見えない侵略を探しつづけて

見えない侵略を探しつづけて

侵略道を見つけたり

 現在の日本の右傾化について考える場合,神社本庁を検討することは欠かせないであろう。というわけで本書を読んでみたのだが,なかなか興味深い内容であった。最初にひと言で感想を述べるとすれば,もう神社本庁は潰した方がよいのではないかということである。解体して,横の連帯を持った新たな連盟的な組織,互助的な組織として再出発した方がよい。

 「本庁」という名称からして,官庁と勘違いする人も多いかもしれないが,神社本庁はれっきとした宗教法人であり,一民間組織である。本書に詳しく説明がある通り,宗教法人は包括法人と被包括法人に分けられ,前者は寺社などの宗教団体を束ねる宗派・教団のことで,後者はそこに加わる寺院や神社などを指す。包括法人に加わらない寺社は単立宗教法人と呼ぶらしい。

 神社界の包括法人が神社本庁であり,被包括法人はその下に束ねられる大小さまざまな神社であり,その数,全国に約8万だという。この〈包括―被包括〉の関係が上下関係,支配・被支配の関係となって矛盾を抱え込むわけだが,そもそも旧官国弊社のような大神社や有名神社と地方の中小神社とでは,同じ神社といっても教義や経済基盤などは全く異なり,それらを一括して統率・支配しようとすること自体に無理があるだろう。

 本来多様であった神社神道を一緒くたにして,中央集権的に包摂・統率しようというこうした仕組みに,戦前の国家神道の影を見る人も少なくないはずだ。それは,民主主義国家を保障するための政教分離の否定であると同時に,神社を一つの教学(神社教)に一元化して国家公認イデオロギーにしようという戦前回帰への道なのである。先ほど神社本庁は一民間組織であると書いたが,実態はそれを超えて,国家権力や靖国神社などの大神社と結んで,再び「神の国」,神道国家を目指そうとする極めて政治的色彩の濃い準国家機関と見なすことができよう。

 その意味で,神社本庁が,「神道指令」(1945年)によって廃止された「神祇院」の体質や方針を引き継いでいるという本書の指摘は極めて重要である。「神祇院」とは戦前,国民教化の中心となった国家機関である。

 取材を始めた当初,今の神社本庁のあり方に否定的な人々が「神社本庁執行部は神祇院復活の夢を見ている」と話すのを聞き,かなり戸惑った。(中略)ただ,神祇院的な上意下達の中央集権体制を理想とする考えが一部で脈々と受け継がれているようだ,と考えるようになった。
 ある神職が「神祇院の幹部も神社本庁に合流しましたから,いろんな面で神祇院的なものを受け継いだわけです」と解説してくれたこともある。確かに,神祇院が解散した翌日に神社本庁は発足している。こうして神社本庁は,約八万もの神社を神祇院から引き継いだ。事実上の後継団体と言っていいだろう。その精神性の一部が受け継がれたと考えても,穿ちすぎではあるまい。

 (本書p.256~p.257)

 神祇院的な思想・体質を引き継いだ神社本庁は,占領軍が日本を去り,神社界の結束がゆるむと,上命下服のための人事権を利用して中央集権的な統制を強めたという。

 例えば,まだ記憶に新しい富岡八幡宮の宮司惨殺事件にしても,職員宿舎売却をめぐる不正取引にしても,あるいは相次ぐ有名神社の離脱にしても,こうしたさまざまなトラブルの背景に,神社本庁による中央集権的な神社界支配という構造的な問題があることは言うまでもない。

 こういう神祇院的な腐った構造がいまだに神社界に残存しているのも,先の戦争を清算できていないことにその根っこがある。日本の敗北は国家神道の敗北にほかならない。そのことを認めようとせず,再び国民を国家神道イデオロギーとアジア侵略戦争へと総動員するシステムの中核をなすのが神社本庁なのである。その意味で,神社本庁というのは戦後日本の最も醜い姿を映し出す鏡だと私は思っている。

 一方で本書は,こうした国家との縫合・一体化を目指す流れに抗う動きが,神社界にあることも指摘している。すなわち,葦津珍彦をイデオローグとする神社連盟的な方向に進もうとする動きである。

 「支部あっての神社本庁なのに転倒している。神社は一つの教学ではない。だからこそ,ゆるやかな連帯の神社連盟案を葦津珍彦さんたちが訴え,神社本庁は結成されたのではありませんか」(本書p.253)

