なぜロケがモテるのか

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9月7日に放送された「ぴったんこカン・カンSP」(TBS系)に女優の米倉涼子が登場し、TBS安住紳一郎アナと共にスペインを訪問。途中乱入したゲストから「怪しいね」と二人の関係性を疑われる場面があった。

4月からスペイン語を勉強中の米倉は、6月放送の同番組で安住アナとスペインロケを約束していた。

スペインのアランフェスを訪問した安住アナは、米倉が事前にホームステイしていた家で、「ようこそスペインへ」とスペイン語で出迎えられた。

流ちょうにスペイン語を披露する米倉に「すっかり溶け込んで…」と安住アナは絶賛。「完全に念願のスペイン人になってるじゃないですか」と驚いていた。

ホームステイ先のファミリーと一緒に食事を楽しみ、翌日、ファミリーと一緒に写真撮影をするといい、向かった先は礼拝堂。米倉に花束が渡され、安住アナが腕を組むように言われる二人。まるで結婚式のような写真を撮っていた。

マドリードを経て、サン・セバスチャンへと移動した一行。米倉がスペインで一番したいという「バル」巡りをした。

酒瓶を手にした米倉が「酒場放浪記、(番組で)やられてますよね? 私もずっとうらやましいなと思ってて。負けてらんないぞってことで(笑)」と意気込むと、「旧市街にバルが150店舗以上ありますから」と安住アナ。

4軒目のバルでは、店の奥から歌声が聞こえ、安住アナがのぞいていみると女優の渡辺えりが歌を披露していた。

安住アナを真ん中にして座った3人。渡辺が「米倉さんは安住さんのことあまり好きじゃないの? 男性として」と切り込むと、「大好きですよ」と米倉。

さらに渡辺が「お付き合いしてもいいかなぁぐらいは本当に思ってはないの?」と聞くと、「でも世間は応援してくれているんですよ」と米倉が答えていた。

一方安住アナは「あんまりそこをはっきりさせてないんです。ぼやっとしてるんです」と言い、米倉は「本当は『(安住アナは)強い女性が好きです』とか言っておいて、か弱そうな女の子が好きだったりするんじゃないかしら」とコメント。あまり深い話はしたことがないという。

その後も「なんか二人怪しいね、カメラ回ってない時の二人があまりに親しそうだよ。淫靡(いんび)な感じだった」という渡辺に苦笑する二人。

米倉は「たぶん安住さんは実直な、彼を支えて生きていきたいって思う方と…」と安住アナの理想のタイプを想像。

「今は誰と付き合ってるの?」と核心に迫る渡辺に、「そんなこと、ここで言うわけないじゃないですか!」と安住アナは大慌て。その後も渡辺からの質問攻めに遭っていた。

ネット上では「米倉さんと安住さんの回は楽しい」の他、「お似合いの二人だと思う」「安住さん早く告白して!」などの声も寄せられていた。
(https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180908-00161251-the_tv-ent)

ロハスからの視点で読み解くロケ

お二人はゲストのテーブルを移動しながらお料理を召し上がっていきました。

コース料理の一品一品を各テーブルで楽しい会話をされながら、召し上がっていました。

記念写真もパチリ。

中座は大好きな方と一緒です、笑顔がほころびますね。

司会者さんはです、披露宴中はゲストの方も虜にする名司会者さんです。

結婚式の続きはまた後ほど。

パンダ

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パンダ

【TV&ラジオ出演】■『Mr.サンデー』(フジテレビ)■『ブログの女王』(テレビ東京)■『MUSIC PLUS』(J-WAVE)■『site9-11』(FMぐんま)

【メディア掲載】■写真好きのための法律&マナー(朝日新聞出版)■アサヒカメラ2017年12月号(朝日新聞出版)■日本写真家協会会報2017年11月号(JPS)■『本当にあったブログ内緒話』(大洋図書)■信濃毎日新聞 ■ねっため(ソフトバンククリエイティブ)■ドバイ政府観光・商務局 ■H.I.S.

