厳選! 「SEKAI」の超簡単な活用法7個

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SEKAIの魅力についてまとめました。

8月3日~5日、

「TOKYO IDOL FESTIVAL」では

たくさんのアイドルが出演した。

その中でイコラブ側から見た

アイドル同士の邂逅(出会い)を

Twitterを参考にまとめてみた。

※Twitterの貼り付けは

html文字数が多すぎるため

アメブロは60個くらいが限界。

なので記事を4つに分けました。

①AKB48グループ編

②ラストアイドル編

③みりにゃーたん編

④その他補足編

こちらはその他補足編です。

●載せきれなかったものをできるだけ

貴重な写真

ありがとうございました。

おわり。

疲れた。

初恋の味、SEKAI

「ああ。おれもう27歳になっちゃうんだねえ」

深瀬がしみじみと話している。
一つ年をとる時は、山頂に届いた時に
自分の歩いてきた道を眺めている気分と似ている。

「そうだねえ」

「27歳だよ!?」

「うんうん」

「ホントになるんだよ?」

「いや、ならない方が嫌だよ。」

「え?」

「いや、『あいつだけずっと26歳のまんまだね…』とかはやめて欲しい」

「そうか…」

ということで、我らがSEKAI NO OWARIのヴォーカリスト 深瀬が
無事27歳の誕生日を迎えることが出来ました。

既にたくさんのおめでとうメッセージを頂いたようです。

ありがとうございます。

(clubEARTHにて 自分でデザインした「血みどろTシャツ」を着用)

さて、折角の誕生日ブログなので
何か楽しいことをしよう!と思いついた私。

しかしイロイロ考えてみるものの、なかなか面白いことがない…

違うちがう、あれもこれもダメだわっ…

そしてあれこれ考えているうちに、
一つ私の中でやってみたいことが浮かんできた…

そうだ、これしかない。これはやってみたい!!

深瀬に相談しにいった。

「ねえねえ、誕生日ブログで一つやりたいことがあるんだけど」

「なに?」

「ヤダって言わない?」

「…ものによる」

「あのねーあのねー言っちゃうよ!」

「なんだよ」

「ずっとね!ジョソウしてみて欲しかったの!」

「…ジョソウ、、、女装?」

そう、女装です。
男性が女性に扮する、女装のことでございます。

見てみたくないですか。
わたしは見たい。

かくして始まった女装企画。

ヤラネー、ツアーオワリデオレツカレテルシとか言っていた割に
始まると意外にノリノリでやってくれた深瀬。流石プロ。

まずはメイクをして試し撮りを一枚。

あら。なかなか可愛いわよ。

「おれ、おじさんなのに…」とつぶやく深瀬を無視して
本番テイクを撮ろうと白い壁へと移動する。

「にっこりしてー!」

「もう少しぶりっこして!!上目遣いしてー!」

「あ、その男みたいな笑い方はやめてー!」

色々と注文をつけた品がこちらになります。


リーダー、誕生日おめでとう。
女装姿、わたしはなかなかイケてると思うよ。

資本主義は何故SEKAIを引き起こすか

ローマ字に長音符は要らない。仮名のとおり書くべきといういつもの意見です。
何度でも言いますから、私は(´・ω・`)。

(長音符を省略してしまえという話とは全然違います)

長音とは日本語では同一の母音を2つ重ねることだから、「ああ」も「あー」も同じ。(用字の違いですよ、これは)
違うのは、そこに形態素の切れ目があるかどうかということ。
「きい」も「きー」も長音を表現するための用字が違うだけ。
言葉として「意味」があるのは「き」と「い」の間に形態素の切れ目があるとき。
形態素というと難しいけれども、だれもが自然に意識していることで、それがわからないと日本語がしゃべれないと思う。
「北乃きい」の「きい」は長音か否か。そんなことはどうでもいいだろう。
でも「奇異」は「きー」かといったらだれも長音だとは言わない。実際の発音では「きー」になったとしても、言葉としてはそうとらえてない。
だから、形態素の切れ目のない単なる「ああ」と「あー」は同じ<aa>でいい。区別する必要などない。「いい」と「いー」も同じ。
意味があるのは、間に形態素の切れ目があるときだけだ。その切れ目に<q>を入れればいい。
「奇異」は「き + い」と考えるから我々は言葉として区別できる。<kiqi>