 こういう神社連盟への動きがこれまで途絶えることなく続いていることは事実なのだろうが,国家と癒着・結託して神社教を目指す動きに対して,どこまで歯止めの役割を果たし,最後には神社連盟的な組織に編成替えできるのかについては全く不透明というか,その道は険しいようにも見える。だが,昨今の神社界のトラブルや有名神社の離反,さらには「限界宗教法人」と言われる地方の神社の疲弊ぶりなどを見ると,今の神社本庁を中心とした神社界のあり方がそろそろ限界に来ており,そろそろ体制変革の時なのかもしれないとも思う。

 最初にも書いたように本書は,右傾化が進む日本の中で神社本庁が果たしてきた役割にスポットを当てて検証したルポだが,具体的には,例えば「建国記念の日」制定や靖国神社国家護持・公式参拝運動,元号の法制化,終戦50年決議反対,国旗国歌法制化,「昭和の日」制定,教育基本法改正,夫婦別姓反対,そして憲法改正運動などに神社本庁は取り組み,それなりの成果を上げて右傾化を牽引してきた。

 「明治の日」の実現を目指すこうした動きを警戒する声もある。国家神道に詳しい島薗進は「戦前の国家神道的な社会に戻したいという流れの一つでしょう」と指摘する。「建国記念の日」制定(一九六六年),元号法制定(七九年),「昭和の日」制定(二〇〇七年)といった流れの延長線上にあるという見解だ。(本書p.220)

 こうした神社本庁の政治運動が,神道政治連盟(および神政連国会議員懇談会)や日本会議などの政治団体と連携して行われてきたことも本書で詳らかになっている。そのように本書は右派政治運動の流れの中に神社本庁を位置づけているため,前に紹介した安田浩一さんの『「右翼」の戦後史』と,組織や人脈などで
なる部分も多かった。その分,政教分離や国家神道といった宗教システムについての掘り下げが浅いので,そのあたりに関心のある方には,ちょっと物足りない内容かもしれない。

 だが宗教システム論としては,島薗進氏の『国家神道と日本人』(岩波新書)に依拠しながら,葦津珍彦の国家神道観が紹介されているところが,私には興味深かった。葦津も結局は国家神道の呪縛から免れていなかったわけで,葦津の功罪をはっきりと見定めなければいけないと思った。ちょっと長いが,引用しておく。

 島薗によれば,国家神道とは明治維新以降,国家と結びつき発展した神道の一形態を指す。皇室神道,神社神道,国体(天皇中心の国家体制)の教義から構成され,それらを学校・軍隊での教育勅語や軍人勅諭,皇室祭祀と深く結びついた祝祭日,天皇崇敬を説くメディアが結びつけていた。これらの総体が国家神道という定義づけだ。
 ところが葦津らは,国家神道を狭く解釈し,皇室祭祀が戦前の日本社会に大きな影響力を及ぼしたことには触れようとしない。「そこには皇室祭祀・皇室神道を宗教,神道としては捉えないという断固たる戦略が見て取れる」というのである。
 なぜか――。それは,皇室祭祀・皇室神道がもし「宗教」なのであれば,戦後の新憲法が政教分離を原則とする以上,その制約下に置かれることになる。ところが,皇室の祭祀・神道が「宗教」ではないとすれば,国民全体を包み込む公的制度としての意義をもちうることになるだろう。葦津の基本戦略はここにあると,島薗は考える。

 (本書p.82~p.83)

 葦津が「神社界のイデオローグ」とか「葦津なくして今日の神社界はなし」と言われる所以である。私たちは今も葦津の基本戦略の中にいる。葦津にとって,戦前の国家神道とは行政官僚が中央集権的に神社を支配する官僚主義システムとして解釈されており,だから神社本庁発足の際に,神祇院的・官僚的色彩の濃厚な神社教案に反対したのであった。葦津の求めた神社連盟の方向性は是認できるとしても,しかしそこにも国家神道に向かう危険性は孕んでいるわけである。実際,国家と神社神道を切り離す神道指令において天皇の祭祀は不問とされたことで,国家神道は戦後,形を変えて生き残った。戦前回帰,国家神道復活の動きは,皇室祭祀をテコに活性化したわけで,それを牽引するのが神社本庁であり,そこに右派政治団体が合流して,今の右傾化という由々しき事態が生まれた。結論としては,戦前回帰や国家神道の復活を阻むためには,神社神道に国家や皇室は介入しない,させてはいけないということになろう。そのためにも政教分離という原則を徹底していくことだ。