■アメーバブログさんが運営されています『アメばこ』にインタビューされました。

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Gacktさん脱退前後のメンバーたちの言動や周囲の様子など
知らない人が増えているMALICE MIZERの軌跡を改めてまとめてみます。
これを読んだ後、今より少し誰かに寄り添うことが出来るでしょうか。

●結成当初のMALICE MIZER(1992~1994年)

初代Vo.Tetsuさんの時代、通称「1期マリス」。
他にはない世界観が話題を呼び、インディーズながら人気があったようです。
この頃既にとのこと。

しかしTetsuさんは濃いメイクと演劇要素で世間に出ることに抵抗があり脱退。
折角のデビューのチャンスが流れてしまったんですね。

リーダーであるMana様が提示する核に対し
メンバーたちの好奇心と賛同で成り立っていた印象(個人の感想です)。
メンバー同士が同じバイトをしていたり、同居生活をしていたり
バンド外でも交流が多かった時代。

●Gacktさん加入(1995~1998年)

2代目Vo.Gacktさんの時代、通称「2期マリス」。
「僕ならステージで飛びたい」と前Vo.と対象的な意欲を見せたGacktさんが
Mana様に歓迎され、関西から東京へ引っ越す本気を見せた加入。
新体制マリスは表現の殻を更に破る方向へ。
飛躍的に派手になり「究極のビジュアル系」と呼ばれるようになりました。

97年にフランスロケの短編映画付きシングル『ヴェル・エール』でメジャーデビュー。
予算をたっぷりかけてくれたレコード会社の期待を裏切らず
「飛ぶ鳥を落とす勢い」と絶賛された快進撃を見せます。
横アリのチケットは瞬殺、連日メディアに引っ張りだこの超多忙アーティストに。

歌番組以外にもバラエティや情報番組など多方面に取り上げられ
マリスだけを扱うテレビの特番を組まれることもありました。
雑誌もアイドル誌、ファッション誌、文芸誌、児童雑誌ほか幅広く取り上げられ
差別化を図った音楽誌が地方公演まで追いかけてライヴレポを掲載していた競合時代。
冠番組のラジオも2本持っていました。

良い作品を作る為に妥協しないことを美学とし
メンバー同士、納得いくまでぶつかり合う姿勢を誇らしく語っていました。
「仲良しグループが発展して出来たバンドじゃない」と繰り返し
唯一無二のプロ意識を持った仕事仲間という空気感。
自らを「選ばれし5人」と呼んで
メンバー全員の魅力が色濃く反映されるバンドスタイルが確立します。

アーティスト活動に「人間とは…?」というテーマを投げかけ
表現に必要なら音楽という手段には拘らないとまで言い、総合芸術を展開。
他のバンドと並べてくれるなと言わんばかりの堂々たる姿勢でした。

時折プライベートでもメンバー同士で遊んだ報告があり
皆主張が強くてすぐ喧嘩しちゃう個性派キャラの集まりでありながらも
それなりにうまくいってるように見えました。

爆発的に売れ、各方面から大絶賛されるようになった裏では
メンバーたちの心身の余裕が犠牲になりつつあった様子。
納得いくまで意見を主張し合うスタイルが日々エスカレートしていき
周囲からの期待や誇りと、意欲のバランスが崩れ始め
メンバー全員の足並みを揃えるのはとても難しいことだったと思います。

●シングル『Le ciel~空白の彼方へ~』リリース(1998年9月)

マリスの楽曲は作詞はボーカルが担当し
作曲は基本的にMana様かKoziさんどちらかが担当するスタイル。
『claire~月の調べ~』はGacktさんとKoziさんの共同作詞
『死の舞踏』『ma cherie~愛しい君へ~』はMALICE MIZER共同作詞だったり
『COLOR ME BLOOD RED』ではKoziさんがボーカルなど異例ケースもあります。

アルバム『merveilles』では
Yu~kiちゃん初作曲の『Syunikiss』やGacktさん初作曲の『Le ciel』など
既存の2人以外も作曲を手掛け、各メンバーが幅広い才能を見せました。

レコード会社内ではGacktさんをソロで売り出そうとする動きがあったという噂があり
その先駆けとして『Le ciel』がシングルカットされたとも言われています。
(メンバーたちからは出ていない話なのであくまでも噂です)

Gacktさんの著書『自白』では
このシングルの発売にあたり、メディア露出が自分1人に偏って
メンバーからよく思われていないように感じて孤立していたことが書かれています。
それでも求められた仕事を全力でこなすのがメジャー契約したプロであり
人間関係の修復を優先して動くわけにはいかない環境だったのかもしれません。
この曲がとなりました。

●Gacktさん失踪(1998年11月~12月)

Gacktさんだけが不在で雑誌の表紙を飾る事件が起きました。
FOOL’S MATE Vol.207 1999年1月号(多分98年11月末発売)

これまでもメディア出演にメンバーが選抜されることはあれど
巻頭表紙特集で1人だけ不在な上、まるでメンバーが4人であるのが当然のような書き方。
インタビューでは一切触れていませんでしたが、脱退疑惑や失踪説が浮上。

