侵略 デイリーニコニコ
この国会で審議されている、外国人労働者受け入れに関して、
外国人受け入れについて一般の日本人はどう思っているのだろうか?
外国人がどんどん日本に流入し、
人種のるつぼのようになるのがよい。
と思っている若者が意外と多いことに驚いた。
その理由を尋ねると、具体的な答えはあまり帰ってこなくて。
「アメリカがそうだから」
「世界はグローバル社会になっているから」
というような返答が多かった。
なぜ、人種のるつぼがよいのか、なぜグローバルだといいのか
を語った若者はいない。
これらは、テレビやマスコミがそんな風な論調を常に番組に組み入れていることが
原因の一つであると考えられる。
特にNHKは率先して行っている。
そもそも、国際化の意味は民族の違いを明確にしていくものだが、
日本の論調は同化するのがよい的な考えである。
戦後の日本は、主体性を持たない民族になり下がっているので、
同化するというのは、例えばアメリカになるということになる。
かつて国会議員が、
「日本もアメリカの51番目の州になればよい」
と言った人がいた。
ここ姫路にも、そんな風に考えている人がいる。
人種のるつぼが普通の国というのは、人工的に出来た国であることを
理解してもらいたい。
アメリカやカナダ、そしてオーストラリア、ニュージーランドなどがそうだが、
これらの国々は元々いた先住民を駆逐して出来た国である。
元々、そこで暮らしていた人達ではない。
解りやすく言えば、移民国家なのである。
そんな国を日本を目指す理由は一体なんなのだろうか。
江戸時代に行っていた「鎖国」という制度を、近年の日本人は
ぼろくそに言うが、先人達はそんなに頭が悪かったのだろうか?
また、現在を生きる我々が正しいと思う根拠は一体なんなのだろうか?
(出島では交易を行っていた)
先人達は、「グローバル」にすれば、日本が乗っ取られることをよく理解していた。
しかし、現在は「乗っ取られる」という危機感がまるでなくなっている。
「そんなこと起こるはずがない」
と思っている人が大半だと思うが、「起こるはずがない」
と思う根拠は一体何なのだろうか?
そのことを皆さんによく考えてもらいたい。
人工的に出来た国は、原住民を駆逐したことを肝に銘じてもらいたい。
インディアンしかりエスキモーしかりアボリジニ、マオリ族しかりである。
(ニュージーランドの原住民であったマオリ族)
「こんなのは、すべて昔の話だ」
では、現在こんな悲劇は世界で起こっていないのか?
幼稚な考えで「人類みな兄弟」などと言っていると
日本が日本でなくなる引き金を我々が引くことになりかねない。
もっと真剣に外国人労働者受け入れを民間の人が考えなければならない。
日本政府は、「外国人労働者受け入れ拡大」と言っているが、
受け入れるのは、労働者の家族も受け入れてよいことになっているので
こ
れは、事実上移民政策なのだ。
例えば、近い将来、姫路市の過半数が外国人になった場合。
今のままの暮らしが維持できると思われますか?
既に姫路市でも、自治会をやっている人達は外国人に手をこまねいている。
言語もそうだが、意思の疎通が出来ないし、外国人は日本のやり方を理解しないので
自治会で束ねるのは困難だということだ。
若者には外国人が増えれば増えるほど、日本人の存在が希薄になることを
理解してもらいたい。やがて、そこは日本ではなくなっている。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
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侵略をうまく使う、たったひとつの冴えたやりかた
「本庁」という名称からして,官庁と勘違いする人も多いかもしれないが,神社本庁はれっきとした宗教法人であり,一民間組織である。本書に詳しく説明がある通り,宗教法人は包括法人と被包括法人に分けられ,前者は寺社などの宗教団体を束ねる宗派・教団のことで,後者はそこに加わる寺院や神社などを指す。包括法人に加わらない寺社は単立宗教法人と呼ぶらしい。