 やがて,昭和に入って戦争が始まると,内務省神社局は神祇院となり,(中略)神祇院は神道の神々を観念神,自然神,人格神にわける作業に取りかかった。人々に恵みをもたらし,生活の支えとなってくれる古来の神々は祀るべきでないとされ,山川草木を神々と見なす信仰は迷信邪教,淫祠だと貶められた。(本書p.229)

 神道はもう一度,神々の原初の姿を見出し,その信仰に戻るべきであろう…。

929円
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目 次
プロローグ――富岡八幡宮惨殺事件
第一章 富岡八幡宮と特攻警察
第二章 神社界のツートップ
第三章 神社本庁の誕生
第四章 神社界の反撃
第五章 靖国神社国家護持への胎動
第六章 日本を守る会
第七章 靖国ふたたび
第八章 有名神社の離反
第九章 明治神宮、力の源泉
エピローグ――神社はどこへ

侵略 くらし・快適・ハーモニー

マスコミに載らない海外記事

2018年11月18日 (日)

シリアにおけるワシントンの弱い立場

Washington’s Weak Hand in Syria

2018年11月4日
Tony Cartalucci
New Eastern Outlook

 ダマスカスと同盟国が、シリアの大都市やユーフラテス西岸のシリア領土の圧倒的多数をしっかり管理しており、シリアに対するアメリカ率いる代理戦争は、単に失敗しただけではない。

ロシアとイランの戦力がずっと関与することで、更なる地域がダマスカス支配下に復帰することはほとんど避けられないように思われる。

 だが、アメリカはまだユーフラテス東岸を保持しており、アメリカ政策立案者がほくそえんでいる通り、シリア石油の富の大半は、アメリカ部隊によって不法占領された領域に含まれている。

 トルコ軍隊の存在と、絶えず変わり続けるアンカラの狙いと、同盟のおかげで、北部の都市イドリブと周辺地域の未来はまだ曖昧だ。

 戦争が最終的に終わる前に、自らの立場を強化すべく、代理戦争に関係する双方が、外交的、政治的、軍事的に多くの政策を追求している。

 ダマスカスのための西シリア全体での決定的な軍事的勝利で、ロシアとイランは、外国に支援される戦士に対するシリア勝利の大黒柱役を果たした。

シリアの国内、国外での外交的努力も継続し、政府に反対している多くの集団にさえ、恩赦と和解を申し出ることを含め、戦争をすべてシリアに有利に終わらせる上で重要な役割を果たしている。

 アメリカは、世界中での侵略戦争や数十年にわたる軍事占領で手を広げすぎ、地政学的影響力を大幅に弱め、軍事的、政治的に有利な状況を作り出すよりも、政治的策略に依存するようになっている

 でっち上げの化学兵器攻撃と、益々滑稽で、根拠もない人権侵害の非難が、かつてアメリカの軍事力がそうだった場所を占めている。

 このような策略の反復的な性格は、ワシントンの無能さをさらし、更にそれを悪化させるという悪循環プロセスを増すばかりだ。

それにもかかわらず - ワシントンと、政治的、外交、諜報分野の幹部、この悪循環プロセスに力を注ぎ込み続けている。

 それゆえ、アメリカがまだシリアに軍隊を配備しており、連続的にただシリアでの平和を妨害しようと努めるのみならず、イランも同じ代理戦争の痛みで汚染させようとしている中 - ダマスカスとその同盟国の辛抱強い忍耐が、シリアとより広い中東で、ワシントンを完全に失敗させるだろう。

 人道的な影響力を求める

 シリアでのアメリカ代理戦争が崩壊し続ける中、ワシントンは利用できる、あらゆる影響力を求め続けている。これには、シリアでの惨事を、バッシャール・アル・アサド大統領に率いられた現政府のせいにしようとし、ダマスカスを「残忍な政権」として描く見出しで、報道機関を溢れさせていることも含まれる。

アサド大統領の継続的な支配を含む、あらゆる政治的解決は考慮に値しないとまで主張するほど、シリア政府のイメージを駄目にすることをワシントンは望んでいる。

 だが、どの策略も、アメリカと同盟国は、シリア国内の反政府派、2011年に彼らが引き起こすのを手伝った戦争もそうだったようが外国製だったのみならず、アメリカがシリアに関与し続けるための口実である人道的要素も同じであることを再確認しているに過ぎない。

 「インディペンデント」記事「」はこの好例だ。

 論文は、人権支援団体になりすましているが、実際はシリアに対する欧米プロパガンダ戦争の様々な要素の一つに過ぎないイギリスを本拠とするフロント組織の一つ「自由のための家族」創設者アミナ・ホウラニによって書かれている。

