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てれビ~ム侵略

 現在の日本の右傾化について考える場合,神社本庁を検討することは欠かせないであろう。というわけで本書を読んでみたのだが,なかなか興味深い内容であった。最初にひと言で感想を述べるとすれば,もう神社本庁は潰した方がよいのではないかということである。解体して,横の連帯を持った新たな連盟的な組織,互助的な組織として再出発した方がよい。

 「本庁」という名称からして,官庁と勘違いする人も多いかもしれないが,神社本庁はれっきとした宗教法人であり,一民間組織である。本書に詳しく説明がある通り,宗教法人は包括法人と被包括法人に分けられ,前者は寺社などの宗教団体を束ねる宗派・教団のことで,後者はそこに加わる寺院や神社などを指す。包括法人に加わらない寺社は単立宗教法人と呼ぶらしい。

 神社界の包括法人が神社本庁であり,被包括法人はその下に束ねられる大小さまざまな神社であり,その数,全国に約8万だという。この〈包括―被包括〉の関係が上下関係,支配・被支配の関係となって矛盾を抱え込むわけだが,そもそも旧官国弊社のような大神社や有名神社と地方の中小神社とでは,同じ神社といっても教義や経済基盤などは全く異なり,それらを一括して統率・支配しようとすること自体に無理があるだろう。

 本来多様であった神社神道を一緒くたにして,中央集権的に包摂・統率しようというこうした仕組みに,戦前の国家神道の影を見る人も少なくないはずだ。それは,民主主義国家を保障するための政教分離の否定であると同時に,神社を一つの教学(神社教)に一元化して国家公認イデオロギーにしようという戦前回帰への道なのである。先ほど神社本庁は一民間組織であると書いたが,実態はそれを超えて,国家権力や靖国神社などの大神社と結んで,再び「神の国」,神道国家を目指そうとする極めて政治的色彩の濃い準国家機関と見なすことができよう。

 その意味で,神社本庁が,「神道指令」(1945年)によって廃止された「神祇院」の体質や方針を引き継いでいるという本書の指摘は極めて重要である。「神祇院」とは戦前,国民教化の中心となった国家機関である。

 取材を始めた当初,今の神社本庁のあり方に否定的な人々が「神社本庁執行部は神祇院復活の夢を見ている」と話すのを聞き,かなり戸惑った。(中略)ただ,神祇院的な上意下達の中央集権体制を理想とする考えが一部で脈々と受け継がれているようだ,と考えるようになった。
 ある神職が「神祇院の幹部も神社本庁に合流しましたから,いろんな面で神祇院的なものを受け継いだわけです」と解説してくれたこともある。確かに,神祇院が解散した翌日に神社本庁は発足している。こうして神社本庁は,約八万もの神社を神祇院から引き継いだ。事実上の後継団体と言っていいだろう。その精神性の一部が受け継がれたと考えても,穿ちすぎではあるまい。

 (本書p.256~p.257)

 神祇院的な思想・体質を引き継いだ神社本庁は,占領軍が日本を去り,神社界の結束がゆるむと,上命下服のための人事権を利用して中央集権的な統制を強めたという。

 例えば,まだ記憶に新しい富岡八幡宮の宮司惨殺事件にしても,職員宿舎売却をめぐる不正取引にしても,あるいは相次ぐ有名神社の離脱にしても,こうしたさまざまなトラブルの背景に,神社本庁による中央集権的な神社界支配という構造的な問題があることは言うまでもない。

 こういう神祇院的な腐った構造がいまだに神社界に残存しているのも,先の戦争を清算できていないことにその根っこがある。日本の敗北は国家神道の敗北にほかならない。そのことを認めようとせず,再び国民を国家神道イデオロギーとアジア侵略戦争へと総動員するシステムの中核をなすのが神社本庁なのである。その意味で,神社本庁というのは戦後日本の最も醜い姿を映し出す鏡だと私は思っている。

 一方で本書は,こうした国家との縫合・一体化を目指す流れに抗う動きが,神社界にあることも指摘している。すなわち,葦津珍彦をイデオローグとする神社連盟的な方向に進もうとする動きである。

 「支部あっての神社本庁なのに転倒している。神社は一つの教学ではない。だからこそ,ゆるやかな連帯の神社連盟案を葦津珍彦さんたちが訴え,神社本庁は結成されたのではありませんか」(本書p.253)

 こういう神社連盟への動きがこれまで途絶えることなく続いていることは事実なのだろうが,国家と癒着・結託して神社教を目指す動きに対して,どこまで歯止めの役割を果たし,最後には神社連盟的な組織に編成替えできるのかについては全く不透明というか,その道は険しいようにも見える。だが,昨今の神社界のトラブルや有名神社の離反,さらには「限界宗教法人」と言われる地方の神社の疲弊ぶりなどを見ると,今の神社本庁を中心とした神社界のあり方がそろそろ限界に来ており,そろそろ体制変革の時なのかもしれないとも思う。

 最初にも書いたように本書は,右傾化が進む日本の中で神社本庁が果たしてきた役割にスポットを当てて検証したルポだが,具体的には,例えば「建国記念の日」制定や靖国神社国家護持・公式参拝運動,元号の法制化,終戦50年決議反対,国旗国歌法制化,「昭和の日」制定,教育基本法改正,夫婦別姓反対,そして憲法改正運動などに神社本庁は取り組み,それなりの成果を上げて右傾化を牽引してきた。

 「明治の日」の実現を目指すこうした動きを警戒する声もある。国家神道に詳しい島薗進は「戦前の国家神道的な社会に戻したいという流れの一つでしょう」と指摘する。「建国記念の日」制定(一九六六年),元号法制定(七九年),「昭和の日」制定(二〇〇七年)といった流れの延長線上にあるという見解だ。(本書p.220)