神社界の包括法人が神社本庁であり,被包括法人はその下に束ねられる大小さまざまな神社であり,その数,全国に約8万だという。この〈包括―被包括〉の関係が上下関係,支配・被支配の関係となって矛盾を抱え込むわけだが,そもそも旧官国弊社のような大神社や有名神社と地方の中小神社とでは,同じ神社といっても教義や経済基盤などは全く異なり,それらを一括して統率・支配しようとすること自体に無理があるだろう。
本来多様であった神社神道を一緒くたにして,中央集権的に包摂・統率しようというこうした仕組みに,戦前の国家神道の影を見る人も少なくないはずだ。それは,民主主義国家を保障するための政教分離の否定であると同時に,神社を一つの教学(神社教)に一元化して国家公認イデオロギーにしようという戦前回帰への道なのである。先ほど神社本庁は一民間組織であると書いたが,実態はそれを超えて,国家権力や靖国神社などの大神社と結んで,再び「神の国」,神道国家を目指そうとする極めて政治的色彩の濃い準国家機関と見なすことができよう。
その意味で,神社本庁が,「神道指令」(1945年)によって廃止された「神祇院」の体質や方針を引き継いでいるという本書の指摘は極めて重要である。「神祇院」とは戦前,国民教化の中心となった国家機関である。
ある神職が「神祇院の幹部も神社本庁に合流しましたから,いろんな面で神祇院的なものを受け継いだわけです」と解説してくれたこともある。確かに,神祇院が解散した翌日に神社本庁は発足している。こうして神社本庁は,約八万もの神社を神祇院から引き継いだ。事実上の後継団体と言っていいだろう。その精神性の一部が受け継がれたと考えても,穿ちすぎではあるまい。
(本書p.256~p.257)
神祇院的な思想・体質を引き継いだ神社本庁は,占領軍が日本を去り,神社界の結束がゆるむと,上命下服のための人事権を利用して中央集権的な統制を強めたという。
例えば,まだ記憶に新しい富岡八幡宮の宮司惨殺事件にしても,職員宿舎売却をめぐる不正取引にしても,あるいは相次ぐ有名神社の離脱にしても,こうしたさまざまなトラブルの背景に,神社本庁による中央集権的な神社界支配という構造的な問題があることは言うまでもない。
こういう神祇院的な腐った構造がいまだに神社界に残存しているのも,先の戦争を清算できていないことにその根っこがある。日本の敗北は国家神道の敗北にほかならない。そのことを認めようとせず,再び国民を国家神道イデオロギーとアジア侵略戦争へと総動員するシステムの中核をなすのが神社本庁なのである。その意味で,神社本庁というのは戦後日本の最も醜い姿を映し出す鏡だと私は思っている。
一方で本書は,こうした国家との縫合・一体化を目指す流れに抗う動きが,神社界にあることも指摘している。すなわち,葦津珍彦をイデオローグとする神社連盟的な方向に進もうとする動きである。
こういう神社連盟への動きがこれまで途絶えることなく続いていることは事実なのだろうが,国家と癒着・結託して神社教を目指す動きに対して,どこまで歯止めの役割を果たし,最後には神社連盟的な組織に編成替えできるのかについては全く不透明というか,その道は険しいようにも見える。だが,昨今の神社界のトラブルや有名神社の離反,さらには「限界宗教法人」と言われる地方の神社の疲弊ぶりなどを見ると,今の神社本庁を中心とした神社界のあり方がそろそろ限界に来ており,そろそろ体制変革の時なのかもしれないとも思う。
最初にも書いたように本書は,右傾化が進む日本の中で神社本庁が果たしてきた役割にスポットを当てて検証したルポだが,具体的には,例えば「建国記念の日」制定や靖国神社国家護持・公式参拝運動,元号の法制化,終戦50年決議反対,国旗国歌法制化,「昭和の日」制定,教育基本法改正,夫婦別姓反対,そして憲法改正運動などに神社本庁は取り組み,それなりの成果を上げて右傾化を牽引してきた。
こうした神社本庁の政治運動が,神道政治連盟(および神政連国会議員懇談会)や日本会議などの政治団体と連携して行われてきたことも本書で詳らかになっている。そのように本書は右派政治運動の流れの中に神社本庁を位置づけているため,前に紹介した安田浩一さんの『「右翼」の戦後史』と,組織や人脈などで
なる部分も多かった。その分,政教分離や国家神道といった宗教システムについての掘り下げが浅いので,そのあたりに関心のある方には,ちょっと物足りない内容かもしれない。