 は、 、、と、に「支持されている」ことを認めている。いずれも、すべてシリア政府打倒を企み、そうするため、シリアに送られる過激派戦士を武装させ、資金供給することに共謀している欧米企業や欧米政府に資金供給された財団だ。

 記事は、ホウラニと彼女の家族は単なる平和的な活動家で、2012年までに、シリア軍が、抗議を止めるため、彼女の家族と友人たちを一斉検挙し、都市に爆弾投下したと主張して、シリアの対立の歴史を書き換えようと試みている。

 ホウラニは、こう主張している。

シリアの内戦が始まる前、私は、夫と子供たちと他の親しい家族と一緒に、ダマスカスの郊外のダラヤと呼ばれる小都市に住んでいました。
私はダマスカス中心部の高校で歴史教師として働いていて、それを愛していました。そして私は人権擁護への強い熱情を持った活動家でした。私は常にシリアが圧制的な、残忍な体制によって支配されていることを知っていました。2011年の蜂起前、長いこと、シリアの人々は人権、表現の自由を持っておらず、国には確実に民主主義がありませんでした。

息子のバッシャールが2000年7月に継ぐまで、ハフェッツ・アサド時代、強制失踪行方と拘留は当たり前のことでした。

 彼女はこうも言っている。

2012年8月20日にダラヤ大虐殺が始まりました。それは6日間続きました。それはエイド祭日のすぐ後でした。政権は都市への進入経路と避難経路を封鎖しました。爆撃が始まったのはその時でした。彼らは迫撃砲、ミサイルや、あらゆる種類の爆弾を使いました。彼らは何を目標にするか気にしていませんでした。

 実際には、が、2011年の終わりまでに、ホウラニの組織を含め、アル・ヌスラ戦線のようなテロ組織は既に全ての主要シリア都市で活動していた。

 シリア軍は、平和的な活動家を一斉検挙しておらず、抗議行動参加者に爆撃してはいなかった。彼らは武装テロリストと戦い、彼らに物質的支持を提供している人々を逮捕していた。

 ホウラニの宣伝攻勢によって実証される人権擁護の乱用は、2011年にシリア戦争が始まって以来、中心的役割を演じてきた。

ワシントン自身認めているが、対シリア代理戦争は、2011のずっと前に計画されており、2007年という早い時期から、過激派組織は育てられ、武器を与えられ、資金供給されていた2011年の「アラブの春」も、最終的に「跳躍する」何年も前から同様に計画され、準備されていた。

 抗議行動は外国が支援する武装破壊活動を開始する煙幕として機能したに過ぎない。

 人権侵害の主張は、同じ年にリビアを侵略し、破壊するため、アメリカとそのNATO同盟国により、口実として使用された。リビア戦争によく似た、素早い反復を、ワシントンはシリアで狙っていた。リビアで戦った欧米が武装させた過激派闘士の多くが、トルコ経由で、シリアに配転されて、イドリブと、アレッポの大部分の占領に参加したのだ。

 本質的に、2011年から、リビアのすべてと、シリアの多くを破壊した壊滅的戦争を画策して、人類に対する計画的犯罪を行ったのは、アメリカと同盟諸国だった依然効力がある欧米によるメディアの独占で、ワシントンによる連続的な武装侵略行為の被害者が、実際は加害者だと信じるよう、一般大衆は、いまだに方向づけられている。外国に支援された武装過激派に反撃して戦っている政府が「残忍な独裁制」で、テロ組織と、彼らを支援している人々が「活動家」と「自由の闘士」なのだと。

 インデペンデント紙に掲載されるホウラニのような記事は、既に疲弊し、打撃を受け、乱用された「人道」口実から、まだ残る何らかの影響力を絞り出し、人々の認識を形成しようとするものだ。

 これら「人権唱導者」や、彼らに資金を供給する連中の正体や、その狙いをあばき続けることにより、本物の人権に対する配慮の正当性を守り、前者が、後者にとって最も大きな危険となるのことから守ることが可能になるかもしれない。

 シリア紛争が結論に近づくなか、アメリカは「人道的懸念」の陰に隠れて、特にプロパガンダの形で、政治的策略を繰り出し続けると予想できるあらゆる徹底的な危険な軍のエスカレーションが禁じられているため、アメリカには、ほとんど他のカードと残っていない。「人道」カードはワシントンに有利な譲歩を引き出すことはありそうになく、このカードの継続的、反復的な乱用は、アメリカの政策当局によって使われる至るところで、一層この策略に悪影響を及ぼすことになる。

 Tony Cartalucciは、バンコクに本拠を置く地政学専門家、著者で、これはオンライン誌“”独占記事。

記事原文のurl:

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だれが「侵略」を殺すのか

じじの呪文もきかず我が家に悪霊が上矢印
悪魔払いも終わった🍊みかん君です
どうもこんばんは(^-^*)/
昨日は愚痴ブログにお付き合いくださりありがとうですm(__)m
そしてお騒がせしましたf^_^;そんな時もあります…
でも、少しはメンタル強くなりました(^-^)
今日は通常営業でっ!さーいらっしゃいっおいで

淡い思い出と神様から…

昨日の苦戦する夜間戦の最中…イヤフォンで音楽ききながら寝たら
にゃにゃんとぉ良い夢をみたっ❤これは神様からのプレゼント
なのか!?「おぬしも苦労しておるのぉ…せめて夢だけは
良い夢をみせてやろう」ほれっ🙌←こんな感じか!?笑
見た夢は高校生の時3年間思い続けた彼。。。一緒のクラスは
たった一年間。お互い相思相愛だったと思われる!?なぜなら
一年間鉛筆をもって来なかったからwいつもどんな時も
私に借りにきて…回りでも「お前いい加減に言っちゃえよっ!」
って、ど~んっ!って私の方に突き飛ばされたからっ
確信犯だっ!現行犯だぁ~逮捕だぁ~🚓🚨
でもね、そこがまだまだお互いシャイでケツが青いwそれに
今みたいな時代じゃなかったしね…そんな思いを抱え。私も
手作りのチョコレートを作って。本人を呼びだし…渡せなかった
きっとこの時から私の心の中にいつも後悔という疫病神が
住み着くようになったのだろうf^_^;
この彼はこの年になっても時たま夢の中に友情出演
してくれるw時には告白してたり。現在の再開だったり
後悔した思いを告げてたり…昨日は高校時代に戻って
イヤフォンで方耳ずつ音楽聞こうと、方耳にイヤフォンを
さす時にちゅっ💕とされたw
きゃーっ🙌ぺしっおいでペシッぺしっ懐かしい~感覚っ
もぉ~∞@&#%£¢失礼m(__)m取り乱しましたっ
そんでねっ回りが「お前達~今ちゅっ💕てしてただろっ」って
騒いでからかわれてねw
目が覚めた…なんとも言えない気持ち😳
これはこれからもこんな事があるよ!orこの初々しさを
忘れないで…という夢のお告げなのか謎!?だけど…
ん!?待てよえーいつもこうやって寝れば、こんな夢ばかり
見れる!?宇宙人👽からの侵略も防げるのか?
それかこの力を借りるか?
にゃははー😸それにしても一度好きになっ人は永遠に心の中に
生き続けるんだね…それは女の人だけかな…
男の人は玉砕っ💥次行ってみよー👉って感じするし
あーそんなんあったっけw程度なのかもだけど…
忘れられたくないなっ…頭の片隅にでも住まわせてほしいなっ
お家賃払いますからっ😏出会った縁に感謝…
そして意味があると思いたい(^-^)
きっとね。この彼も常にでてきて夢を見させるのはいつの時も
僕の時みたいに後悔をしないでってメッセージなんだと思う。
なのにそのメッセージにきずかないで、後悔する選択をして
しまったり。昨日も出てきたという事は慰めなのかな…
そう思いたい
ってな訳で…
そんな感じで…
では良い週末を😁
ま~た明日~バイバイ
おやすみなさい🌃
いつも変わらぬ愛を込めて…
下矢印2度目の特別出演~

侵略 好きなひとが、できました。

 