 こうした神社本庁の政治運動が,神道政治連盟(および神政連国会議員懇談会)や日本会議などの政治団体と連携して行われてきたことも本書で詳らかになっている。そのように本書は右派政治運動の流れの中に神社本庁を位置づけているため,前に紹介した安田浩一さんの『「右翼」の戦後史』と,組織や人脈などで
なる部分も多かった。その分,政教分離や国家神道といった宗教システムについての掘り下げが浅いので,そのあたりに関心のある方には,ちょっと物足りない内容かもしれない。

 だが宗教システム論としては,島薗進氏の『国家神道と日本人』(岩波新書)に依拠しながら,葦津珍彦の国家神道観が紹介されているところが,私には興味深かった。葦津も結局は国家神道の呪縛から免れていなかったわけで,葦津の功罪をはっきりと見定めなければいけないと思った。ちょっと長いが,引用しておく。

 島薗によれば,国家神道とは明治維新以降,国家と結びつき発展した神道の一形態を指す。皇室神道,神社神道,国体(天皇中心の国家体制)の教義から構成され,それらを学校・軍隊での教育勅語や軍人勅諭,皇室祭祀と深く結びついた祝祭日,天皇崇敬を説くメディアが結びつけていた。これらの総体が国家神道という定義づけだ。
 ところが葦津らは,国家神道を狭く解釈し,皇室祭祀が戦前の日本社会に大きな影響力を及ぼしたことには触れようとしない。「そこには皇室祭祀・皇室神道を宗教,神道としては捉えないという断固たる戦略が見て取れる」というのである。
 なぜか――。それは,皇室祭祀・皇室神道がもし「宗教」なのであれば,戦後の新憲法が政教分離を原則とする以上,その制約下に置かれることになる。ところが,皇室の祭祀・神道が「宗教」ではないとすれば,国民全体を包み込む公的制度としての意義をもちうることになるだろう。葦津の基本戦略はここにあると,島薗は考える。

 (本書p.82~p.83)

 葦津が「神社界のイデオローグ」とか「葦津なくして今日の神社界はなし」と言われる所以である。私たちは今も葦津の基本戦略の中にいる。葦津にとって,戦前の国家神道とは行政官僚が中央集権的に神社を支配する官僚主義システムとして解釈されており,だから神社本庁発足の際に,神祇院的・官僚的色彩の濃厚な神社教案に反対したのであった。葦津の求めた神社連盟の方向性は是認できるとしても,しかしそこにも国家神道に向かう危険性は孕んでいるわけである。実際,国家と神社神道を切り離す神道指令において天皇の祭祀は不問とされたことで,国家神道は戦後,形を変えて生き残った。戦前回帰,国家神道復活の動きは,皇室祭祀をテコに活性化したわけで,それを牽引するのが神社本庁であり,そこに右派政治団体が合流して,今の右傾化という由々しき事態が生まれた。結論としては,戦前回帰や国家神道の復活を阻むためには,神社神道に国家や皇室は介入しない,させてはいけないということになろう。そのためにも政教分離という原則を徹底していくことだ。

 やがて,昭和に入って戦争が始まると,内務省神社局は神祇院となり,(中略)神祇院は神道の神々を観念神,自然神,人格神にわける作業に取りかかった。人々に恵みをもたらし,生活の支えとなってくれる古来の神々は祀るべきでないとされ,山川草木を神々と見なす信仰は迷信邪教,淫祠だと貶められた。(本書p.229)

 神道はもう一度,神々の原初の姿を見出し,その信仰に戻るべきであろう…。

929円
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目 次
プロローグ――富岡八幡宮惨殺事件
第一章 富岡八幡宮と特攻警察
第二章 神社界のツートップ
第三章 神社本庁の誕生
第四章 神社界の反撃
第五章 靖国神社国家護持への胎動
第六章 日本を守る会
第七章 靖国ふたたび
第八章 有名神社の離反
第九章 明治神宮、力の源泉
エピローグ――神社はどこへ

侵略 やっぱイチバン!

元朝日記者の請求棄却 札幌地裁

元朝日新聞記者の植村隆氏が、慰安婦記事を「ねつ造」と報じられ名誉を傷つけられたとして、元朝日新聞記者の植村隆氏(60)が、ジャーナリストの櫻井よしこ(73)や櫻井氏の記事を掲載した「週刊新潮」の発行元・新潮社など出版3社に損害賠償などを求めた訴訟の判決で、札幌地裁(岡山忠広裁判長)は9日、請求を棄却した。

植村隆記者会見@外国特派員協会 『裁判は不当。控訴して逆転させる』『桜井よし子のせいで大学教授への道を絶たれた』『人身売買で慰安婦にされたとしても、戦時における性暴力の被害者。日本の責任だ』 小野寺弁護士『植村裁判に114名の弁護士がボランティアで参加』→それでも負けたのか。(笑)

言論戦で勝っている!・・・ 何を寝惚けた事を(笑) 正面切っての言論戦から逃げ回り、支援者の力を借りての訴訟という手段でしか向かい合う事をしなかった卑怯者が これ程の厚顔無恥さこそが、元朝日の記者の真骨頂かもしれない

新聞が後からどう書こうが裁判に負けたことが事実であり全てです。

朝鮮半島の考え方に近いですね。

自分が負けを認めなければ負けではない。フルボッコにされようが裁判でボロ負けしようがサッカーで5対0で負けようが自分が認めなきゃ負けではなく、相手にされなきゃ逃げたと騒ぎ立てる。相手にするべきではないですね。

慰安婦問題を作り出した人たち

朝鮮慰安婦問題は、植村氏だけがねつ造したわけではないと思います。20万人ともいわれる朝鮮慰安婦問題は、朝鮮人が作り出した幻想であるという事実を知らない方はまだまだ多いと思います。慰安婦がいなかったと言っているわけではありません。、

