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※自分用の記録です。深センとか駐妻とか関係なくてすみませんです/(^o^)\  完全に私の趣味の世界です。無駄に長文です。
先月弾丸で一時帰国してきました。もう1ヶ月以上経ったなんて信じられない( ゚д゚)
この日は香港を18時過ぎくらいに出る予定でしたが、搭乗キャンセルしたお客さんの荷物をオフロードするとかで離陸が1時間以上遅れたみたいです。私は搭乗してからすぐ寝てしまったので記憶が曖昧なのですが…チェックインして荷物を預けた後で搭乗をキャンセルするとはよっぽどの異常事態が起こったのでしょうか…  と他人事ながら少し心配になりました。

深夜1時くらいに羽田に着きまして、そう言えば昨日のお昼から何も口にしていなかった…  と急に空腹を覚えたので羽田空港の上の階の和食屋さんで出汁茶漬けをいただきました。胃に優しくてちょうど良かったです。お魚も美味しかったです❤*.(๓´͈꒳`͈๓).*❤

この後タクシーで平和島温泉へ移動して夜明かししました。ちょっと古い施設ですが、お風呂に入れますし(天然温泉らしいです)、女性専用の休憩スペースで横になることができてすごく良かったです!  しかしながら、隣で休んでいた人がモンスターみたいな鼾をかいていて、ものすごく疲れていたにもかかわらず眠りが浅かったですアセアセ  この人かどこかへ消えてからは平和でした。笑
羽田空港から平和島温泉からは深夜でも無料のシャトルバスが出ており(要ネット予約/公式サイトからできます)、深夜パック等各種コースもあり、便利だなと思いました。朝食も中々美味しかったですପ(⑅ˊᵕˋ⑅)ଓ  次利用する際はちゃんと予約していこうと思いました。こちらの施設の情報は素敵ブロガー様の記事で知りました!  ありがとうございます❤*.(๓´͈꒳`͈๓).*❤

久しぶりのスカイツリータウン  鯉のぼりの飾りが可愛かったです( ᵒ̴̶̷̤໐ᵒ̴̶̷̤ )

友達と一緒に秋葉原にオープンしたチロルチョコショップにも行きました(≧∇≦)  福岡にアウトレットがあるのは存じ上げていたのですが、私は福岡へ行く機会は中々ないので、東京に専門店がオープンしたのは嬉しい限りです(≧∇≦) アウトレット品の詰め合わせやチロルチョコ味のカレー、粉末コーヒー、文房具やタオル等、可愛い商品がたくさんありました⁄(⁄ ⁄ˊૢ⁄ ⌑︎ ⁄ˋૢ⁄ ⁄)⁄ 

コーヒーヌガー風のアイス
これが食べたかったんよପ(⑅ˊᵕˋ⑅)ଓ  こちらも美味しかったです(˃̶͈̀௰˂̶͈́)و✨

私はお友達用と自分用にごまたまご味のチロルチョコやメモ帳、ぐでたまやちびまる子ちゃんパッケージのチロルチョコ等を購入しました❤*.(๓´͈꒳`͈๓).*❤  ミルクヌガー美味しいです(^q^)

こちらも大好物です、グラニースミスのアップルパイ❤*.(๓´͈꒳`͈๓).*❤

数年振りに中野ブロードウェイにも行ってきました🤤  色々と目の保養になりました…  やっぱり東京はオタ活する時も最高に便利ですね。深センにいると本帰国しない選択肢もありかなと思う時もあるのですが、やっぱり東京も良いなと思いました。

今回の一番のお目当てはPhoenixのワンマンライブでした!!!!!!!  去年に引き続きまた日本に来てくれるなんて(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾  今年も控えめに言って最高でした( ˶´⚰︎`˵ )