めざましテレビで「マリスミゼルのGackt失踪!?」と報道される程の騒ぎになり
すぐにそれは疑惑の域を超え、本当にいないのだと証明されました。
ラジオでもDJがマリス曲を流しながら電波を使って捜索の呼びかけ。
「Gacktさん、もしこのラジオ聞いてたらいつでも連絡下さいね!」

その間、マリス側からは何も状況説明はなく
ファンはGacktさんの生存確認すら出来ない不安の募る1ヵ月でした。
ついにソロ活動をするのではないかという噂も出ていたようです。

●Kamiくんの京都旅行(1998年12月6日~8日)

Gacktさんの脱退後に発送された会報で
「心の旅がしたくて、事務所にナイショで京都に行って来ました」という報告。

写真に刻印された日付は12/6~8で、まさにGacktさんの失踪中の出来事。
京都はGacktさんがマリス加入前にバンド活動をしていた土地。
事実証明は出来ませんが、Gacktさんを探しに行ったという噂がありました。

●Gacktさんが失踪の理由を語る(1998年の年末)

Gacktさんが1人で雑誌に登場し、内情を語りました。
メンバーや事務所との連絡を絶ったまま、単独行動での露出でした。

SHOXX Vol.072 1999年2月号(多分98年12月末発売)

メディアに出たかったけど事務所の理解不足が限界だった。
マリスがマリスである為にと我慢していたことがいっぱいあって
メンバーがいなければやっていけないって思うくらい疑問が多かった。
でもメン
バー間でも意見が食い違って亀裂が入った。
立て直す為に徹底的に話をしたけど
僕の目を見ることが出来ないって向き合うことを拒絶されて
僕はもうどうしようもないじゃない。

僕はMALICE MIZERが好きだし、愛してるし、誰よりも大切に思ってる。
これは前と何も変わらない。
MALICE MIZERは誰が欠けてもMALICE MIZERではない。
ステージ上にいる彼らに対しては凄い誇りを持ってるよ。

ツアーファイナルの横浜アリーナが終わってひと段落ついて
疲れていたメンバーは休みたがっていたけど僕は動き続けたかった。
人間の生活とは言えないようなサイクルで動いてた時期もあったし
過密スケジュールで疲れるのは仕方ない。
だから休みたい人は休めばいいし、動きたい人は動けばいいと思ったけど
それを理解されなくてソロ活動がしたいと誤解された。

次の展開に向けて動けるなら何でも良かった。
海外で何かを勉強したり、感じたり考えたりするのと
ソロで音源を出すことは僕の中で同じこと。
僕らは5人で1つではなく、個々にMALICE MIZERの魂を持っているから
例え1人で動いても僕にはソロとマリスを分ける感覚はない。
それを理解されなかった。

ただ「人間とは…?」ってテーマを追求していたい。
それはバンドが活動休止になろうが関係なく、生きてる限り続く。
自分に対して真実でありたいから。

今後関わるかどうかは彼らが「一緒にやろう」って言えば一緒にやるだろうし
「一緒にやれない」っていう気持ちがあるなら一緒にはやれないっていうだけのこと。
彼らが僕の目を見られるようになったら、その時は一緒にやれる筈。

マリスじゃない僕は認めないっていう子たちはきっといると思う。
強制して人を引き留めたところで何も生まれないから、決めたならそれでいい。
それでも、僕は必ず皆分かってくれる筈だって思ってる。
僕を感じようとしてくれる人には心から感動という形で応えたい。

この雑誌の撮影は絵コンテも自分で仕上げて
これからの自分を表現したもの。
『Le ciel』(横アリのラストシーン)にリンクしていて
飛び立った彼は空に還ったわけではなく、地上に堕ちたんだ。
その先にあるのが死だったとしても、前に歩くしかない。
あの物語は続いているし、まだまだこれからなんだよ。

僕は僕であり、Camui Gacktだということ。
まずはそれが伝わればいい。
全ては本当にここからだよ。

●FC「ma cherie」から脱退報告(1999年1月)

FC会員に向けてメンバー4人からのメッセージカードが届きました。
Gacktさんを嘘つきと否定し、1対4に決裂したことを表明するものでした。

【Mana様】
私の言う事をどう受け止めるかは、あなた次第です。
彼の発する言葉に、もはや真実など見えなかった。
この関係の中で、作品を作りつづけることは、難しいと判断しました。
愛しい君たちには、申し訳ない。
こんな事は言いたくありませんでした。
でも、貴方たちには、真実を伝えたかった。 

【Yu~ki】
何を信じ、誰に心を開いていけば良いのかさえ解らない世界。
自分のためなら、平気で人の心、人の存在を傷つけてしまう社会で、
せめて自分達が造り出す世界、音楽には、偽りや嘘はつきたくない。
人はいかに人の事を信じてあげられるかだと、僕は思う。
そこに愛という言葉があるのだと思う。 