韓国と日本の間で常に問題になっているのは日本政府による関与があったか否かなのです。

もともと従軍慰安婦なる言葉自体も存在していません。後から作られた言葉なのです

◆吉田清治(よしだせいじ)

本名=吉田雄兎が1980年代に、大東亜戦争(太平洋戦争)の最中、軍令で朝鮮人女性を強制連行(「慰安婦狩り」)し日本軍の慰安婦にした「私の戦争犯罪」という告白本を出版したところからはじまりました。

ですが、1995年に虚偽による創作による小説だと本人が認めているのです。

実はこの人物はかなり怪しい経歴の持ち主なのです。吉田雄兎が23歳の時に4歳下の朝鮮籍 李貞郁(キム・ヨンダル)なる人物を養子に迎い入れているのです。 実は戦前に吉田雄兎なる人物は既に死亡しているとの記録もあるといわれております。朝鮮人特有のなりすましだったのではないでしょうか。そして養子にした朝鮮人は実弟ではないでしょうか。

必然的に在日朝鮮人ではないかとの疑いが湧いてきます。

◆朝日新聞

朝日新聞(大阪本社版)に、「日中戦争、第2次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』 のうち、1人がソウル市内に生存していたことがわかり、『韓国挺身隊問題対策協議会』が聞き取り作業を始めた」との記事を執筆したのが今回の裁判の主役であった 植村隆記者でなのです。

23年前の1991年の出来事なのです。

後にこれらの記事は誤報であったと朝日新聞は謝罪していますが、英語版の記事は読めないように小細工したり、世間一般では真の謝罪とは受け止められてはいません。

この記事により、「挺身隊」と「慰安婦」が混同したのです。

その後の紙面では一面で「日本軍が慰安所の設置および従軍慰安婦の募集を監督、統制していた」ことを示す資料が見つかった。

挺身隊の名で従軍慰安婦とし強制連行したのは8万から20万人いた」。と報じたのです。

その後、事実関係があいまいなまま 訪韓した当時の宮沢首相は韓国に対し、謝罪と反省を述べることとなったのです。

 ソウル市内で生存していた「元慰安婦」の彼女は「金学順」という実名で記者会見を行っています。

「私は40円で親から売られた」「3年後の17歳の時に義父から売られた」と話しているのです。

彼女は日本政府を相手に訴訟を起こすのですが

訴状内容にも「貧しさゆえにキーセンに売られた」と明確に書いているのです。

植村隆記者は何故その部分を報道しなかったのでしょうか。

実は日本政府への訴訟での金学順の担当弁護士の一人が福島瑞穂なのです。

2014年(平成26年)8月5日になって漸く朝日新聞は植村記者が資料を誤用し、間違った内容を記載したと訂正記事を掲載しました。

2014年8月の検証記事中において、

 (1)元慰安婦の裁判支援をした団体の幹部である義母から便宜を図ってもらった

 (2)元慰安婦がキーセン(妓生)学校に通っていたことを隠し、人身売買であるのに強制連行されたように書いた 

という二点の批判に対し、

(1)については、「挺対協から元慰安婦の証言のことを聞いた、当時のソウル支局長からの連絡で韓国に向かった。義母からの情報提供はなかった」と植村が否定したことを
拠に便宜供与はなかったとし、

(2)についても「証言テープ中で金さんがキーセン学校について語るのを聞いていない」「そのことは知らなかった。意図的に触れなかったわけではない」という植村本人の説明を元に

「事実のねじ曲げは意図的に行われていなかった」「義母との縁戚関係を利用して得た情報には特別な情報はなかった」。と結論付けています。

◆韓国挺身隊問題対策協議会

韓国挺身隊問題対策協議会(かんこくていしんたいもんだいたいさくきょうぎかい)とは、日本軍の慰安婦問題を解決するために1990年に結成された韓国の市民団体です。

ソウル特別市の在大韓民国日本国大使館前で、毎週水曜日に慰安婦への日本国政府の謝罪と誠意ある対応を求めて、デモ活動(水曜デモ)などを行っています。

デモが1000回を超えたことの記念に「慰安婦像」を大使館の目の前に設置したのです。

この団体は反日団体であり親北朝鮮団体でもあります。

2012年に日本国政府が韓国政府に提示した解決策に対して、受け入れ拒否を強く主張していました。元慰安婦の李容洙(イ・ヨンス)さん(86) は、最近発行された週刊誌「未来韓国」の中で 「日本が話し合おうといっているのに。会わずに問題が解決できようか」と挺対協のかたくなな姿勢を問題視していました。

また、挺対協が在韓日本大使館前での毎週行っている抗議集会について「何のためにしているのか分からない。ただ、『謝罪しろ』『賠償しろ』と叫んで集会の回数をこなせばいいというものではない」と疑問を呈しています。李さんはさらに「なぜ自分たちの思うままにやるのか分からない」と挺対協の独善的な姿勢を問題視し、 「抗議を毎週やれば性格も態度も悪くなり、健康にもよくない。挺対協の人たちは闘争家の側にいるようだ」とも批判しています。

元慰安婦の女性が「証言は私の命同然なのに、挺対協は本人に確認もせず、事実とは異なる証言集を出した」と挺対協の情報収集のずさんさも指摘。 「静かな場所で証言を聞かねばならないのに、食事をしながら問答したのが大部分。そのために、(自分の)証言にはめちゃくちゃになったものが多い」とも語っています。

1965年の日韓請求権協定に触れ「日本から援助を受け浦項製鉄を作り、京釜高速道路を建設したのはいいことだ。あの時の金で(韓国が)経済発展をしたのなら、今度は韓国政府が慰安婦問題の解決に積極的になり、日本に先立ち私たちに賠償してほしい」とも述べています。