飲み過ぎた次の日はグロッキー
朝は起きるのが遅かったし・・・それは体調不良だったから
そんな日は簡単な料理で
でも、栄養もつけたいし
冷蔵庫開けたら卵ポロリ
ぱりっと割れたので卵焼きにしちゃいました
あっ!
ケチャップをかけるのをワスレテました
昨日は何をするでもなくゴロゴロしちまった
というか、
ケーブルテレビでSPECを1話から放送してたので見入ってしまった
何度見ても面白い作品は面白いです
さて、今朝は銀河鉄道999の劇場版を放映していたので懐かしく見入っていました
銀河鉄道999も良い作品です
人生訓みたいば事が節々に織り込まれているので若い人に見てほしい作品です
そんな作品を観ながら朝飯を
劇場版の銀河鉄道999の鉄郎はかっこよすぎ
やっぱ原作のように不細工にしてほしかった
それと海苔は炙りたかったけど、炙るものがなくてこれも残念でした
さて、週末まとめて残念なNewsにぶつぶつ
政府と意見が一致しているじゃないですか
政府も普天間をどかしたいのに、邪魔をしているのは自分達だと気が付かないところが変なとこ
問題になっているのは、移転の一点のはず
まぁ反対しているのは日本人じゃない人たちが多いのでおのずと後ろが見えますね
アメリカは怖い国です
いさかいを抑えた黒人が、駆け付けた警察官に撃ち殺されるって
目撃者曰く
「その場にいた全員が『警備員だよ!その人は警備員!』と悲鳴のような叫び声を上げた」
警官は、「銃を持った黒人を見たら基本的に殺すんだ」
と語っと
さてさて極東亜細亜の盲腸半島のお話なネタが尽きませんね
刈上げ坊ちゃんは
IAEAは、北朝鮮が朝鮮半島の非核化で合意した後も核施設を稼働させているって
どこまでも嘘を付く気なのでしょうね
それなのに、南のつかいっぱは地雷に続いて・・・
スピーカーも撤去して・・・・
刈上げ坊ちゃんの受け入れ準備中?
もしかして、ムンムンは北から送り込まれた工作員だったりして
そんな南のムンムンに嫌気がさし始めた感じの米国
南の核武装化構想が露呈ですね
その核兵器が向く先は日本
記事中に
韓国がメコン川周辺のラオス、カンボジア、ミャンマー、ベトナム、タイの首脳らに対し「韓国-メコン首脳会議」を来年開催したい意向を伝える
ダム決壊はほったらかしなのに?
東南アジアが韓国によって荒らされている事が観ていてつらいですね
こんなことをやっていれば、日米から切られるのも時間の問題
どう対応してくるのか楽しみですね
こっそり泣きついてきているようですけど、
政府も事務方も売春婦問題の二の舞にならな様に、門前払いをすべきでしょう
気を許せば付け入る最低な人種ですから
造った歴史で世界のも迷惑かまくっています
自分たちも侵略されて辛い思いをしたと思い込みたいようですが、歴史は嘘を付けません
そんな盲腸半島に忖度する日本の政党
タイトルがおかしいですね
共産党の反対で議員決議ができなかったのです
全員一致が原則なので、共産党が反対をしたので決議できなかったのです
どこの国の政党なのでしょうね
消えてほしい政党です
盲腸半島や赤い大地に手を焼いてるのに、ベトナム人の犯罪が増えてきているのも困りものです
さらに、上げられた税金が外国人に不法医療に使われている事実
社会保障費が足りないのに、外国人に不法に利用されているのが悔しいです
対策としてパスポートと一緒に外国人の保険証を提示させたりl、
国家間で、医療費を払わない人の費用は大使館が支払う様に条約を結んだ国の人のみ受けさせるなんてことも必要かも
そもそも生活保護を受けている外国人は強制送還させるべき
このNewsに吃驚!
632杯?
普通の蕎麦何杯分?
よく体の中に入りますよね

侵略はどこへ向かっているのか

 現在の日本の右傾化について考える場合,神社本庁を検討することは欠かせないであろう。というわけで本書を読んでみたのだが,なかなか興味深い内容であった。最初にひと言で感想を述べるとすれば,もう神社本庁は潰した方がよいのではないかということである。解体して,横の連帯を持った新たな連盟的な組織,互助的な組織として再出発した方がよい。

 「本庁」という名称からして,官庁と勘違いする人も多いかもしれないが,神社本庁はれっきとした宗教法人であり,一民間組織である。本書に詳しく説明がある通り,宗教法人は包括法人と被包括法人に分けられ,前者は寺社などの宗教団体を束ねる宗派・教団のことで,後者はそこに加わる寺院や神社などを指す。包括法人に加わらない寺社は単立宗教法人と呼ぶらしい。

 神社界の包括法人が神社本庁であり,被包括法人はその下に束ねられる大小さまざまな神社であり,その数,全国に約8万だという。この〈包括―被包括〉の関係が上下関係,支配・被支配の関係となって矛盾を抱え込むわけだが,そもそも旧官国弊社のような大神社や有名神社と地方の中小神社とでは,同じ神社といっても教義や経済基盤などは全く異なり,それらを一括して統率・支配しようとすること自体に無理があるだろう。

 本来多様であった神社神道を一緒くたにして,中央集権的に包摂・統率しようというこうした仕組みに,戦前の国家神道の影を見る人も少なくないはずだ。それは,民主主義国家を保障するための政教分離の否定であると同時に,神社を一つの教学(神社教)に一元化して国家公認イデオロギーにしようという戦前回帰への道なのである。先ほど神社本庁は一民間組織であると書いたが,実態はそれを超えて,国家権力や靖国神社などの大神社と結んで,再び「神の国」,神道国家を目指そうとする極めて政治的色彩の濃い準国家機関と見なすことができよう。