だが宗教システム論としては,島薗進氏の『国家神道と日本人』(岩波新書)に依拠しながら,葦津珍彦の国家神道観が紹介されているところが,私には興味深かった。葦津も結局は国家神道の呪縛から免れていなかったわけで,葦津の功罪をはっきりと見定めなければいけないと思った。ちょっと長いが,引用しておく。
ところが葦津らは,国家神道を狭く解釈し,皇室祭祀が戦前の日本社会に大きな影響力を及ぼしたことには触れようとしない。「そこには皇室祭祀・皇室神道を宗教,神道としては捉えないという断固たる戦略が見て取れる」というのである。
なぜか――。それは,皇室祭祀・皇室神道がもし「宗教」なのであれば,戦後の新憲法が政教分離を原則とする以上,その制約下に置かれることになる。ところが,皇室の祭祀・神道が「宗教」ではないとすれば,国民全体を包み込む公的制度としての意義をもちうることになるだろう。葦津の基本戦略はここにあると,島薗は考える。
(本書p.82~p.83)
葦津が「神社界のイデオローグ」とか「葦津なくして今日の神社界はなし」と言われる所以である。私たちは今も葦津の基本戦略の中にいる。葦津にとって,戦前の国家神道とは行政官僚が中央集権的に神社を支配する官僚主義システムとして解釈されており,だから神社本庁発足の際に,神祇院的・官僚的色彩の濃厚な神社教案に反対したのであった。葦津の求めた神社連盟の方向性は是認できるとしても,しかしそこにも国家神道に向かう危険性は孕んでいるわけである。実際,国家と神社神道を切り離す神道指令において天皇の祭祀は不問とされたことで,国家神道は戦後,形を変えて生き残った。戦前回帰,国家神道復活の動きは,皇室祭祀をテコに活性化したわけで,それを牽引するのが神社本庁であり,そこに右派政治団体が合流して,今の右傾化という由々しき事態が生まれた。結論としては,戦前回帰や国家神道の復活を阻むためには,神社神道に国家や皇室は介入しない,させてはいけないということになろう。そのためにも政教分離という原則を徹底していくことだ。
神道はもう一度,神々の原初の姿を見出し,その信仰に戻るべきであろう…。
929円
Amazon
|
目 次
プロローグ――富岡八幡宮惨殺事件
第一章 富岡八幡宮と特攻警察
第二章 神社界のツートップ
第三章 神社本庁の誕生
第四章 神社界の反撃
第五章 靖国神社国家護持への胎動
第六章 日本を守る会
第七章 靖国ふたたび
第八章 有名神社の離反
第九章 明治神宮、力の源泉
エピローグ――神社はどこへ
侵略 さすがだね、を世界中で。
こんにちは。
ブランディング戦略家の鈴鹿久美子です。
今年の後半は
ものすごく
忙しくなっています。
全て自分で望んだことですので
恨みごとではなく
完璧な喜びでしかありません。
が
し
か
し
この忙しさ
どーすんのーー!
ってくらいです。
政策秘書時代は
子どももいて
ご飯も三食作っていたし
週末は議員の選挙区に入って
ウィークデーは永田町で
朝7時半から会議でした。
だから
忙しいという状態には慣れていますし
仕事は大好物なので
苦痛はないのですが
私が崩壊しそうになるのは
積ん読の山が
日に日に高くなってゆく
のを
見ることです。
無力感というか
自分コントロールができていないことに
ガッッッカリ
。。。
たしかに
この山の中には
自分で「読みたい!」
と思った本もありますが
それだけでなく
入魂している
あ
入塾か
入塾している出版ゼミの
課題図書と
おススメ図書も半数を占めています。
ので
どれも
読むべき絶品図書
であることには違いありません。
だから
絶対に読みたいのですが
減らない。。。
なんとなく
「圧倒されてムリっぽい」
と
気持ちが萎えてしまうのが一番よくない状態。
やらなければならないけど
忙しくて
つい後回しになりがちな
自分のための作業が滞る
このようなとき
皆さんはどうされますか?
1)読むのを諦める
2)まぁ、そのうち読めるだろうと思ってそのまま積読
3)手あたり次第読む
4)計画を立てる
1)を選んだ方!
あなたは諦めが早すぎる!
その決断力、スピード感があれば、
できることはもっとあります!
2)を選んだ方!
身の回りを見渡してください。
アイロンかけなきゃと思いながら
部屋の片隅に積み上がるシャツの山
PCのデスクトップはタスクで壁紙も見えず
お腹の周りにはてっぷりと脂肪が取り囲んでいませんか。
3)を選んだ方!