豊洲PITは今回初めて行きました。キャパ3000人くらいのようですが、気が付いた時にはほぼ満員状態になっていました。整理券番号は結構前の方だったのに、ドトールでまったりしていたら入場時間過ぎてたよね…(アホ)
しかしそれでも去年のサマソニの時より前で見れました❤*.(๓´͈꒳`͈๓).*❤  トーマス氏の瞳の青さまでよく見えましたよ⁄(⁄ ⁄ˊૢ⁄ ⌑︎ ⁄ˋૢ⁄ ⁄)⁄   彼が、「ドウモアリガトウ」とはにかみながら言うのを見て(天使かな?🤤😇)と思いました。
スクリーン有りの方が良いという方もいらっしゃるみたいですが、個人的にはPhoenixはこのライティングの演出だけで充分素晴らしいしスクリーンはあるとむしろ邪魔になってしまうかなと思います。彼らには本当にカラフルな色彩がよく似合う⁄(⁄ ⁄ˊૢ⁄ ⌑︎ ⁄ˋૢ⁄ ⁄)⁄ 
最初の方はクリスチャン氏のギターのチューニングがちょっと気になった…けど途中からは大丈夫だった  お直ししたのか私の耳がおかしかったのかどっちだろう🤔(どうでも良い)
こちらはファンの方がプレゼントなさった日の丸らしいです!  わざわざバスドラに飾ってくれるなんて⁄(⁄ ⁄ˊૢ⁄ ⌑︎ ⁄ˋૢ⁄ ⁄)⁄ 
お客さんは年齢性別人種問わず色んな方がいらっしゃいました。わざわざ中国から来たのは流石に私くらいしかいないと思いますが。笑

最初の数曲は去年のサマソニの時のセトリとほぼ同じでした。J-Boy → Lasso → Entertainment → Lisztomania → Trying To Be Coolまでノンストップで駆け抜ける!!!この流れで盛りがらない訳がないよね!!!  しかし今回はさすがにワンマンだけあってEverything Is EverythingとかToo YoungとかIf I Ever Feel Betterとか昔(って言って良いのかな?)の曲も色々聞けて良かったです(੭ु ˃̶͈̀ ω ˂̶͈́)੭ु⁾⁾  アコースティックバージョンのGoodbye Soleilとかもすごく良かったです❤*.(๓´͈꒳`͈๓).*❤
Telefonoの時、小道具の黒電話を耳に当ててお話するトーマス氏は天使かな?🤤😇と思いました。今年も好きな曲たくさん
聞けて幸せでした…😇😇😇
最後の最後、Ti Amo Di Piùでまたトーマス氏とファンの触れ合いタイムがありまして、すごい近くで見れましたしもう少しでトーマス氏にさわれそうでした!  さわれた人いいな…   彼は最後皆にステージまで送られていったのですが、目の前で彼のTシャツが捲れて細い腰が露わになったんですよ。あれはやばかった。しかもそれをすかさず直したところに恥じらいを感じました。このお方は天使かな?🤤😇(何回目)  今でも彼の細い腰つきを思い出してあああああってなる時が多々あります。どう見ても不審者です本当にありがとうございました。この時の様子を超バッチリなお写真と共に呟いったーに上げてくださった方々がいらっしゃり、#帰還者トーマスとタグが付けられていて上手い!と思いました😂
あとこんなのも売られてたんですね〜  知らなかった… 

Phoenixはタイとかインドネシアとかではライブしてるのにどうして中国には来てくれないんだろう′̥̥̥ ‵̥̥̥ ꒱  中国嫌いなんだろうか…

クラスメイトのフランス人のお姉さまにPhoenixってバンド知ってる?と聞いたら知らないって言ってましたびっくり  ちなみに“てぃあも”はイタリア語で愛してる、“じゅてーむ”はフランス語で愛してる(何故か私はこんにちはという意味だと思ってましたがじゃあボンジュールは何だよってなりますよね  自分が馬鹿すぎて救いようがない🤤)、“てきえろ”はスペイン語で愛してるという意味だと教えてもらいました😇   
関係ないですが先々月くらいにスタアパの森田氏が金密輸容疑でタイーホされたという報道があり、某ニュースサイトのコメント欄には「誰?」とか「胡散臭い人だな」とか書いてる人が思いの外たくさんいてびっくりしました。森田氏は世界的なDJ・音楽プロデューサーだしスタアパも誰でも知ってるくらい有名とまでは言わないけどそこそこ有名だよね?????  昔森田氏目当てで行ったカウントダウンパーティーがゲイパーティーだったのは良い思い出です🤤  とにかく自分の認識する世界と他の人のそれがあまりに違っているぽいことに戸惑うことがよくあります…  
去年も思ったんですがPhoenixの曲はどちらかと言うとおしゃれなイメージだけどライブは本当に盛り上がるしとにかく熱いんです!!!!!  この感じは生でないと味わえないのでPhoenix好きな方は是非一度ライブへ行かれることを心からお勧めします🤤  ものすごい多幸感に包まれます。ますますハマること間違いなしです。実際去年のサマソニがきっかけでハマった方も多いみたいですし…
私が行ったのは東京1日目の公演でしたが、サポートアクトのフレデリックも中毒性のある感じですごく良かったですキラキラ  大阪1日目のサポートアクトはねごとやったんですねー観たかった(˚ ˃̣̣̥ω˂̣̣̥ )