【Kozi】
どこからどこまで言えばいいのか解らない。
本当に言葉に出来ない位の悔しい、歯がゆい想いが沢山ありました。
俺は、MALICE MIZERという団体での活動を誇りに思ってる。
絶対になくしたりはしない。
今居るメンバーや事務所との関係は、昨日、今日、始まったものではない。
言葉では言い表せない信頼という関係で結ばれている。
自分の気もち、メンバー4人の想いには嘘をつかずに、前を向いて歩いて行きます。

【Kami】
自分の為だったら何をしてもいいのか、何を言ってもいいのか。
自分のことすら解ってない様な人と
今まで一緒に手を組んで頑張ってきた自分が憎い
MALICE MIZERをそしてメンバーを愛していると彼は言った。
この言葉の意味を本当に彼は知って言っているのであろうか。
因果応報というものは必ずある。
自分達の愛する音楽に、偽りや嘘をつきたくない。 

●Gacktさんについてマリス側からの反論詳細(1999年3月)

FC会員以外も読める音楽雑誌で初めて口を開き、詳細を語りました。
どちらを信じるのか選択に迫られるような空気でした。

Vicious 1999年3月号(3月1日発売)

【Mana様】

昨年11月頃からミーティングに来なくなって
仕事があるにもかかわらず行方不明になって
連絡先もわからない状態だったんですよ。
それでも僕たちは彼を待ち続けました。
だから、僕らが追い出したみたいに受け取らないで欲しいんですよ。
しかし彼は裏切るような形で…。とても悲しくて悔しかった。

某誌で彼は「休まずに突っ走りたい」と言ってたけどその言葉を聞いたことはないし
僕らは「休みたい」とは言ってない。
考える時間が必要なので充電期間を設けてコンセプトを固めよう
という意見についてのやりとりを何度もしました。
その中で明らかに人としての在り方が食い違っていきました。彼と4人の間で。
デビューしてから急角度を描くようにGacktは変わっていきましたね、良くも悪くも。

彼の持つアーティスト性は大いに認めます。
ステージにおいては複雑な私情を持ち込んだことは一切ないですよ。
でも、限界が来たなと。
新しい事を創造するには、より信頼関係が必要だと思うんです。
今後、一緒にやることはないと思います。

某誌が出た後、もっと大人になれとか講義の手紙が僕に殺到して
本当のことを早く言いたかったんですけど
世にある真実なんて、あってないようなものですからね。
この5人でのMALICE MIZERを待っていたファンの人には申し訳なかったですよ。
でも、僕だって死ぬほど悔しいんですよ。

新しいボーカリストを迎えて新しいマリスミゼルとしてやっていき
い。
約束出来ることは、解散はしないこと
MALICE MIZERは続けていくということだけです、今の段階では。
彼についていくというファンの気持ちに対して何も言うつもりはありません。

【Kozi】

ぶつかりは他のメンバー同士でもあるし、本当に根本的な人として的なところです。
ぶつかることは今まで何度もあったんだけど
『merveilles』以降のコンセプトを作る段階にきていろいろあって。

解散ということは絶対にありえないです。
普通のバンドじゃないしボーカルを決めるのにも考えることはいっぱいあるから
簡単に「はい、この人にしよう、それじゃGO!」みたいにはいきませんからね。
今、摸索してる。

【Yu~ki】

何でも話し合いをしよう、ぶつかりあって隠し事はしないっていう流れできてたけど
いつの間にか、音楽うんぬんの前に話せなくなってしまった。
別に誰かがというわけでもなく。
僕らの事務所は昨日今日組んだものじゃないし、1番分かってくれてるんですよ。
事務所ともレコード会社とも対立することなくやってこれた。
だから彼が某誌で言ってた「事務所との対立」みたいな言葉は
どうしたら生まれてくるのか不思議でしょうがないんですね。

音楽以前の絆が必要なんですよ。
ライヴ中にアイコンタクトでわかりあえるような絆がないといいものは作れない。
今まで誤魔化しながらやってたんです
もう誤魔化したくないとミーティングを重ねたわけですが
修復出来ない溝が出来てしまったということ。
根本的には彼と僕らの関係であって、事務所と僕ら対彼じゃないんです。

立ち止まってることが待ってる人に対しての答えにならないと思う
今自分がやらなきゃいけないことはわかってるつもり。
この時代に必要とされてるバンドだから、絶対に。

【Kami】

何度も何度もミーティングし、こちらから歩み寄っていったんだけど
彼は離れていく一方だった。
信頼というものが少しずつ薄れていった。
彼は「MALICE MIZERを愛してる」って言ってますが
それならどうして今回のような行動をとったのか信じられません。