 その意味で,神社本庁が,「神道指令」(1945年)によって廃止された「神祇院」の体質や方針を引き継いでいるという本書の指摘は極めて重要である。「神祇院」とは戦前,国民教化の中心となった国家機関である。

 取材を始めた当初,今の神社本庁のあり方に否定的な人々が「神社本庁執行部は神祇院復活の夢を見ている」と話すのを聞き,かなり戸惑った。(中略)ただ,神祇院的な上意下達の中央集権体制を理想とする考えが一部で脈々と受け継がれているようだ,と考えるようになった。
 ある神職が「神祇院の幹部も神社本庁に合流しましたから,いろんな面で神祇院的なものを受け継いだわけです」と解説してくれたこともある。確かに,神祇院が解散した翌日に神社本庁は発足している。こうして神社本庁は,約八万もの神社を神祇院から引き継いだ。事実上の後継団体と言っていいだろう。その精神性の一部が受け継がれたと考えても,穿ちすぎではあるまい。

 (本書p.256~p.257)

 神祇院的な思想・体質を引き継いだ神社本庁は,占領軍が日本を去り,神社界の結束がゆるむと,上命下服のための人事権を利用して中央集権的な統制を強めたという。

 例えば,まだ記憶に新しい富岡八幡宮の宮司惨殺事件にしても,職員宿舎売却をめぐる不正取引にしても,あるいは相次ぐ有名神社の離脱にしても,こうしたさまざまなトラブルの背景に,神社本庁による中央集権的な神社界支配という構造的な問題があることは言うまでもない。

 こういう神祇院的な腐った構造がいまだに神社界に残存しているのも,先の戦争を清算できていないことにその根っこがある。日本の敗北は国家神道の敗北にほかならない。そのことを認めようとせず,再び国民を国家神道イデオロギーとアジア侵略戦争へと総動員するシステムの中核をなすのが神社本庁なのである。その意味で,神社本庁というのは戦後日本の最も醜い姿を映し出す鏡だと私は思っている。

 一方で本書は,こうした国家との縫合・一体化を目指す流れに抗う動きが,神社界にあることも指摘している。すなわち,葦津珍彦をイデオローグとする神社連盟的な方向に進もうとする動きである。

 「支部あっての神社本庁なのに転倒している。神社は一つの教学ではない。だからこそ,ゆるやかな連帯の神社連盟案を葦津珍彦さんたちが訴え,神社本庁は結成されたのではありませんか」(本書p.253)

 こういう神社連盟への動きがこれまで途絶えることなく続いていることは事実なのだろうが,国家と癒着・結託して神社教を目指す動きに対して,どこまで歯止めの役割を果たし,最後には神社連盟的な組織に編成替えできるのかについては全く不透明というか,その道は険しいようにも見える。だが,昨今の神社界のトラブルや有名神社の離反,さらには「限界宗教法人」と言われる地方の神社の疲弊ぶりなどを見ると,今の神社本庁を中心とした神社界のあり方がそろそろ限界に来ており,そろそろ体制変革の時なのかもしれないとも思う。

 最初にも書いたように本書は,右傾化が進む日本の中で神社本庁が果たしてきた役割にスポットを当てて検証したルポだが,具体的には,例えば「建国記念の日」制定や靖国神社国家護持・公式参拝運動,元号の法制化,終戦50年決議反対,国旗国歌法制化,「昭和の日」制定,教育基本法改正,夫婦別姓反対,そして憲法改正運動などに神社本庁は取り組み,それなりの成果を上げて右傾化を牽引してきた。

 「明治の日」の実現を目指すこうした動きを警戒する声もある。国家神道に詳しい島薗進は「戦前の国家神道的な社会に戻したいという流れの一つでしょう」と指摘する。「建国記念の日」制定(一九六六年),元号法制定(七九年),「昭和の日」制定(二〇〇七年)といった流れの延長線上にあるという見解だ。(本書p.220)

 こうした神社本庁の政治運動が,神道政治連盟(および神政連国会議員懇談会)や日本会議などの政治団体と連携して行われてきたことも本書で詳らかになっている。そのように本書は右派政治運動の流れの中に神社本庁を位置づけているため,前に紹介した安田浩一さんの『「右翼」の戦後史』と,組織や人脈などで
なる部分も多かった。その分,政教分離や国家神道といった宗教システムについての掘り下げが浅いので,そのあたりに関心のある方には,ちょっと物足りない内容かもしれない。