猪突猛進型ですね。
倒れます。
かつての私がそうでした。
倒れるほど頑張っているのに
常にまとわりつく不安感
突然襲ってくる虚脱感
ある日突然
ベッドから起き上がれなくなります。
無計画に頑張り続けるのは無謀乱暴!
さて
4)を選んだ方!
「積読」は、
期日までに全て読み終え
満足感だけでなく
あなたの中に書籍の中のきらめくエッセンスを取り入れることができます!
(*^_^*)
偉そうに書きましたが
私も
かつては
ぜんぜんダメ子でした。
1も2も3も全部経験済み。
でも
仕事が私を磨いてくれました。
国会議員の政策担当秘書が
沢山の雑多な仕事を
同時に
正確に
完璧に
ノーミスで
完遂するために
身に付けた
それだけのことなのですが
ちょいとご披露しますね。
ちょーシンプルなので
ガッカリしないでくださいね。
用意するものはふたつ。
ひとつは
Googleカレンダ―など
スマホで管理できる
■クラウド型のスケジュール表
もうひとつは
■紙ベースのタスク管理表
この二つです。
クラウド型のカレンダーには
仕事もプライベートの予定も全て書き込みます。
仕事は仕事仲間と
プライベートは家族と共有できますので
これだけでダブルブッキングはなくなります。
自分管理のポイントは
時間枠を10分単位に刻むこと。
その
すき間の10分を埋めるアイテムを
ふたつめの
紙ベースのタスク管理表に書いてある
タスクからピックアップして
項目ごとに色を変えて
すき間に埋め込んでいきます。
この紙ベースのモノ
私は
気に入った手帳では見つからず
今は
方眼ノートを使っています。
ノートを見開きにして
日付を横に入れ
縦に「しなければならないこと」を
項目別に入れて
締め切りから逆算して
細分化されたタスクに落とし込みます。
秘書の仕事は
洗濯から政策まで
種類も重要度も
まちまちで
でも
「ノーミス」でやらなければならないことばかり。
緊張感に押しつぶされないために
いつのまにか出来上がってきた
シンプルで簡単な
方法です。
これを書いている間にも
また
課題図書が1冊増えたと
ゼミ仲間からのメッセンジャーが・・・。
はい!
Googleカレンダ―に
即入れですね
(笑)
時間を区切ることで
「My締め切り」をつくることが
簡単にできますので
お試しあれ。
そうそう
もうひとつ
大切な
ポイント!
集中してこの仕事に取り組むときは
スマホを通知音が鳴らない
「☽」モード
にすること(^^♪
集中力を途切れさせる侵略者を減らして
ストレスフリーで進みましょう!
さ、
私はこれから1冊読了がんばります!
侵略のお取り寄せはこちらで、友達・知人とと差をつけたい方必見です
「本庁」という名称からして,官庁と勘違いする人も多いかもしれないが,神社本庁はれっきとした宗教法人であり,一民間組織である。本書に詳しく説明がある通り,宗教法人は包括法人と被包括法人に分けられ,前者は寺社などの宗教団体を束ねる宗派・教団のことで,後者はそこに加わる寺院や神社などを指す。包括法人に加わらない寺社は単立宗教法人と呼ぶらしい。
神社界の包括法人が神社本庁であり,被包括法人はその下に束ねられる大小さまざまな神社であり,その数,全国に約8万だという。この〈包括―被包括〉の関係が上下関係,支配・被支配の関係となって矛盾を抱え込むわけだが,そもそも旧官国弊社のような大神社や有名神社と地方の中小神社とでは,同じ神社といっても教義や経済基盤などは全く異なり,それらを一括して統率・支配しようとすること自体に無理があるだろう。
本来多様であった神社神道を一緒くたにして,中央集権的に包摂・統率しようというこうした仕組みに,戦前の国家神道の影を見る人も少なくないはずだ。それは,民主主義国家を保障するための政教分離の否定であると同時に,神社を一つの教学(神社教)に一元化して国家公認イデオロギーにしようという戦前回帰への道なのである。先ほど神社本庁は一民間組織であると書いたが,実態はそれを超えて,国家権力や靖国神社などの大神社と結んで,再び「神の国」,神道国家を目指そうとする極めて政治的色彩の濃い準国家機関と見なすことができよう。