こうなったのは、僕の中では運命としか思ってなくて
新しいボーカルが見つかることも運命だと思います。
それがいつの日になるかは僕たちにもわからない。
ただ運命を全うしたいですね。

●脱退後のGacktさんからのメッセージ(1999年2月)

各音楽誌に広告を打ち、生声メッセージの電話サービスが設けられました。
数日おき(不定期)にGacktさんからのメッセージが更新され
FC発送物もメディア露出もない状況下、ソロ始動までの近況報告の場となりました。

以下2回分だけ紹介。

久しぶりだね、Gacktです。
今回のことで傷つけてしまってごめんね。
皆と連絡を取りたかったけど、中途半端な発言で皆を混乱させたくなくて
心配かけてごめんね。
僕に対してMALICE MIZERの4人が出した答えは
正直言ってとても悲しいものだった
けど
それでも僕の中にはこれからも、MALICE MIZERの魂は生き続けると思う。

僕はただ、MALICE MIZERを愚弄する者を許せなかっただけで
MALICE MIZERのメンバーに対する気持ちは
今でも誇りに思っているし、何も変わっていない
道は別れてしまったけど、これからも僕は僕の感じることを形にしていこうと思う。
僕ハマダ、闘エルヨ…
早く皆に…会いたい。

※愚弄について
『自白』によれば、ミーティングの中で
解散するなら相応の終わり方を求めたGacktさんに対し
「CD出せばどうせあいつら買うんだし」と言ったメンバーがいてキレたとのこと。

先日、えー…FRYDAYされました。
記者さんの書く内容に関しては、否定も肯定もしません。
それより、自分の言葉で伝えたいことがあります。
日本が生まれた日…その日に渡米することを決めました。
今まで答えなかったこと、今の自分の想いを、世界観を
その全てを作品の中に詰め込んで皆に届けたいと思います。
降りてきた音を形にして、その全てを曲で答えるのが僕のスタイルだと
…そう思います。
皆が「待ってて良かった」って、そう言ってくれるような
そんな作品を必ず持って帰ります。
待ってて下さい。
皆の笑顔を早く見たいです。

※FRYDAYについて
失踪中どこにいたかとか、脱退に関して書かれた記事だった筈。
レポーターに突撃されても答えなかった心境を作品で表現すると言う告知でした。

●ソロ活動始動(1999年4月)

4月20日『Mizerable』が完成したGacktさんが帰国。
25日から5月7日まで全国11箇所でインストアイベントを開催。

「おかえり」と再会を喜ぶファンに
「僕にはまだ帰れる場所があったんだ」と各地で涙を見せました。
ラジオやテレビにもたくさん出演し、世間が注目したソロデビュー。

●MALICE MIZER再始動(1999年4月)

Gacktさんもマリスもほぼ同時期に別々の道を歩み始めました。
残った4人でFC限定イベントの全国ツアーを開催。
ライヴはなく、スライドショーを使ったトークやダンス講座など
ファンの笑顔を取り戻した和気藹藹とした和やかな空気でした。

「次に会う時は、必ずライヴでお会いしましょう」
それがKamiくんがファンに向けて告げた最期のメッセージとなりました。

●KamiくんがGacktさんの様子を見に来る(1999年5月)

5月30日、インストアイベント以外で初めてのステージ。
渋谷109特設ステージに立ち、通行人にも見える入場者制限なしのトークイベント。
Kamiくんがこっそり見に来ていたという目撃情報がありました。

自分から離れて行った仲間が割れんばかりの大歓声に包まれる姿を見て
Kamiくんは安堵したでしょうか、疎外感を煽られたでしょうか。
「最初からソロになるつもりでマリスを踏み台にしたんだ」と
卑屈になって嘆いていたことを風の噂に聞きました。

●Kamiくん永眠(1999年6月)

Gacktさんのステージを見に行ってから1ヵ月経たな
うちの訃報。
亡くなった6/21から3日後に自宅で発見、その翌日25日に公式発表。
くも膜下出血という突発性の病名で
誰も悪くない事前に防ぐことの出来ない死因が発表されました。

葬儀はメンバーを含む身内で行い、Gacktさんは呼ばれなかったとのこと。
最期のお別れさえ許されない程
マリス側からの強烈な憎しみが証明された事件でもありました。
その後Gacktさんは自力でご実家の場所を探し
ご遺族の方に開口一番「ごめんなさい」と謝罪したそうです。
そんな彼を受け入れてくれたからこそ、今も毎年2回のお墓参りが続いています。