この団体こそが慰安婦像を設置している団体なの

ですが、本当に慰安婦のことを考えてる女性団体なのだろうか。    

◆福島瑞穂=趙春花

※対談番組で櫻井よしこ氏に慰安婦問題で完全論破される

石原慎太郎は都知事時代に定例記者会見で、「与党党首には親などが帰化した人が多い」

との発言に対し、当時社民党の福島瑞穂党首が不快感を表明、発言の撤回を求めましたが

「差別意識は全くない。彼女を特定したわけじゃない」「帰化した人ではないと言うなら自分で戸籍を明かしたらいい」と述べています、

福島氏
、最初に日本軍の慰安婦だったと名乗った金学順さんの担当弁護士の一人で
「慰安婦問題の仕掛け人」でもあるのです。

 実は金さんが問題にしていたのは「強制連行」ではありません。

慰安所では支払いが「軍票」で行われていました。敗戦によって無効になった「軍票」分を支払ってくれ、という話だったのです。

とするならば、福島氏は初めから金さんが強制連行されていなかったことを知っていたのではと疑いたくなりますよね。

福島瑞穂がNHK出演の元慰安婦へ仕込む、目撃証言、元NHK池田信夫

吉田「従軍慰安婦」 済州島現地取材

福島瑞穂の嘘「チェジュ島で慰安婦問題の調査に行ってません!」→行った証拠がありましたwww

朝日新聞と共に慰安婦の嘘をつかれた方々

~現役国会議員含む

◆村山談話 

戦後50年の節目に当時の総理大臣村山富市氏が、「日本の過去の戦争・植民地支配などの歴史認識問題」に関し、公式的立場で 発表した談話で

す。「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えました」、「痛切な反省の意」「心からのお詫びの気持ち」と発表したのです。

この最大の失策は 「植民地支配」と「侵略」というふたつの過誤を公式に認めたことなのです。

大東亜戦争は植民地支配と侵略ではありません。

村山談話は日本が出すべきものではなく

東南アジアを侵略し植民地政策で掠奪と残虐行為の限りを尽くした 欧米列強であり、終戦から70年以上たった現代においても、隣国を侵略し続け、虐殺行為を行っている中国、そして過去、ベトナム戦争において残虐行為を行なった韓国にこそ発表させるべき談話なのです。

戦争を回避するための外交努力を無視され続けられ、アメリカから突き付けられた「ハル・ノート」により日本は欧米列強から植民地支配されるか、戦って国体護持するかの選択しかなかったのです。

この談話によって韓国の日本による植民地支配、侵略が定義化され、のちの従軍慰安婦問題にまで飛び火し、韓国と日本との併合も植民地と言われ続けられることになったのだ。  

◆河野談話

「河野談話」とは、1993年8月4日に当時の河野洋平官房長官が発表した「慰安婦関係調査結果に関する河野内閣官房長官談話」のことです。

これまで、歴代内閣が継承してきた日本軍「慰安婦」問題についての日本政府の公式見解です。

 「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である」 と従軍慰安婦について旧日本政府の関与があった公式に認めたのです。 「心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」 と元慰安婦に謝罪までしたのだ。 「本人たちの意思に反して行われた」 「慰安所における生活は強制的な状況の下での痛ましいものであった」と、慰安所での強制までもを認めたのです。

※歴史の文献では必ず右側の女性は削られます

笑顔ですからね。

慰安所の設置・管理・移送のことまで、 「直接あるいは間接に」旧日本政府が関与したことを認めたのです。さらに慰安婦の募集についても軍の要請を受けた業者が主としてこれに当り、「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例」が数多くある。 「官憲等がこれに加担したこともあったことが明らかになった」と、業者による誘拐・略取などが数多くあり、軍・官憲の加担もあったと認めたのです。

日本政府が公表した河野談話の作成過程の検証報告書の作成について

①関係省庁や米国立公文書館の文書調査

②旧軍関係者や元慰安所経営者からの聞き取り調査

③韓国の元慰安婦支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会」の慰安婦証言集の分析調査 

などを通じて 「一連の調査を通じて得られた認識は、いわゆる『強制連行』は確認できないというものであった」「『強制性』に関し、これまでの国内における調査結果もあり、歴史的事実を曲げた結論を出すことはできない」と応答したと韓国側に伝えているのです。

それがなぜか、河野談話発表時に旧日本政府が慰安婦を強制連行して性奴隷にしたという嘘に、「政府公認」というお墨付きを与えたのです。

日本政府が長きにわたり、韓国側の主張する強制連行はないとの主張をひっくり返したのです。

河野談話の主な根拠は韓国で実施された元慰安婦十六人への聞き取り調査です。

聞き取り調査の中身が、元慰安婦の氏名もまともに記されておらず、慰安所がなかった場所で働いていたとの証言が複数あるなど極めてずさんなものでした。 談話の作成については韓国側との事前すりあわせがあったとされています。

この談話で今後、韓国は慰安婦問題を終結させるとの裏取引があったとされていますが、真実ならばまたしても騙されたと言わざる得ません。

(参考・引用)

秦郁彦氏の学術書『慰安婦と戦場の性』(初版H11年)  東京基督教大学教授 西岡力『正論』『文藝春秋』 産経新聞 wikipedia植村隆 韓国挺身隊問題対策協議会 吉田清治 参照

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 現在の日本の右傾化について考える場合,神社本庁を検討することは欠かせないであろう。というわけで本書を読んでみたのだが,なかなか興味深い内容であった。最初にひと言で感想を述べるとすれば,もう神社本庁は潰した方がよいのではないかということである。解体して,横の連帯を持った新たな連盟的な組織,互助的な組織として再出発した方がよい。

 「本庁」という名称からして,官庁と勘違いする人も多いかもしれないが,神社本庁はれっきとした宗教法人であり,一民間組織である。本書に詳しく説明がある通り,宗教法人は包括法人と被包括法人に分けられ,前者は寺社などの宗教団体を束ねる宗派・教団のことで,後者はそこに加わる寺院や神社などを指す。包括法人に加わらない寺社は単立宗教法人と呼ぶらしい。