豊洲PITで配られていたチラシによると、今年のサマソニにパラモア出るみたいなんですよねヤバイ!!!⁄(⁄ ⁄ˊૢ⁄ ⌑︎ ⁄ˋૢ⁄ ⁄)⁄    行きたいけどこの日試験だから無理ぽなんですよね…
ライブの後すぐ羽田に向かって深夜便に乗って早朝香港へ着き、一度深センの自宅に戻ってシャワーを浴びて大学へ行きました。死ねるかな?と思いましたがライブの余韻に浸りつつ気合いで乗り切りましたପ(⑅ˊᵕˋ⑅)ଓ  息子の面倒をみてくれたパパ先生と弟君に感謝ですପ(⑅ˊᵕˋ⑅)ଓ  こうしてみると香港(深セン)から東京もけっこう近いもんやなーと思いました。
ほぼ趣味語りですみません。趣味の合う方是非語りませうヽ(^o^)
お読みいただきありがとうございました。
おわし

羽田について私が知っている二、三の事柄

2015年、欅坂46に続いて結成された「けやき坂46」(通称ひらがなけやき)。今年に入ってから武道館3days公演を成功させ、今後アルバムの発売も控える業界最注目のグループだ。しかし、結成時のメンバーはたった一人だったー。

2015年8月21日。東京都内の会場で、後に欅坂46としてデビューすることになるメンバーたちの最終オーディションが行なわれていた。

審査前、写真撮影のために壇上に並ばされた候補者たち。しかし、”候補者番号17番”のスペースだけが、誰もいないままぽっかり空いていた。

実は、ここに立つはずだった少女は、最終審査の当日、急遽長崎から上京してきた母親に連れられ、すでに機上の人となっていたのだ。

その少女の名前は、長濱ねる。

けやき坂46通称「ひらがなけやき」というグループが歩んできた、数奇で、濃密なストーリーは、まず彼女の個人的な事情からはじまる。

衝撃的だったオーディション参加。

1998年、長崎市内で生まれた長濱ねる。この「ねる」という珍しい名前には、”考えを練る”という意味が込められている。幼いころから聡明で本が好きだった彼女は、高校も県内で一、二を争う進学校に進んだ。
勉強することは嫌いではない。高校に入ってからも、テスト前には16時間も机に向かうことがあった。ただ、心の中はいつも曇り模様だった。
そのころのことで、よく覚えている光景がある。高校1年生の冬のある日、遠回りして家に帰ろうと、いつもは使わない海沿いを走る列車に乗った。長崎の海が、夕焼けのオレンジ色に染まっていた。その美しい景色を見ながら大好きな乃木坂のアルバム『透明な色』を聴いていると、突然、涙がこぼれてきた。自分でも驚いたが、涙はぽろぽろと落ち、止まることがなかった。
当時、彼女は進路のことで悩んでいた。物心つく前から海外旅行を経験し、長崎でも国際交流団体に入って活動していた長濱は、将来は空港のグランドスタッフ(地上勤務職員)になりたいという希望を持っていた。そのため高校卒業後は専門学校に進むつもりだったが、学校からは当たり前のように反対され、四年制の大学への進学を強く推されていた。
「結局、私は決められたレールをはみ出せずに、学校から言われたとおりに進学するんだろうな」
そう思うと、自分の将来もくすんで見えてきた。それに加えて、人間関係を極度に気にする性格だったので、教室の中にも窮屈さを感じていた。そんな心の澱が涙になって、まぶたからあふれ出した瞬間だった。
ちょうどそんな時期に、乃木坂46に続く新プロジェクトのメンバー募集が告知される。実は小学生のときにパソコンクラブに所属し、AKB48の動画をひたすら見ていたという彼女は、”AKB48の公式ライバル”として結成された乃木坂のことを「これは私だけのアイドルだ」と最初期から応援していた。ただ、アイドルになりたいという気持ちをもっていたわけではないので、乃木坂46の2期生オーディションには応募していない。イヤホンから乃木坂46の曲が流れていれば、それだけで幸せだった。
そのはずが、高校に入ってから葛藤の日々を過ごす中で、衝動的にこの新プロジェクトのオーディションに応募してしまう。そのときは、自分がアイドルになって何をしたいのかもよく分かっていなかったから、応募書類の志望動機の欄は、空白のまま提出した。
「S」評価を与えられた少女