ファンに対してはお別れ会などの機会は設けられず
ご実家やお墓へも絶対に行かないようにと繰り返しアナウンスされました。

●MALICE MIZER復活(1999年11月)

「Kamiのためにも、ファンのためにも、止まるわけに行かなかった」と言い
新Vo.不在のまま、インスト曲『再会の血と薔薇』をリリースしました。
ここからが通称「3期マリス」となります。

3期の作品はクレジットに全て
「Eternal blood rerative Kami」(永遠の血族Kami)と記されています。
2期までのファンをミゼラーと呼ぶことに対し
この頃からメンバー含めて「血族」と呼ぶようになりました。

翌2000年2月1日、死後最初のKamiくんの誕生日に『神話』をリリース。
Gacktさん不在の4人の表紙となった雑誌の中で
やっと1曲出来たと語っており、その時の曲を残ったメンバーで完成させたと思われます。

●Klahaさん加入(2000年8月)

10ヵ月ほどVo.不在でリリースを続け
ついにVo.入りのシングル『白い肌に狂う愛と哀しみの輪舞』をリリース。
シルエットのみで顔も素情も明かされぬまま新Vo.を迎えることが発表され
アルバム『薔薇の聖堂』リリースと共に武道館2DAYSで盛大な復活公演を開催。
現メンバーとファンとKamiくんの再会の場とされ、マリスが永遠を誓った夜。

Gacktさんの後任という重圧は厳しいもので
「シンデレラボーイなんていいものじゃない」
「ライヴをやったら距離が縮まると思ったけどそんなことはなかった」など
Klahaさんからは消極的な発言が多かった印象。
2期のクオリティを求めるファンやGacktファンからのバッシングが激しく
爆発的だった人気も落ちついていきました。

●MALICE MIZER活動停止(2001年12月)

FCの終了と共に事実上の解散でありながら
各自別の道を歩むことを前提に無期限の「活動停止」と発表。

アルバム制作の途中で、解散ライブやステージからの挨拶はなく
紙面でやんわりと心情を語って9年間の活動に幕を下ろしました。
全員がこの決断は前向きなものと言いつつも
言葉の端々に苦しさが垣間見えるインタビュー。

uv MALICE MIZER FILE

【Mana様】

色んな想いがありすぎて
次のアルバムをまとめることは難しいという結論に達しました。
で、今回、一度MALICE MIZERの外に出て個々で活動しようと。
いつ活動を再開するか分からないのにこう言うのは辛いんですが
気持ちの上ではMALICE MIZERの為に活動を休止するという感覚がありますね。

今までは「マリスミゼルとは?」という前提があったけど
自分自身という音楽を1回作り出したいんです。
自分の1番納得いく音を探すには音楽機材の勉強も完全にやりたい。

MALICE MIZERというバンドがなくなるという感覚は全くないですね。
一度メンバーはMALICE MIZERから離れますけど
MALICE MIZERはそこにあるんですよ。
皆さんの心の中にもMALICE MIZERはずっと存在している筈なんです。

【Klaha】

究極的に言ってしまうと
僕自身がまだMALICE MIZERのVo.として自分を認め切れてないところはあります。
自分が望むMALICE MIZERのVo.像が邪魔だったりするんですよ。
新しい風を吹かせたいという葛藤が凄くあったけど決着はつかなかった。
自分達が望むものと望まれるものもどんどん大きくなっていって
なかなか感触が得られなかったのも正直なところですね。

マイナスな感情は全然なく、とても前向きな結論なんです。
アーティストの重さを思い知らされたし楽しかったことばかりじゃないけど
間違いではなかったし、後悔はないですね。

今後MALICE MIZERと同じような世界観のことをやっても
二番煎じになるだけだと思うので僕は望まない。
対極とまでいかなくてもそれぞれの道を行く意味を持たせないといけないと思う。
最終的に(活動休止して)よかったねって
言われる生き方をしなければならないと思ってますね。

(※)
この直前、Klahaさんの短期失踪の噂もありました。
ソロ始動から間もなく、彼は精神を病んで挨拶もなく姿を消したことから
表向きの明るい言葉と本心が一致しないところがあるのかもしれません。

【Kozi】

やっぱりKamiのことがあってから
MALICE MIZERは絶対に止めてはいけないって
いうのもあったし
いくらリセットするって言ったってすぐフラットな状態には持って行けないですよ。
やっぱり辛い記憶が残ってて、意外と楽しいことは覚えてなかったりする。
辛いことがあったからこそ毎回負けられないなって気持ちは常にあったし。
いちいち弱音を吐いてたら今までやってきたことがなんだったんだってことになる。
サラっと話してるけど非常に辛いっすよ。辛いですねぇ。
俺、暗いですからね。

