羽田の販売店舗情報、商品を格安価格でご提供しております
深夜1時くらいに羽田に着きまして、そう言えば昨日のお昼から何も口にしていなかった… と急に空腹を覚えたので羽田空港の上の階の和食屋さんで出汁茶漬けをいただきました。胃に優しくてちょうど良かったです。お魚も美味しかったです❤*.(๓´͈꒳`͈๓).*❤
久しぶりのスカイツリータウン 鯉のぼりの飾りが可愛かったです( ᵒ̴̶̷̤໐ᵒ̴̶̷̤ )
友達と一緒に秋葉原にオープンしたチロルチョコショップにも行きました(≧∇≦) 福岡にアウトレットがあるのは存じ上げていたのですが、私は福岡へ行く機会は中々ないので、東京に専門店がオープンしたのは嬉しい限りです(≧∇≦) アウトレット品の詰め合わせやチロルチョコ味のカレー、粉末コーヒー、文房具やタオル等、可愛い商品がたくさんありました⁄(⁄ ⁄ˊૢ⁄ ⌑︎ ⁄ˋૢ⁄ ⁄)⁄
こちらも大好物です、グラニースミスのアップルパイ❤*.(๓´͈꒳`͈๓).*❤
今回の一番のお目当てはPhoenixのワンマンライブでした!!!!!!! 去年に引き続きまた日本に来てくれるなんて(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾ 今年も控えめに言って最高でした( ˶´⚰︎`˵ )
聞けて幸せでした…😇😇😇
Phoenixはタイとかインドネシアとかではライブしてるのにどうして中国には来てくれないんだろう꒰⁎′̥̥̥ ⌑ ‵̥̥̥ ꒱ 中国嫌いなんだろうか…
羽田について私が知っている二、三の事柄
2015年、欅坂46に続いて結成された「けやき坂46」(通称ひらがなけやき)。今年に入ってから武道館3days公演を成功させ、今後アルバムの発売も控える業界最注目のグループだ。しかし、結成時のメンバーはたった一人だったー。
2015年8月21日。東京都内の会場で、後に欅坂46としてデビューすることになるメンバーたちの最終オーディションが行なわれていた。
審査前、写真撮影のために壇上に並ばされた候補者たち。しかし、”候補者番号17番”のスペースだけが、誰もいないままぽっかり空いていた。
実は、ここに立つはずだった少女は、最終審査の当日、急遽長崎から上京してきた母親に連れられ、すでに機上の人となっていたのだ。
その少女の名前は、長濱ねる。
けやき坂46通称「ひらがなけやき」というグループが歩んできた、数奇で、濃密なストーリーは、まず彼女の個人的な事情からはじまる。
衝撃的だったオーディション参加。
現在の欅坂46、そしてけやき坂46を運営するスタッフは、彼女の応募書類をよく覚えている。まず「ねる」という珍しい名前が気になった。通っている学校は、どうやら超のつく進学校らしい。添付された写真を見ても、大きな目元がアイドル性を感じさせる。無数に送られてくる応募書類の中でも、彼女のそれは輝いて見えた。
書類選考を通過し、長濱は福岡で行われた2次審査に進む。この審査員の前で、腕を大きく広げてチャームポイントの”猿腕”を披露し、乃木坂46のメンバーである伊藤万理華の持ち曲『まりっか’17』を歌った。
ー優等生だと思っていたが、明るく、よくしゃべるコで、応募書類の写真よりかわいい。この時点で、オーディション担当者は彼女に 「S」という評価をつける。Sは”special”の頭文字で、合格水準であるAよりはるかに上の評価であり、2万人以上が応募したこのときのオーディションでも数人しか与えられなかったものだった。
この2次審査に合格したという通知を彼女が受け取ったのは、ロンドンに住む叔母の元にホームステイをしているときだった。実は、その前に長崎の両親にはすでに連絡が入っていたのだが、両親は本人に知らせていなかった。オーディションを受けることは家族も知っていたが、あくまで”記念受験”であり、娘は今まで通り長崎の高校に通い続けるものと思っていた。ふり返れば、この時点で後の事件の種となるすれ違いがあったのかもしれない。
ただ、この頃は長濱も「どうせ落ちるだろう」と思っていたので、東京で行われた3次審査は、東京見物に行くつもりで参加した。だが、本人の予想に反して、3次審査も通過し、母親が取っていた飛行機のチケットをキャンセルして運営が用意したホテルに泊まることになる。このとき、
初めて家族とこの件について真剣に話し合った。
形態のテレビ電話越しに見る母親の顔には、焦りが浮かんでいた。翌日には予定されていた最終オーディションに進む候補者は、長濱を含めて46人。「”なんとか46”なんだから、全員受かってしまうんじゃないか」と心配になった。むろん全員が受かるものではないのだが、万一合格すれば世間に顔と名前が公表される。せっかく猛勉強して入った高校も辞めることになる。しかし、両親に姉を加えて長い長い時間話し合った結論は、「ねるを応援してあげよう」というものだった。
そして翌朝、最終審査に付き添うため、母親が飛行機で上京することになった。
連れ戻しに来た母親に放った、ひと言
」
驚いた担当者はすぐに母親と連絡を取り、何とか話し合いの席を設けてもらった。
しかし、その対話は寒々しいものに終わった。母親はとりつく島もなく、娘は一言も発せずにしくしくと泣いている。もう引き留めるすべがないと悟った担当者は、最後に二人に向かってこんなことを話した。
「生意気なことを言いますが、これは親子のコミュニケーションの問題だと思います。ねるちゃんもアイドルになりたいんだったら、自分の気持ちをちゃんとお母さんに話したほうがいいと思う。お母さんも娘さんの話を聞いたうえで、もう一度考えてあげてください」