現在の欅坂46、そしてけやき坂46を運営するスタッフは、彼女の応募書類をよく覚えている。まず「ねる」という珍しい名前が気になった。通っている学校は、どうやら超のつく進学校らしい。添付された写真を見ても、大きな目元がアイドル性を感じさせる。無数に送られてくる応募書類の中でも、彼女のそれは輝いて見えた。

書類選考を通過し、長濱は福岡で行われた2次審査に進む。この審査員の前で、腕を大きく広げてチャームポイントの”猿腕”を披露し、乃木坂46のメンバーである伊藤万理華の持ち曲『まりっか’17』を歌った。

ー優等生だと思っていたが、明るく、よくしゃべるコで、応募書類の写真よりかわいい。この時点で、オーディション担当者は彼女に 「S」という評価をつける。Sは”special”の頭文字で、合格水準であるAよりはるかに上の評価であり、2万人以上が応募したこのときのオーディションでも数人しか与えられなかったものだった。

この2次審査に合格したという通知を彼女が受け取ったのは、ロンドンに住む叔母の元にホームステイをしているときだった。実は、その前に長崎の両親にはすでに連絡が入っていたのだが、両親は本人に知らせていなかった。オーディションを受けることは家族も知っていたが、あくまで”記念受験”であり、娘は今まで通り長崎の高校に通い続けるものと思っていた。ふり返れば、この時点で後の事件の種となるすれ違いがあったのかもしれない。

ただ、この頃は長濱も「どうせ落ちるだろう」と思っていたので、東京で行われた3次審査は、東京見物に行くつもりで参加した。だが、本人の予想に反して、3次審査も通過し、母親が取っていた飛行機のチケットをキャンセルして運営が用意したホテルに泊まることになる。このとき、

初めて家族とこの件について真剣に話し合った。

形態のテレビ電話越しに見る母親の顔には、焦りが浮かんでいた。翌日には予定されていた最終オーディションに進む候補者は、長濱を含めて46人。「”なんとか46”なんだから、全員受かってしまうんじゃないか」と心配になった。むろん全員が受かるものではないのだが、万一合格すれば世間に顔と名前が公表される。せっかく猛勉強して入った高校も辞めることになる。しかし、両親に姉を加えて長い長い時間話し合った結論は、「ねるを応援してあげよう」というものだった。

そして翌朝、最終審査に付き添うため、母親が飛行機で上京することになった。

連れ戻しに来た母親に放った、ひと言

オーディション当日の朝、ホテルにいたスタッフからオーディション担当者の元に緊急連絡が入った
「長濱ねるさんが最終審査を辞退し、お母さんと帰ると言っていま

驚いた担当者はすぐに母親と連絡を取り、何とか話し合いの席を設けてもらった。

しかし、その対話は寒々しいものに終わった。母親はとりつく島もなく、娘は一言も発せずにしくしくと泣いている。もう引き留めるすべがないと悟った担当者は、最後に二人に向かってこんなことを話した。

「生意気なことを言いますが、これは親子のコミュニケーションの問題だと思います。ねるちゃんもアイドルになりたいんだったら、自分の気持ちをちゃんとお母さんに話したほうがいいと思う。お母さんも娘さんの話を聞いたうえで、もう一度考えてあげてください」

こうして、”候補者番号17番”のスペースは空白のまま、最終審査が行われることになった。

しかしなぜ、前夜の家族会議で「応援する」といった母親は、娘を連れ戻したのか?実は長濱ねるの両親は、ふたりとも長崎の学校に勤める教師である。これまで、堅実に3人の子供を育てて来た。だが、娘に厳しかったわけではない。今思い返しても、長濱には両親から「勉強しろ」とか「あれはやっちゃダメ」といわれた記憶がない。今回だって、心配しながらも「応援する」と言ってくれた。

ただ”なんとか46”もよくわからない母親にとって、芸能界は依然として未知の世界だった。長崎から羽田空港へ向かう飛行機の中で一人考えていると、不安がどんどん膨らんできた。東京に着くころには、なんとしても娘を連れ戻す気になっていた。