その意味で,神社本庁が,「神道指令」(1945年)によって廃止された「神祇院」の体質や方針を引き継いでいるという本書の指摘は極めて重要である。「神祇院」とは戦前,国民教化の中心となった国家機関である。
ある神職が「神祇院の幹部も神社本庁に合流しましたから,いろんな面で神祇院的なものを受け継いだわけです」と解説してくれたこともある。確かに,神祇院が解散した翌日に神社本庁は発足している。こうして神社本庁は,約八万もの神社を神祇院から引き継いだ。事実上の後継団体と言っていいだろう。その精神性の一部が受け継がれたと考えても,穿ちすぎではあるまい。
(本書p.256~p.257)
神祇院的な思想・体質を引き継いだ神社本庁は,占領軍が日本を去り,神社界の結束がゆるむと,上命下服のための人事権を利用して中央集権的な統制を強めたという。
例えば,まだ記憶に新しい富岡八幡宮の宮司惨殺事件にしても,職員宿舎売却をめぐる不正取引にしても,あるいは相次ぐ有名神社の離脱にしても,こうしたさまざまなトラブルの背景に,神社本庁による中央集権的な神社界支配という構造的な問題があることは言うまでもない。
こういう神祇院的な腐った構造がいまだに神社界に残存しているのも,先の戦争を清算できていないことにその根っこがある。日本の敗北は国家神道の敗北にほかならない。そのことを認めようとせず,再び国民を国家神道イデオロギーとアジア侵略戦争へと総動員するシステムの中核をなすのが神社本庁なのである。その意味で,神社本庁というのは戦後日本の最も醜い姿を映し出す鏡だと私は思っている。
一方で本書は,こうした国家との縫合・一体化を目指す流れに抗う動きが,神社界にあることも指摘している。すなわち,葦津珍彦をイデオローグとする神社連盟的な方向に進もうとする動きである。
こういう神社連盟への動きがこれまで途絶えることなく続いていることは事実なのだろうが,国家と癒着・結託して神社教を目指す動きに対して,どこまで歯止めの役割を果たし,最後には神社連盟的な組織に編成替えできるのかについては全く不透明というか,その道は険しいようにも見える。だが,昨今の神社界のトラブルや有名神社の離反,さらには「限界宗教法人」と言われる地方の神社の疲弊ぶりなどを見ると,今の神社本庁を中心とした神社界のあり方がそろそろ限界に来ており,そろそろ体制変革の時なのかもしれないとも思う。
最初にも書いたように本書は,右傾化が進む日本の中で神社本庁が果たしてきた役割にスポットを当てて検証したルポだが,具体的には,例えば「建国記念の日」制定や靖国神社国家護持・公式参拝運動,元号の法制化,終戦50年決議反対,国旗国歌法制化,「昭和の日」制定,教育基本法改正,夫婦別姓反対,そして憲法改正運動などに神社本庁は取り組み,それなりの成果を上げて右傾化を牽引してきた。
こうした神社本庁の政治運動が,神道政治連盟(および神政連国会議員懇談会)や日本会議などの政治団体と連携して行われてきたことも本書で詳らかになっている。そのように本書は右派政治運動の流れの中に神社本庁を位置づけているため,前に紹介した安田浩一さんの『「右翼」の戦後史』と,組織や人脈などで
なる部分も多かった。その分,政教分離や国家神道といった宗教システムについての掘り下げが浅いので,そのあたりに関心のある方には,ちょっと物足りない内容かもしれない。
だが宗教システム論としては,島薗進氏の『国家神道と日本人』(岩波新書)に依拠しながら,葦津珍彦の国家神道観が紹介されているところが,私には興味深かった。葦津も結局は国家神道の呪縛から免れていなかったわけで,葦津の功罪をはっきりと見定めなければいけないと思った。ちょっと長いが,引用しておく。
ところが葦津らは,国家神道を狭く解釈し,皇室祭祀が戦前の日本社会に大きな影響力を及ぼしたことには触れようとしない。「そこには皇室祭祀・皇室神道を宗教,神道としては捉えないという断固たる戦略が見て取れる」というのである。
なぜか――。それは,皇室祭祀・皇室神道がもし「宗教」なのであれば,戦後の新憲法が政教分離を原則とする以上,その制約下に置かれることになる。ところが,皇室の祭祀・神道が「宗教」ではないとすれば,国民全体を包み込む公的制度としての意義をもちうることになるだろう。葦津の基本戦略はここにあると,島薗は考える。
