを。
泉質が強いんだね(そうだよね?)凄いね。
白く濁ったお湯で底が見えない為か
3歳が入浴拒否。
「カニカニ(腕に付ける浮き輪)がないと溺れる。」
愚図る3歳には掛け湯をして
「ねぇ、ママ、この温泉ボロッボロだね。」
窓の外は川が流れていますが
木が生い茂っていて
廃墟しか見えない。カオス。
しかも、この正面に見える廃墟、通り道にあった廃墟とは
さて、温泉に興味がない私は
お湯から5分程で上がる。
そして、私が今回の散策で
一番見つけたかったのがこちら。
見えないから勝手にライトオン。
ドドン。
沢が流れてるー♡
手掘りの洞窟。
これね、半壊した旅館の地下と
先程受付をした館主の自宅が
道路の下で繋がってるの!!
凄くない?笑
滞在時間30分弱の間に
私達家族4名の他に
女湯に1名、男湯には4名の利用客がいました。
何年も前から廃業の噂があって
あぁ、満足しました。