この先もこんなバンドはないと思うんだけど
固まったものを崩さないと先にはいけないからね…。
MALICE MIZERって固まったものが出来上がっていたじゃないですか。
その枠から外れることは出来なかったし、かなり高い城壁の中にいた。
これからも逃れられないのかもしれない。
発想はポンポン出てくるけどそれがMALICE MIZERじゃ出来ないってこともあった。

あんまりカチっとしすぎてもつまらないじゃないですか。
これからはピンのKoziって人から発せられるものを出したいですね。
一方向には行きたくないから1人じゃなきゃ出来ないものをやるっていう感覚。
自分自身がドキドキワクワクしたい。

冷たいかもしれないけど、応援してくれる人だけの為にやってきたわけ
もない。
でも自己満足にはなりたくなくて、応援してくれる人を意識してやってきた。
ファンの人には生きてるよって挨拶したい気持ちはあるんだけど
事務所とかよくわからないし1人になると思うから消息を絶つんじゃないですかね。
バンドの看板がなくなって自分に何が出来るのかも気になる。

【Yu~ki】

MALICE MIZERをやっていくことに限界を感じたとは言いたくないけど
MALICE MIZERの枠に収まりすぎてるというか。
今まで築き上げてきたことがあることを分かってるし
MALICE MIZERが求められているものも分かるけど
それに甘えて殻に閉じこもってしまったというのはあるんですよね。
活動している自分達を客観的に見れないし打破する行動に移せなくなっていた

悲しい気持ちかと言うとそれもまた違うんですよ。
一度立ち止まる勇気だったり、色んな意味で自分を見つめ直す為に
個々が新たな経験をして大きくなりたいですね。
その時間をここで作らせて貰いますが
そこにはとても前向きな気持ちがあるんですけどね。
活動休止したからこそフレッシュに新たな気持ちでやりたいです。

-でも辛さと残念さが表情にすごく漂ってますね?
それはやっぱりね…。言葉にするのが難しいです。
自分の中に持っているものを再確認してからまたスタートしたい。
好きなものをもう一度見つめ直してひとつずつクリアしていきたい。

●GacktさんとKoziさんの和解表明(2006年08月)

当時の公式HPで連載していた日記に、双方が再会報告を書きました。

Gacktさんの2002年下弦ツアーか2003年上弦ツアーでも
KoziさんとYu~kiちゃんの目撃情報があり(私が離脱している時期なので曖昧)
その時もGacktさんがラジオで
「昔のバンドの仲間が見に来てくれて楽屋で話した」と言ってた筈ですが
双方からの合意として発信されたのはこれが初めてでした。

【Gackt】
5,6年ずっと会ってなくて、お互い連絡先も知らなくて。
新潟の仲間と、そしてKoziと7人で小さな部屋で久し振りに再会しました。 
まるで、時間が止まっている、そんな不思議な感じでした。 
たくさん話をしました。止まっていたものが流れていく感じでした。 

よくよく考えてみたらKOZIとはあんな風に話をしたことは
バンド時代にも一度もなかったような気がしました。 
届けられる思いも気持ちもやはり言葉にしなければ 
相手には届かないものだなとつくづく思いました。
大きく変わったなーと思うところも一杯ありました。
あんな風に、人に対しての想いを語れるようになったのはビックリしました。

とがっていた時代に出逢って大切なことを伝えきれないまま離れてしまって
それでも互いに頑張ってきて。 
また、こうやって出逢えたことが本当に嬉しかった。 
そんな再会に感謝しています。 
また一緒に飲みに行きたいです。 
人はこれを縁と言うのかもしれません。

【Kozi】
ビックリだよ、ペレレ~♪だよ
ゲストの“ヤツ”とは何年ぶりになるだろ~か?な再会の俺。 
ま、久しぶりだね!と朝まで飲むだよ。

この時KoziさんからはGacktさんの名前は出ていませんが
2011年の東北地方太平洋沖地震の復興支援として
GACKTさんが立ち上げた募金団体「SHOW YOUR HEART」の参加者リストにも
Koziさんが名前を連ねており、密やかながら親交は続いている模様。

●ドラム寄贈事件(2008年03月)

Kamiくんの母校の卒業式へGacktさんがサプライズ出演。
『野に咲く花のように』を歌い、ご両親の希望を受けて
Kamiくんのドラムセットを寄贈したことが各ニュースで報道されました。