(本書p.82~p.83)
葦津が「神社界のイデオローグ」とか「葦津なくして今日の神社界はなし」と言われる所以である。私たちは今も葦津の基本戦略の中にいる。葦津にとって,戦前の国家神道とは行政官僚が中央集権的に神社を支配する官僚主義システムとして解釈されており,だから神社本庁発足の際に,神祇院的・官僚的色彩の濃厚な神社教案に反対したのであった。葦津の求めた神社連盟の方向性は是認できるとしても,しかしそこにも国家神道に向かう危険性は孕んでいるわけである。実際,国家と神社神道を切り離す神道指令において天皇の祭祀は不問とされたことで,国家神道は戦後,形を変えて生き残った。戦前回帰,国家神道復活の動きは,皇室祭祀をテコに活性化したわけで,それを牽引するのが神社本庁であり,そこに右派政治団体が合流して,今の右傾化という由々しき事態が生まれた。結論としては,戦前回帰や国家神道の復活を阻むためには,神社神道に国家や皇室は介入しない,させてはいけないということになろう。そのためにも政教分離という原則を徹底していくことだ。
神道はもう一度,神々の原初の姿を見出し,その信仰に戻るべきであろう…。
929円
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目 次
プロローグ――富岡八幡宮惨殺事件
第一章 富岡八幡宮と特攻警察
第二章 神社界のツートップ
第三章 神社本庁の誕生
第四章 神社界の反撃
第五章 靖国神社国家護持への胎動
第六章 日本を守る会
第七章 靖国ふたたび
第八章 有名神社の離反
第九章 明治神宮、力の源泉
エピローグ――神社はどこへ
侵略について押さえておくべき3つのこと
公園に、さくらが咲いてるけど、ママさんのいない鍋料理
近所の公園に桜並木がある。テレビでもやってたけれど、桜がチラホラ咲いたままになっている。咲いても、普通なら大きくふくらむのに、つぼみサイズの小さいやつで、チラホラ咲いている。
ママさんは、死んだから、いないままやけど、ママさん、桜が咲いていること知ったら、何か言うかと思うわぁ~。桜、かわいそう??かわいいい?何と言うでしょう??ママさん自身は、つぼみサイズのちいさいやつで咲ききったんか?。
桜は、キレイけど、肌寒くなった今頃には、少し、悲しい桜の花びらやなぁ。
今日は、ママさんがいないけど、魚(ハマチ)とエビとホタテと鳥(京合鴨)のだし昆布の鍋にしました。
この頃、入管法の改正や国後択捉歯舞色丹(くなしりえとろふはばまいしこたん)の北方領土問題がニュースになっている。詳しいことは、知らないけれど、・・・。
言っときますけど、私は右翼でも左翼でも、どこぞの回し者でもありません。また、自民党でも公明党でも共産党でも立憲民主党でもありません。
思うに、何万年の歴史の中で、人類が、人が、何千年の歴史の中で、何百年かかって作ってきたものがあるやろぉ。奈良の北山杉みたいに代々かかって守ってきたものがあると思うねん。その中で、①ロシアと日本の歴史、②入管法の歴史を考えてみると、近代史やな。ちょい、この頃やん。
①について、浅はかな知識ですが、歴史的にはアメリカはロシアの一部を買ったのが、アラスカやろぉ。ロシアと日本とは、明治時代以後には、領土の交換なんかもしてきたやろぉ。しかしながら、くなしりえとろふはばまいしこたんは、日本固有の領土である。それを、ロシアは日本が終戦(敗戦)に伴ってせめてきたやろぉ。ロシアとは終戦していなかった。敗戦していなかった。のに、日本は手を引いた。そこで、ロシアは進軍してきた。占領した。ロシアの言い分は、日本は、「引っ込んだやろ。」って、言うてるねん。日本は、アメリカやイギリスに連合国軍に負けたので、本土に戻ってきた。引っ込んできた。当たり前や・・・。けんかに負けて、痛いのに泣いて家に帰ってけえへんもんおらんわいな。それを引っ込んだやろって、日本の連合国軍に対する負けに乗じて、日本固有の領土にまでロシアは、攻めてきたんや。ロシアも連合国軍であるなら、終戦に伴ってそこまで、ここまで、と、進軍をやめたらよかったんや、しやのに、どこまでも追いかけてきたんや。その前に、日ソ不可侵条約を破った卑怯者がロシアや。ロシアやソ連に日本が負けたんとちゃうわいな。