 神社界の包括法人が神社本庁であり,被包括法人はその下に束ねられる大小さまざまな神社であり,その数,全国に約8万だという。この〈包括―被包括〉の関係が上下関係,支配・被支配の関係となって矛盾を抱え込むわけだが,そもそも旧官国弊社のような大神社や有名神社と地方の中小神社とでは,同じ神社といっても教義や経済基盤などは全く異なり,それらを一括して統率・支配しようとすること自体に無理があるだろう。

 本来多様であった神社神道を一緒くたにして,中央集権的に包摂・統率しようというこうした仕組みに,戦前の国家神道の影を見る人も少なくないはずだ。それは,民主主義国家を保障するための政教分離の否定であると同時に,神社を一つの教学(神社教)に一元化して国家公認イデオロギーにしようという戦前回帰への道なのである。先ほど神社本庁は一民間組織であると書いたが,実態はそれを超えて,国家権力や靖国神社などの大神社と結んで,再び「神の国」,神道国家を目指そうとする極めて政治的色彩の濃い準国家機関と見なすことができよう。

 その意味で,神社本庁が,「神道指令」(1945年)によって廃止された「神祇院」の体質や方針を引き継いでいるという本書の指摘は極めて重要である。「神祇院」とは戦前,国民教化の中心となった国家機関である。

 取材を始めた当初,今の神社本庁のあり方に否定的な人々が「神社本庁執行部は神祇院復活の夢を見ている」と話すのを聞き,かなり戸惑った。(中略)ただ,神祇院的な上意下達の中央集権体制を理想とする考えが一部で脈々と受け継がれているようだ,と考えるようになった。
 ある神職が「神祇院の幹部も神社本庁に合流しましたから,いろんな面で神祇院的なものを受け継いだわけです」と解説してくれたこともある。確かに,神祇院が解散した翌日に神社本庁は発足している。こうして神社本庁は,約八万もの神社を神祇院から引き継いだ。事実上の後継団体と言っていいだろう。その精神性の一部が受け継がれたと考えても,穿ちすぎではあるまい。

 (本書p.256~p.257)

 神祇院的な思想・体質を引き継いだ神社本庁は,占領軍が日本を去り,神社界の結束がゆるむと,上命下服のための人事権を利用して中央集権的な統制を強めたという。

 例えば,まだ記憶に新しい富岡八幡宮の宮司惨殺事件にしても,職員宿舎売却をめぐる不正取引にしても,あるいは相次ぐ有名神社の離脱にしても,こうしたさまざまなトラブルの背景に,神社本庁による中央集権的な神社界支配という構造的な問題があることは言うまでもない。

 こういう神祇院的な腐った構造がいまだに神社界に残存しているのも,先の戦争を清算できていないことにその根っこがある。日本の敗北は国家神道の敗北にほかならない。そのことを認めようとせず,再び国民を国家神道イデオロギーとアジア侵略戦争へと総動員するシステムの中核をなすのが神社本庁なのである。その意味で,神社本庁というのは戦後日本の最も醜い姿を映し出す鏡だと私は思っている。

 一方で本書は,こうした国家との縫合・一体化を目指す流れに抗う動きが,神社界にあることも指摘している。すなわち,葦津珍彦をイデオローグとする神社連盟的な方向に進もうとする動きである。

 「支部あっての神社本庁なのに転倒している。神社は一つの教学ではない。だからこそ,ゆるやかな連帯の神社連盟案を葦津珍彦さんたちが訴え,神社本庁は結成されたのではありませんか」(本書p.253)

 こういう神社連盟への動きがこれまで途絶えることなく続いていることは事実なのだろうが,国家と癒着・結託して神社教を目指す動きに対して,どこまで歯止めの役割を果たし,最後には神社連盟的な組織に編成替えできるのかについては全く不透明というか,その道は険しいようにも見える。だが,昨今の神社界のトラブルや有名神社の離反,さらには「限界宗教法人」と言われる地方の神社の疲弊ぶりなどを見ると,今の神社本庁を中心とした神社界のあり方がそろそろ限界に来ており,そろそろ体制変革の時なのかもしれないとも思う。

 最初にも書いたように本書は,右傾化が進む日本の中で神社本庁が果たしてきた役割にスポットを当てて検証したルポだが,具体的には,例えば「建国記念の日」制定や靖国神社国家護持・公式参拝運動,元号の法制化,終戦50年決議反対,国旗国歌法制化,「昭和の日」制定,教育基本法改正,夫婦別姓反対,そして憲法改正運動などに神社本庁は取り組み,それなりの成果を上げて右傾化を牽引してきた。

 「明治の日」の実現を目指すこうした動きを警戒する声もある。国家神道に詳しい島薗進は「戦前の国家神道的な社会に戻したいという流れの一つでしょう」と指摘する。「建国記念の日」制定(一九六六年),元号法制定(七九年),「昭和の日」制定(二〇〇七年)といった流れの延長線上にあるという見解だ。(本書p.220)

 こうした神社本庁の政治運動が,神道政治連盟(および神政連国会議員懇談会)や日本会議などの政治団体と連携して行われてきたことも本書で詳らかになっている。そのように本書は右派政治運動の流れの中に神社本庁を位置づけているため,前に紹介した安田浩一さんの『「右翼」の戦後史』と,組織や人脈などで
なる部分も多かった。その分,政教分離や国家神道といった宗教システムについての掘り下げが浅いので,そのあたりに関心のある方には,ちょっと物足りない内容かもしれない。