決裂した当時のままだと思っているミゼラーたちが猛反発し
「Kamiに罵倒された余所者のGacktに寄贈する権利はない!」
と激しいバッシングが起こりました。

マリスメンバーと交流のあったkazuneさんというバンドマンが
当時日記に彼目線での裏話(Gacktさん批判)をアップするも一瞬で削除。
日記主の主観を抜きにした情報としては以下のことが書いてありました。

・以前からGacktさんと神村家の間でドラムを母校に寄贈する話があった。
・実際にドラムセットをご両親の元へ届けたのはKoziさん。
・ドラムに対面したKamiくんのお父さんは泣いて感激したそう。
・ご実家に運ばれてから1週間せずに寄贈の為に運び出された。
・マリスメンバーたちは腫れ物に触るように誰も口を出さなかった。
・Kamiくんお母さんが「誰にも使われないよりこれでよかったのかしら」と言った。

●GACKTさんがMALICE MIZERを歌う(2009年11月)

神威楽園の楽園祭に軽音楽部として性徒会長が出演という設定で
GACKTさんがコピー曲しばりのライヴを開催しました。
90年代V系ロックを中心としたセットリストの中で『au revoir』を熱唱。
「素敵なバンドがありました。素敵な仲間たちがいました。」と紹介しました。
FC会員のみが参加出来た公演で、映像化はされていません。

●MALICE MIZERぷち復活(2010年07月)

2008年、Mana様率いるMoi dix Mois主催のイベント「Deep Sanctuary」に
ソロ活動をしていたKoziさんが対バンとして出演し
洋楽カバーセッションで2人の共演が披露されました。

活動していなかったYu~kiちゃんは恐縮から抵抗感を示して不参加だったそうですが
2人の熱いオファーにより2回目の2010年は3人で出演。
Koziさんが歌い、3人でMALICE MIZERの過去曲を披露しました。
演奏曲から「再会の血と薔薇~ズ」2012年は「破誡の果て~ズ」と名乗り
2014年にはついに「MALICE MIZERです」と名乗りました。

2016年のグッズにはKamiくんを思わせる紫の蝶を使ったデザインがありましたが
Gacktさん、Klahaさんの名前は出ていません。
今後の活動予定はなく、3人が集まって過去の曲を演奏するステージ。

●GACKTさんがKamiくんのお墓参りを公開(2015年2月)

自身の遺書として書いた曲『P.S. I LOVE U』のリリースにあたり
ニコ生でKamiくんのお墓参りと
ご両親と過ごす映像、Kamiくんについて泣きながら語る映像が放送されました。

 非公開だったアーティストのお墓という神経質なものを公開したこと
含め
ドラム寄贈時と同様のミゼラーたちからのバッシングが大炎上。
リリースの宣伝に使った死人商法とも言われましたが
神村京のイニシャルである曲名『U+K』と同じ『I LOVE U』の表記であり
追悼の想いが強いからこそ関連性を見せたものだと思っています(個人の解釈)。

やっぱり最後に喧嘩して離れたこと、今までずーっと引きずってる。
しょっちゅう喧嘩してたけどアイツは謝る奴じゃなかったから
僕が次の日に「悪かったな」って言ってアイツは照れながらごめんとは言わないんだよ。
でもずっとそれで成り立ってた筈だったのに。

最後に1番大きな喧嘩をした時に謝るってことお互いに出来なくて
でも心配はずーっとしてて。
けど、彼が、その、亡くなった時に…
なんであん時に謝れなかったんだろ…
やっぱその想いってずーっと未だに残ってるよね。
何年経っても綺麗になってくんない。

だから初めてお父さんとお母さんに会った時に
「ほんとにごめんなさい」って、それがKamiに届くわけじゃないんだろうけど謝ってて。
そんな僕を受け入れてくれて応援してくれてる。
それがほんとに自分にとってありがたいことでさ。

作品を出す時は罪滅ぼしっていう気持ちがあって。
何を言ってもどんなことがあっても取り戻せないからどうにもならないけど
せめて、ちょっとは届いたらいいなーって思う。

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マリスから繋がる世界観の考察についてはこちらの記事も併せてどうぞ。

【1】Gacktソロ始動に繋がるマリスのストーリーおさらい

【2】MARS~空からの訪問者~(前編)

【3】MARS~空からの訪問者~(後編)

【4】Requiem et Reminiscence~鎮魂と再生~(前編)

【5】Requiem et Reminiscence~鎮魂と再生~(中編)

【6】Requiem et Reminiscence~鎮魂と再生~(後編)

【7】映画『MOON CHILD』の物語解説


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