そうこう、言うても、国際関係のこと、もし、このたびの政治的決着を見た場合には、戸籍の取り扱いも変わってくるだろう。戸籍法の施行地域は、日本国の領域である。問題がある地域が、北方領土である。これらの島々は我が国の領土であるが、そのすべてをソ連が支配しており、根室市の一部である歯舞群島を除くその他の諸島には、戸籍法第1条の戸籍事務管掌者たる市町村長が存在しないために、本籍を定めることが不可能であるとされていたが、昭和57年8月31日法律第31号北方領土問題等の解決の促進のための特別措置に関する法律により、色丹島、国後島及び択捉島に本籍を有する者についての戸籍事務は、法務大臣が指名した者が管掌するとされており(同法11)、この法律は、昭和58年4月1日から施行され、この戸籍事務管掌者には根室市長が指名されている(昭和58.3.14民二1820号通達)
それと、竹島は、島根県やんか。当たり前のことが、当たり前では、とおらないことがあることが、国際関係やなぁ~。大学の国際関係学科って、あるやん。どんなこと勉強してるんやろか??いやいや、日本だけではなくて、外国の学校も、韓国の大学も含めてやでぇ~。誰が教えてるねん??・
もう一つ 、(ウキペディアより抜粋すると) 日本政府は、尖閣諸島は歴史的にも一貫して日本の領土である南西諸島の一部を構成しており、1885年から沖縄県を通じて現地調査を行い,尖閣諸島が無人島であるだけでなく,清国の支配が及んでいる痕跡がないことを確認した上で、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って、正式に日本の領土に編入した。
②について、
まあ、昔は、領土なんかって、あまり問題にもならんかったんやなぁ~。地球が狭くなったんやわぁ。特に、海に囲まれた自然の要塞の中にある日本は、異民族に侵略(蒙古襲来はあったけど)、占領されてこなかった。なので、移民かもしれない大和民族が、もしやウラルアルタイ系北方騎馬民族の一部なのかもしれないけれど、ず~っと以前から、海に囲まれて、守られてきた。そやのに、万世一系の日本が、移民を受け入れるかのごとく、入管法を改正するって、②の問題は、よ~く考えてしてくださいよぉ~。入管は、防波堤やでぇ~。孫の孫(玄孫?)の代で、もしも、就職できなくなったら、どないすんねん・・・。想定外のことなんか、なんぼでも起こり得るでぇ~。ドイツみてみい。ドイツの家政婦は、外国人やろ?ドイツ人は、家政婦にはなられなくなった。日本は、ほんの50年一昔前、家政婦してて、そこの息子と結婚しよったやつ、なんぼでもおるやん。もう、日本では、家政婦できひんのんのことになってるんとちゃうかぁ???せめて、おじいちゃんやおばあちゃんの昔話きいときや。もし、90歳超えて生きてた人がおったら、昔話ちゃんと、きいとかなあかんわぁ~。
今、80歳台の人は、(第2次世界大戦)戦前と言っても子どもの時分やったんやから、あまり何も知らんかもしれんでぇ~。そやよってに、90歳以上の老人の話は、その人が認知症になる前に、話よく聞いとかなあかんわぁ~・・・。。(自分もな!)
p>
●ママさんは亡くなったので、ママさんはもう帰って来ません。
ママさん一昨年、突然死んでもたわぁ~
ママさん突然死んでもたわぁ~
うぇ~ん
下記のアドレスをクリックしてください。
下記はママさんとは関係ありません。
気分の問題・・・。心がなごみますように・・・。
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呆然と立ち尽くす二体の謎の生物、これ実はエイリアンではなくフクロウの赤ちゃんなのだ。フクロウの脚はかなり長く、その9割が羽に埋もれているのだ。
https://t.co/zbGXYC…
もちろん愚かな戦争はするべきではないですが、第二の刃は持つべきです。
BEST100
1位は文句無しで
防弾少年団
#池の水ぜんぶ抜く大作戦