 だが宗教システム論としては,島薗進氏の『国家神道と日本人』(岩波新書)に依拠しながら,葦津珍彦の国家神道観が紹介されているところが,私には興味深かった。葦津も結局は国家神道の呪縛から免れていなかったわけで,葦津の功罪をはっきりと見定めなければいけないと思った。ちょっと長いが,引用しておく。

 島薗によれば,国家神道とは明治維新以降,国家と結びつき発展した神道の一形態を指す。皇室神道,神社神道,国体(天皇中心の国家体制)の教義から構成され,それらを学校・軍隊での教育勅語や軍人勅諭,皇室祭祀と深く結びついた祝祭日,天皇崇敬を説くメディアが結びつけていた。これらの総体が国家神道という定義づけだ。
 ところが葦津らは,国家神道を狭く解釈し,皇室祭祀が戦前の日本社会に大きな影響力を及ぼしたことには触れようとしない。「そこには皇室祭祀・皇室神道を宗教,神道としては捉えないという断固たる戦略が見て取れる」というのである。
 なぜか――。それは,皇室祭祀・皇室神道がもし「宗教」なのであれば,戦後の新憲法が政教分離を原則とする以上,その制約下に置かれることになる。ところが,皇室の祭祀・神道が「宗教」ではないとすれば,国民全体を包み込む公的制度としての意義をもちうることになるだろう。葦津の基本戦略はここにあると,島薗は考える。

 (本書p.82~p.83)

 葦津が「神社界のイデオローグ」とか「葦津なくして今日の神社界はなし」と言われる所以である。私たちは今も葦津の基本戦略の中にいる。葦津にとって,戦前の国家神道とは行政官僚が中央集権的に神社を支配する官僚主義システムとして解釈されており,だから神社本庁発足の際に,神祇院的・官僚的色彩の濃厚な神社教案に反対したのであった。葦津の求めた神社連盟の方向性は是認できるとしても,しかしそこにも国家神道に向かう危険性は孕んでいるわけである。実際,国家と神社神道を切り離す神道指令において天皇の祭祀は不問とされたことで,国家神道は戦後,形を変えて生き残った。戦前回帰,国家神道復活の動きは,皇室祭祀をテコに活性化したわけで,それを牽引するのが神社本庁であり,そこに右派政治団体が合流して,今の右傾化という由々しき事態が生まれた。結論としては,戦前回帰や国家神道の復活を阻むためには,神社神道に国家や皇室は介入しない,させてはいけないということになろう。そのためにも政教分離という原則を徹底していくことだ。

 やがて,昭和に入って戦争が始まると,内務省神社局は神祇院となり,(中略)神祇院は神道の神々を観念神,自然神,人格神にわける作業に取りかかった。人々に恵みをもたらし,生活の支えとなってくれる古来の神々は祀るべきでないとされ,山川草木を神々と見なす信仰は迷信邪教,淫祠だと貶められた。(本書p.229)

 神道はもう一度,神々の原初の姿を見出し,その信仰に戻るべきであろう…。

929円
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目 次
プロローグ――富岡八幡宮惨殺事件
第一章 富岡八幡宮と特攻警察
第二章 神社界のツートップ
第三章 神社本庁の誕生
第四章 神社界の反撃
第五章 靖国神社国家護持への胎動
第六章 日本を守る会
第七章 靖国ふたたび
第八章 有名神社の離反
第九章 明治神宮、力の源泉
エピローグ――神社はどこへ

「侵略」から「今晩のおかず」までを手広くカバーする巨大掲示板群

紳士、マメイカはもとより、ニシンリベンジはいつですか?と紳士をぽちっと応援!!

(`・ω・´)


紳士、エゾフクロウが楽しみすぎて死にます!!とぽちっと応援!!


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さて、週末は久しぶりのマメイカに赴いた紳士である!!

(゚∀゚)ノ

しかし、今年は言われている通り、実に渋い。

(´・ω・`)

夕マズメの際、一瞬だけラッシュがかかるも、ほんの数分で沈黙。

(´・ω・`)

なんとか2匹を釣り上げるも、粘る気も失せ、午後4時から午後7時までの釣行で退散の紳士である。

(´・ω・`)

今年はこれから上向くことがあるのかどうかは微妙だが、一応成り行きを見守っていきたい。

撮影や、ニシンなどとの予定との折り合いがつけば、再度チャレンジしてみようと思う紳士である。

さて、そんな時は、再び再放送にて全力でお茶を濁そう!!

(`・ω・´)

ブログ「ねこままん」の創作系シリーズ第2作とも言える、バルタンストーリー外伝「MEMORIES」である!!

「ねこままん」にて、度々出演する「バルタン」の若き日の物語。それを劇場版風に作成した創作作品です。

公開は2015年。もう3年経過しました(´・ω・`)。

いつもブログ内では面白く、憎らしいキャラクターで描かれていたバルタンが見せる、本当はカッコイイ。そして実はいろいろな過去を背負っているバルタンを描くために作成されました。

某有名キャラクターのバルタンとは全く異なる「ねこままん」のバルタン(バルティアス・ノルドストローム)の世界を堪能くだされ!!

3年経過後もなお、続編作成希望の根強い作品です!!