こうして、”候補者番号17番”のスペースは空白のまま、最終審査が行われることになった。
しかしなぜ、前夜の家族会議で「応援する」といった母親は、娘を連れ戻したのか?実は長濱ねるの両親は、ふたりとも長崎の学校に勤める教師である。これまで、堅実に3人の子供を育てて来た。だが、娘に厳しかったわけではない。今思い返しても、長濱には両親から「勉強しろ」とか「あれはやっちゃダメ」といわれた記憶がない。今回だって、心配しながらも「応援する」と言ってくれた。
ただ”なんとか46”もよくわからない母親にとって、芸能界は依然として未知の世界だった。長崎から羽田空港へ向かう飛行機の中で一人考えていると、不安がどんどん膨らんできた。東京に着くころには、なんとしても娘を連れ戻す気になっていた。
母親が応援に来てくれるものと思っていた長濱は、ホテルに着くなり「もう帰ろう」と言った母親に驚かされた。「ここまで来たら最後まで受けたい」と一度だけ言ったが、それまで親にまともに反抗したことがなかった彼女は、このときも結局は母親の判断を受け入れる。
ただ、高校で進路を決められた時のように、また自分が誰かの決めたレールの上を歩くと思うと、ひたすら悲しかった。あんなに優しかった母親が、有無を言わさず自分の将来の可能性を奪おうとしていることにも動転させられた。
羽田空港で飛行機を待っているときに、長濱はたった一言だけ、しかし強い毒を母親に突き刺す。
「お母さん、これで満足した?」
乃木坂46が両親に与えた衝撃
実家に帰った頃には、涙も枯れていた。表情のない顔でテレビをみていると、自分が受けるはずだったオーディションの結果がニュースで流れた。笑顔でカメラに向かって手を振る合格者たち。グループ名は当初告知されていた「鳥居坂46」というものから「欅坂46」に変更されたという。
「ねるにも最後までチャンスを与えるべきだったんじゃない?先に危ない芽を摘もうとするよりは、壁にぶち当たったときに助ければいいんじゃない?」
父親にも相談せずに娘を連れ帰ってきたに母親に対し、姉が諭すように話をしていた。母親は、黙ってニュースを見ている娘の姿に胸が苦しくなり、「取り返しのつかないことをしてしまった」とパニックになっていた。そんな家族の様子を見た父親は、その日の夜のうちに、娘が最終審査さえうけれなかったこの欅坂46というグループの運営スタッフに電話を入れた。
「妻が娘を連れ戻してしまったんですが、娘の夢をここで断ってしまうことが正しいことなのか、私にはわかりません。父親として何かやれることがないかと思い、ダメ元でお電話しました」実直に話す父親の言葉は、胸に迫るものがあった。
実はこのとき、不思議な縁が両者を再びつなぐことになる。最終審査の翌日と翌々日に、乃木坂46の全国ツアーの福岡公演が予定されていたのだ。長濱も随分前からチケットを買い、楽しみにしていたライブだった。
そこで運営スタッフは、父、母のふたりもこのライブに招待することにした。
「一度、お母さんも含めて僕たちのライブを見に来てください。そこで、僕たちが作っているものがどういう世界なのか、わかっていただけると思います」
8月23日夜、長濱家は福岡国際センターで行われた乃木坂46のライブを観覧した。そこで、長濱ねるの運命を変えるものを目撃することになる。
この年の全国ツアーでは、各公演で特定のメンバーをフィーチャーしたVTRが流されていた。そして長濱家が観覧していた回で流れたのが、秋元真夏というメンバーとその父親の物語だった。
秋元の言葉。
「(乃木坂に合格した時)お母さんに電話しました。喜んでもらえると思ってかけたんですけど、『え。。。。』って言われて」
秋元は中学受験で中高一貫の進学校に入学し、高校では生徒会長も務めた優等生である。そんな娘が、高3の時点で乃木坂46のオーディションを受けることに父親は強く反対しており、秋元は合格直後から休業することになった。
その間の父親としての葛藤、大学に合格して乃木坂46に復帰し、今、テレビの中で自分の人生を生きている娘を見て感じたことー。そんな本心がつづられた手紙が、VTRの中で読み上げられた。
「ずっと言えなかったけど、もう反対はしない。今は常に、真夏の味方だよ」
そんな言葉で締めくくられた映像を見て、長濱の父親は、自分の心と重なるものを感じた。
「どこの親もこうして心配しながら娘を芸能界に送り出しているんだな」
母親のほうも、コンサートを見る中で気持ちが変わっていった。あれだけ偏見を持っていたアイドルというんものは、実に華やかなもので、一生懸命頑張るメンバーたちの姿は掛け値なしにすてきだと思えた。
「こんなにちゃんとしたグループだったんだ。娘もこんなふうに一生懸命になれるものを見つけたんだったら、自分はそれを後押ししてあげるべきじゃないか。危険から守ろうとするんじゃなくて、娘のやりたいことを理解してあげるべきなんじゃないか」
コンサート後、両親は運営スタッフに頭を下げていった。
「今から、オークションの辞退を取り消していただけないでしょうか」
だが、最終審査を経ていないメンバーをそのまま加入させるわけにはいかないー。
ここから、長濱ねるの得意なアイドル人生が始まることになる。
続く
文=西中賢治
@週刊プレイボーイ
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