母親が応援に来てくれるものと思っていた長濱は、ホテルに着くなり「もう帰ろう」と言った母親に驚かされた。「ここまで来たら最後まで受けたい」と一度だけ言ったが、それまで親にまともに反抗したことがなかった彼女は、このときも結局は母親の判断を受け入れる。

ただ、高校で進路を決められた時のように、また自分が誰かの決めたレールの上を歩くと思うと、ひたすら悲しかった。あんなに優しかった母親が、有無を言わさず自分の将来の可能性を奪おうとしていることにも動転させられた。

羽田空港で飛行機を待っているときに、長濱はたった一言だけ、しかし強い毒を母親に突き刺す。

「お母さん、これで満足した?」

乃木坂46が両親に与えた衝撃

実家に帰った頃には、涙も枯れていた。表情のない顔でテレビをみていると、自分が受けるはずだったオーディションの結果がニュースで流れた。笑顔でカメラに向かって手を振る合格者たち。グループ名は当初告知されていた「鳥居坂46」というものから「欅坂46」に変更されたという。

「ねるにも最後までチャンスを与えるべきだったんじゃない?先に危ない芽を摘もうとするよりは、壁にぶち当たったときに助ければいいんじゃない?」

父親にも相談せずに娘を連れ帰ってきたに母親に対し、姉が諭すように話をしていた。母親は、黙ってニュースを見ている娘の姿に胸が苦しくなり、「取り返しのつかないことをしてしまった」とパニックになっていた。そんな家族の様子を見た父親は、その日の夜のうちに、娘が最終審査さえうけれなかったこの欅坂46というグループの運営スタッフに電話を入れた。

「妻が娘を連れ戻してしまったんですが、娘の夢をここで断ってしまうことが正しいことなのか、私にはわかりません。父親として何かやれることがないかと思い、ダメ元でお電話しました」実直に話す父親の言葉は、胸に迫るものがあった。

実はこのとき、不思議な縁が両者を再びつなぐことになる。最終審査の翌日と翌々日に、乃木坂46の全国ツアーの福岡公演が予定されていたのだ。長濱も随分前からチケットを買い、楽しみにしていたライブだった。

そこで運営スタッフは、父、母のふたりもこのライブに招待することにした。

「一度、お母さんも含めて僕たちのライブを見に来てください。そこで、僕たちが作っているものがどういう世界なのか、わかっていただけると思います」

8月23日夜、長濱家は福岡国際センターで行われた乃木坂46のライブを観覧した。そこで、長濱ねるの運命を変えるものを目撃することになる。

この年の全国ツアーでは、各公演で特定のメンバーをフィーチャーしたVTRが流されていた。そして長濱家が観覧していた回で流れたのが、秋元真夏というメンバーとその父親の物語だった。

秋元の言葉。

「(乃木坂に合格した時)お母さんに電話しました。喜んでもらえると思ってかけたんですけど、『え。。。。』って言われて」

秋元は中学受験で中高一貫の進学校に入学し、高校では生徒会長も務めた優等生である。そんな娘が、高3の時点で乃木坂46のオーディションを受けることに父親は強く反対しており、秋元は合格直後から休業することになった。

その間の父親としての葛藤、大学に合格して乃木坂46に復帰し、今、テレビの中で自分の人生を生きている娘を見て感じたことー。そんな本心がつづられた手紙が、VTRの中で読み上げられた。

「ずっと言えなかったけど、もう反対はしない。今は常に、真夏の味方だよ」

そんな言葉で締めくくられた映像を見て、長濱の父親は、自分の心と重なるものを感じた。

「どこの親もこうして心配しながら娘を芸能界に送り出しているんだな」

母親のほうも、コンサートを見る中で気持ちが変わっていった。あれだけ偏見を持っていたアイドルというんものは、実に華やかなもので、一生懸命頑張るメンバーたちの姿は掛け値なしにすてきだと思えた。

「こんなにちゃんとしたグループだったんだ。娘もこんなふうに一生懸命になれるものを見つけたんだったら、自分はそれを後押ししてあげるべきじゃないか。危険から守ろうとするんじゃなくて、娘のやりたいことを理解してあげるべきなんじゃないか」

コンサート後、両親は運営スタッフに頭を下げていった。

「今から、オークションの辞退を取り消していただけないでしょうか」

だが、最終審査を経ていないメンバーをそのまま加入させるわけにはいかないー。

ここから、長濱ねるの得意なアイドル人生が始まることになる。

続く

文=西中賢治

@週刊プレイボーイ


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