 だが宗教システム論としては,島薗進氏の『国家神道と日本人』(岩波新書)に依拠しながら,葦津珍彦の国家神道観が紹介されているところが,私には興味深かった。葦津も結局は国家神道の呪縛から免れていなかったわけで,葦津の功罪をはっきりと見定めなければいけないと思った。ちょっと長いが,引用しておく。

 島薗によれば,国家神道とは明治維新以降,国家と結びつき発展した神道の一形態を指す。皇室神道,神社神道,国体(天皇中心の国家体制)の教義から構成され,それらを学校・軍隊での教育勅語や軍人勅諭,皇室祭祀と深く結びついた祝祭日,天皇崇敬を説くメディアが結びつけていた。これらの総体が国家神道という定義づけだ。
 ところが葦津らは,国家神道を狭く解釈し,皇室祭祀が戦前の日本社会に大きな影響力を及ぼしたことには触れようとしない。「そこには皇室祭祀・皇室神道を宗教,神道としては捉えないという断固たる戦略が見て取れる」というのである。
 なぜか――。それは,皇室祭祀・皇室神道がもし「宗教」なのであれば,戦後の新憲法が政教分離を原則とする以上,その制約下に置かれることになる。ところが,皇室の祭祀・神道が「宗教」ではないとすれば,国民全体を包み込む公的制度としての意義をもちうることになるだろう。葦津の基本戦略はここにあると,島薗は考える。

 (本書p.82~p.83)

 葦津が「神社界のイデオローグ」とか「葦津なくして今日の神社界はなし」と言われる所以である。私たちは今も葦津の基本戦略の中にいる。葦津にとって,戦前の国家神道とは行政官僚が中央集権的に神社を支配する官僚主義システムとして解釈されており,だから神社本庁発足の際に,神祇院的・官僚的色彩の濃厚な神社教案に反対したのであった。葦津の求めた神社連盟の方向性は是認できるとしても,しかしそこにも国家神道に向かう危険性は孕んでいるわけである。実際,国家と神社神道を切り離す神道指令において天皇の祭祀は不問とされたことで,国家神道は戦後,形を変えて生き残った。戦前回帰,国家神道復活の動きは,皇室祭祀をテコに活性化したわけで,それを牽引するのが神社本庁であり,そこに右派政治団体が合流して,今の右傾化という由々しき事態が生まれた。結論としては,戦前回帰や国家神道の復活を阻むためには,神社神道に国家や皇室は介入しない,させてはいけないということになろう。そのためにも政教分離という原則を徹底していくことだ。

 やがて,昭和に入って戦争が始まると,内務省神社局は神祇院となり,(中略)神祇院は神道の神々を観念神,自然神,人格神にわける作業に取りかかった。人々に恵みをもたらし,生活の支えとなってくれる古来の神々は祀るべきでないとされ,山川草木を神々と見なす信仰は迷信邪教,淫祠だと貶められた。(本書p.229)

 神道はもう一度,神々の原初の姿を見出し,その信仰に戻るべきであろう…。

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目 次
プロローグ――富岡八幡宮惨殺事件
第一章 富岡八幡宮と特攻警察
第二章 神社界のツートップ
第三章 神社本庁の誕生
第四章 神社界の反撃
第五章 靖国神社国家護持への胎動
第六章 日本を守る会
第七章 靖国ふたたび
第八章 有名神社の離反
第九章 明治神宮、力の源泉
エピローグ――神社はどこへ


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五月雨の夜、相続人が決まらずに死んだ大鐘婆の霊が田畑を侵略し、自分の家の物だと主張する。-No.193《悲運「大鐘婆の火」》
…ケイ(・クギミヤ)がラ・ギアスのあの女性が出会ったら恐ろしいコンビ結成間違いないな。捕らえられたシュテドニアスやウルガルの兵のメシは激甘ナイトメア。ま、侵略者の人権考える義務はないが。(笑)砂糖だらけのカツ丼食べて反省してくれ。
RT @akihiko0817: 中国共産党始め反日勢力が、日本軍の「強制連行」「細菌部隊」「大虐殺」などのプロパガンダを行う理由は明らかだ。
以前は「侵略」と言えばインパクトがあった。
が、白人諸国も侵略をやっているではないか、となり、日本の残虐さをよりアピールしなくてはなら…
@yamako_h ゲロゲロリ!ペコポン人をケロリン湯桶で侵略するであります!🐸

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