「井伊直弼」は<i + i naosuke>で、いい(良い)直弼<ii naosuke>じゃない(個人的には知らないけどw)。だから<Iqi Naosuke>と書く。
「長雨」は「ながーめ」じゃない。<nagaq + ame> →<nagaqame>

「鋭意」なら<q>を入れないとむしろ読めない。<eiqi> この<ei>をエーと読むかエイと読むかは人によって違う。(長音にこだわる人はこの<ei>を<ē>にして長音のエーに統一してしまえばすっきりするとか言ってるわけです。とんでもない話です)

ついでに言うと、この<q>の考え方を撥音で終わる音節(ほとんど形態素と一致)に母音や半母音が続くときにも<q>で区切れば、範囲も<han’i>などと不自由な書き方をしなくても、普通に<hanqi>と書けます。また<q>に子音字が続くときは促音になると定義すれば、新しい言葉で「イッヌ」<iqnu>なんていう言葉にも無理なく対応できます。

<q>は声門閉鎖音からかりてきた考え方ですが声門閉鎖音そのものじゃないのです。<nagaq !>と書くと「長っ!」と読み、母音が続くと促音が消えて、発音は「なが・あめ」になると定義して利用したらどうかという提案です。ゆっくり読めば実際に声門閉鎖音が「あ」の前につくかもしれないけど、それはどうでもいい。声門閉鎖音を区別すると言っているのではないんです。混乱したかも?すいません。声門閉鎖音を区別するなら、あそこにもここにも入るじゃないかということになる。

長音符は要らないという話をすると、「そーっと」と「そうっと」のイメージの違いを「長音符で」区別しているじゃないかと言う。

じゃ「そーっと」と「そおっと」はどう違うのか。同じだろう。どう違うのか。
長音の「表記の仕方」が違うだけ。だから、区別するというなら、表音的な「そおっと(そーっと)」(あるいは「そっと」というのもある))に対して仮名遣い的な「そうっと」をイメージとして区別できればいいのではないか。というか、実際、「そおっと」と「そーっと」の間に意味上の区分けなんかないだろう。区別してるような気がするだけ。(長音符は文字ではなくて記号)

日本語をローマ字で書くのに長音符は要らない。

カトリーヌ katoriinu (カトリイヌと書いても同じ発音だ)

「人生は一行のボオドレエルにも若かない」は「ボードレール」と同じ。用字の違いに過ぎない。

でも、蚊取犬は違う。 <katori + inu> →<katoriqinu> (そんな犬がいたら便利だけどw)
ナガーメ nagaame (仮にナガーメさんみたいな名前の人がいたとして)
ナガアメ nagaame
ナガァメ nagáame(強いて仮名小文字を表現するなら)
と、どう書こうが発音に何の違いもない。
でも、長雨は違う。 <naga + ame> →<nagaqame>と書くから意味がある。

(長音を<ā>と書けば<aa>の綴りなら分けて読むことになるというのが表音式の考え方ですが、実際は矛盾だらけです。じゃ何で「新潟」は<Niigata>と書いて長音にしないのか。この論法で言ったら「二鋳型」みたいに読むのか?ここら辺は言いがかりwですが、確かに長音符を使うことで「加工」kakōと「囲う」kakouを区別できるというわけですが、現実には長音符は省略されてしまうので、むしろ「加工」と「過去」が同じkakoになる弊害のほうが大きい。何よりも日常使っている仮名遣いが「かこう」で通っていてちゃんと読み分けてるんだから、kakouでいいじゃないかと。そのかわり、むしろ長音かどうかという定義よりも形態素を分けるほうが日本語では重要なんじゃないんですか?というのが私の意見です)

仮名では「バレー」と「バレエ」を区別して書いていると言うが、それは用字の違いに過ぎない。
バレー  baree
バレエ      baree(表記上の違いはローマ字化で同一になる)
「レー」と「レエ」の表記上の違いを長音符で区別して何の意味がある?
区別する必要があるのは次の場合だ。
ばれ絵  bareqe(形態素の切れ目が重要)これさえ区別できればいい。