(゚∀゚)ノ

バルタン「さぁ、見えてきましたよ。あれがハルニレの樹です。日々作戦のことばかり考えていますが、これを見れるとは、入隊前の休暇も捨てたものではありません」

リディア「うふふ・・・そんなこと言って、毎日地球に行ってみたいって言ってたのは誰だっけ?」

バルタン「それは知的好奇心から出た言葉です。それに・・・あなたに会いたかった事も確かです・

バルタン「素晴らしい枝ぶりです。地球の植物は実に美しい。こうした地球の生物を見るのは大好きです」

リディア「・・・・・わたしよりも?ふふっ」

バルタン「・・・・それは・・・・」

リディア「でも、なんだか複雑な気持ち・・・この星も侵略候補惑星になっているんでしょ?そうなったら、こんなにキレイな植物も全部死んじゃうかも・・・」

バルタン「それが作戦なのであれば、止むを得ないでしょう」

「あっ・・・そういえば、バルタソ隊に配属になったんですって?・・・・すごいじゃない!!アタッカーの憧れの部隊よね!!さすがバルティアスだわ!!」

バルタン「たまたまです。エネルギー弾の実技試験が思いのほか良くできました。しかし、バルタソ隊の平均的戦闘能力にはまだまだ及びません。それよりあなたの技術も素晴らしいと教官から聞きました。あなたの実力であれば、私よりもずっとバルタソ隊に相応しいと言えるでしょう」

「ううん・・・私はシールド部隊。とてもあなたみたいには戦えないもの・・・・小さい頃から一緒だったけど、なんだか、どんどんバルティアスが遠くにいっちゃうみたい・・・・。あのね・・・バルタソ隊に行っても絶対に変わらないでね。いつまでもあなたのままでいて欲しいな・・・」

バルタン「・・・フフ・・・私は変わりませんよ、リディア。泣き虫のあなたが困っていたら、私がいつだって、どこからだっ
あなたを守ってあげます」

バルタン「・・・あっ・・・・

「あのね!!次の作戦、誰があなたのシールド・ペアかわかる?ふふふ・・・わたしなの!!今度は私がバルティアスを守ってあげる。必ず敵中枢にあなたを届けるから!・・・・あっ・・でもでも、ちゃんと自分でも避けてよねっ」

宇宙歴2175年 タコベイト宙域

司令「どうした??たかがタコの軍団に何をてこずっている!!さっさと駆逐するのだ!!」

オペレーター「現在、駆逐艦ミドルシザーと空母「鋏」の部隊が交戦中!!敵の数が多すぎます!!36部隊が消滅!!防ぎきれません!!重巡洋艦シカーダ轟沈!!」

バルタン兵「ぐあああああっ!!!」

司令「ぬぅ・・・・バルタソ隊を出せ!!出し惜しみは無しだ!!」

カネゴン「バルタソ隊は惑星制圧のための白兵戦を得意とした特別部隊ゼニ!!今回は実戦初の新兵も入っていて戦力が安定していないゼニよ」

司令「構わん!!艦が沈んでは元も子もない!!」

「バルタソ隊発艦準備!!整備班は、YKLTブースターの開封、換装作業を急いでください。!!バルタソ隊アタッカーは、全機射出アームへ移動してください。繰り返します・・・・」

「バルタソ隊、全機出撃!!敵中枢を叩け!!」

■BGM♪ 

隊長機「YKLTブースター点火!!発艦後、直ぐに編隊を整え敵攻撃に備えろ!!新兵!!死ぬなよ!!」

隊長機「バルタソ隊、テイク・オフ!!」

「バルタソ隊の発艦を確認!!YKLTブースター全開。2分で敵制空域に到達します!!」

隊長機「バルタソ・リーダーより各機へ、12時の方向に敵大編隊を確認、数は2万!!シールド部隊は前列に移動しシールド展開!!密集隊型で突破する!

リディア「了解!!アルティメット・シールド展開!!第1波来ます!!」

バルタソ兵「ヒュウッ!!あの可愛い娘、なかなかやるじゃねえか!!」

隊長「ムダ口を叩くな!!さぁ、来るぞ!!各機散開!!敵機を個別撃破しつつ敵中枢を目指せ!!」

バルタン「リディア!!さぁ、行きますよ!!」

リディア「了解!!バルティアス!!防御はまかせてっ!!」

■あとがき

さて、このバルタンストーリー、実は3年経過後も続編が作成されず、「ねこままんの重罪第一位」にランキングされる罪作りな作品です。

(´・ω・`)きっと新しい読者のほとんどは知らないだろうなあ。

ストーリーは脳内完結しており、およそ6話で完結するストーリーなのですが、未だに作者がその気になりません。

今作のセリフなどは、クライマックスシーンで再び使われるといった、複線的な役割も果たします。

当時GIMP2で作成していた画像は、現在開発環境がフォトショップとなり、画像クオリティは格段に上げることができます。

なので、その気になったら、きっと作成することと思いまする~

(゚∀゚)ノ続編を読みたい人はぜひ感想を聞かせてくだされ!!作者やる気になるかもです!!

■あとがきプラス

今作も含め、紳士が影響を受けた人に「河森 正治」氏、「庵野秀明」氏があげられます。

河森氏は「超時空要塞マクロスシリーズ」や、「アクエリオンシリーズ」などで知られる方です。また、庵野氏は、今更解説をする必要もない「エヴァンゲリオン」等で有名な方です。

324円
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河森正治氏の超絶名作「愛・おぼえていますか」

TV版超時空マクロスのアナザーストーリー的に作成されており、1話完結で見ることのできる劇場版。

アイドルと三角関係と戦闘機と音楽と重なる戦闘シーン。これはこの作品から始まりました。

30年以上前の作品ですが、クライマックシーンは、今見ても鳥肌です。カッコよすぎて死にます。

恋愛ものとして、当たり前な三角関係ですが、予想通りには進みません。

(´・ω・`)

正直、
才故に、作品毎の出来不出来の落差が激しい監督なのですが、この作品と「マクロスFシリーズ」は別次元のクオリティです。

ぜひ視聴くだされ!!

216円
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さて、庵野監督の放った「トップをねらえ!!」です。エヴァンゲリオン放送以前に、OVAとして作成されました。

期せずして、二作品ともキャラデザが美樹本晴彦。

エースをねらえ+トップガン+スチュワーデス物語+スーパーロボットアクションという全編異常なパロディで作成されていますが、前半2話のスポ根系パロディ面白系をよそに、後半はすさまじくシリアスなSFになっていき、それでいて泣ける激熱なストーリーが展開されます。

間違いなくSFの古典名作「宇宙の戦士」の影響を多分に受けています。主人公機の登場は後半なのですが、そのカッコイイこと!!

最終話は何とモノクロ!!今でも伝説になっていますが、その天才的手法にぐうの音も出ません。

(´・ω・`)すごすぎるわ。

一部の方には有名な作品ですが、エヴァほどの知名度がなくもったいない!!

紳士絶賛オススメです!!ぜひ1~2話でやめず、3話までは最低見て欲しい大傑作です。

天才庵野が、珍しく分かりやすく完結できた名作です(エヴァ新劇場版の「破」的なわかりやすい感覚が好きな人は大好きなはずです)。

2人とも、天才だと紳士は思っているのですが、庵野氏は天才すぎて、よくわからない作品をつくりがちです。しかし天才ぶりが突き抜けています。キマった時のクオリティが一般人の20年先を行きます。河森氏は、エンターテイメントに徹し、「監督のエゴで自己完結している作品が嫌い」というだけあり、とてもわかりやすいです。しかし、エンターテイメントをたまに履き違えます。しかし、同じくキマった時のクオリティが鳥肌もの!!

2人ともお勧めです!!

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紳士、マメイカはもとより、ニシンリベンジはいつですか?と紳士をぽちっと応援!!

(`・ω・´)


紳士、エゾフクロウが楽しみすぎて死にます!!とぽちっと応援!!


現代侵略の乱れを嘆く

 この国会で審議されている、外国人労働者受け入れに関して、

外国人受け入れについて一般の日本人はどう思っているのだろうか?

外国人がどんどん日本に流入し、

人種のるつぼのようになるのがよい。

と思っている若者が意外と多いことに驚いた。

       
          

その理由を尋ねると、具体的な答えはあまり帰ってこなくて。

「アメリカがそうだから」

「世界はグローバル社会になっているから」

というような返答が多かった。

なぜ、人種のるつぼがよいのか、なぜグローバルだといいのか

を語った若者はいない。

 これらは、テレビやマスコミがそんな風な論調を常に番組に組み入れていることが

原因の一つであると考えられる。

特にNHKは率先して行っている。

そもそも、国際化の意味は民族の違いを明確にしていくものだが、

日本の論調は同化するのがよい的な考えである。

戦後の日本は、主体性を持たない民族になり下がっているので、

同化するというのは、例えばアメリカになるということになる。

かつて国会議員が、

「日本もアメリカの51番目の州になればよい」

と言った人がいた。

ここ姫路にも、そんな風に考えている人がいる。

人種のるつぼが普通の国というのは、人工的に出来た国であることを

理解してもらいたい。

アメリカやカナダ、そしてオーストラリア、ニュージーランドなどがそうだが、

これらの国々は元々いた先住民を駆逐して出来た国である。

元々、そこで暮らしていた人達ではない。

解りやすく言えば、移民国家なのである。

そんな国を日本を目指す理由は一体なんなのだろうか。

江戸時代に行っていた「鎖国」という制度を、近年の日本人は

ぼろくそに言うが、先人達はそんなに頭が悪かったのだろうか?

また、現在を生きる我々が正しいと思う根拠は一体なんなのだろうか?

       (出島では交易を行っていた)

先人達は、「グローバル」にすれば、日本が乗っ取られることをよく理解していた。

しかし、現在は「乗っ取られる」という危機感がまるでなくなっている。

「そんなこと起こるはずがない」

と思っている人が大半だと思うが、「起こるはずがない」

と思う根拠は一体何なのだろうか?

そのことを皆さんによく考えてもらいたい。

人工的に出来た国は、原住民を駆逐したことを肝に銘じてもらいたい。

インディアンしかりエスキモーしかりアボリジニ、マオリ族しかりである。

   (ニュージーランドの原住民であったマオリ族)

「こんなのは、すべて昔の話だ」

では、現在こんな悲劇は世界で起こっていないのか?

チベットやウイグルをみれば、現在も民族浄化が続いている。
このままいけば、あと100年もしないうちにチベットもウイグルも
中国共産党に同化されてしまうだろう。
中国共産党は、彼らの土地に漢民族を送り込んでいるだけである。
軍隊を送り込むだけでははなくて、インフラ整備や商業施設の展開などの経済的な
名目で人を送り込む。
そして、彼らの護衛が必要といって、軍隊の拠点作りも行う。
間もなくして人口が増えて多数派になると、地方自治の実権を握る。
その土地に先祖代々暮らしていたとしても、多数派の民族が支配するとそれに
従わなければ生きて行けなくなる。
これを・・・
人口侵略という。
           (宮崎県の私立高校)
既に人口侵略ははじまっており、日本のいろんな所で日本人が少数派になる
事態が起こっている。
今回の外国人労働者受け入れ拡大で大量にやってくるのは、中国大陸の人達であろう。
そんなことは容易に想像できる。

幼稚な考えで「人類みな兄弟」などと言っていると

日本が日本でなくなる引き金を我々が引くことになりかねない。

もっと真剣に外国人労働者受け入れを民間の人が考えなければならない。

日本政府は、「外国人労働者受け入れ拡大」と言っているが、

受け入れるのは、労働者の家族も受け入れてよいことになっているので


れは、事実上移民政策なのだ。

例えば、近い将来、姫路市の過半数が外国人になった場合。

今のままの暮らしが維持できると思われますか?

既に姫路市でも、自治会をやっている人達は外国人に手をこまねいている。

言語もそうだが、意思の疎通が出来ないし、外国人は日本のやり方を理解しないので

自治会で束ねるのは困難だということだ。

若者には外国人が増えれば増えるほど、日本人の存在が希薄になることを

理解してもらいたい。やがて、そこは日本ではなくなっている。

最後まで読んでくれてありがとうございました。

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