よく言われる「仔牛」と「格子」も「こう」というのが長音かどうかでこの言葉を区別しているのではなく、言葉としてどこを区切るかで区別している。「仔牛」は<ko + usi>だから「仔牛」だとわかるのであって、「こう」が長音かどうかで我々はこの言葉を識別しているわけではない。
「格子」<kousi>は「こ」「う」「し」と言おうが、「こ」「お」「し」と言おうが「格子」だろう。
「仔牛」<koqusi>は「こ」+「うし」だから仔牛だとわかる。長音かどうかは関係ない。

「こう」「こお」「こー」は長音なら区別する必要はないから、ことさらに「長音」として一意の表記(長音符)で書く必要はなく、書き分けるのではなくて仮名遣いのとおりに書いておけばいい。
コウナゴは仮名が「こうなご」ならkounagoだし、「こおなご」と書くならその仮名のとおりkoonagoでいいだろう(もっと言うと、当て字の「小女子」という表記を参照するとkoqonagoとも書ける)。統一する必要があるか?統一するというなら、仮名の書き方を統一すればいいのであって、何でそれをローマ字でやろうとするのか。

「おう」「おー」「おお」は全部<ō>に統一してローマ字の正書法を決めてしまえば単純でやさしい
いうのは詭弁ではないのか?

なるほどそうすれば日本語が簡単になると一瞬騙されそうになる。でも、日本語にとってはどうでもいい長音の発音を厳密に「定義して固定」しようとすることになる。「北乃きい」(いや別にファンではないけど)は「キー」と長音として定義するのか否かということになって、いつもこれは長音かどうかと悩み続けなければならなくなる。だから、そんなことは発音記号の世界の話でしょと言ってるわけ。完璧な表音式ローマ字?ローマ字の正書法?そんなものは空想的な理想論を言ってるだけ。それでみんな引っ掻き回されている。

そんなことより大事なことは、形態素の切れ目をきちんと区切ることでしょう。
「地域」は「ちーき」じゃないから<tiqiki>と書く、「鳥居」は「とりー」じゃないから<toriqi>と書けばいい。
ローマ字書きでいつも困っている「奥羽」も長音ばかりに注目して<ou + u>という切れ目を無視するから混乱する。<Ouqu> で何も悩む必要はない。仮名で「おお・う」と書くことに決めますと言うなら、<Ooqu>になる。<ou>をことさらに長音表記しようとするからおかしくなる。綴り字に悩むというなら、仮名の綴りのとおりに「おう」<ou>と書けばいい。(ヘボン式では「奥羽」は長音符を省略したら<Ou>にしかならない。それでは困るので<Ohu>にしようとすると「お麩」になるとか、一体何と戦っているのだろう)

外国人には<q>は発音しないと言っておけばいいし、大体ローマ字をどう書いたって外国人にはまともに読めない。tikatetuをchikatetsuと書けば読めるというもんじゃない。フランス語だって知らなきゃ読めやしないじゃないですか。

長音符を使えば形態素の切れ目もわかるじゃないかとよく言いますが、現実のローマ字では長音符は省略されてしまう。日本語の長音は英語のように発音の都合でどうでもいいようなものではなく、言葉として別のものですから、それを符号で書くこと自体が間違っている。

ヘボン式ローマ字にしろ今の表音的日本式にしろ、こうやって批判すると、そもそもお前はそのローマ字で何をしたいの?と必ず言ってくる。こちらの台詞なんですよ。ローマ字の正書法?それこそ何をしたいのという話ですよ?私は何もしたくないから仮名を基準にそのとおり書いておけばいいじゃんと言ってるわけです。まあ<q>という若干の工夫はあるにしてもですよ。まあなかなかどこまでいっても平行線で難しいですけどね。

そりゃ仮名遣いも完璧じゃない。「加工」と「囲う」は同じ「かこう」でも発音も違う。「覆う」と「負おう」も同じ「おおう」で<q>をもってしても区別できない(活用語尾には<q>を使わないと決めているので)。だから、仮名遣いは不完全なのは承知の上ですが、現にそれを今、日常的に生きて使っている日本語の正式な表記にほかならないのだから、四の五の言わずにそのとおり書いておけばいい。仮名遣いの欠点はまるごとまるっとそのままローマ字でも引き継ぐ。助詞の「は」「へ」「を」も仮名のとおり ha he wo でいい。

発音に従って書くのが正しいというのは「表音式」という一つの考え方に過ぎないのであって、それが唯一の真理じゃない。自分のあるべき理想論でローマ字国字論でも主張するんですかという話です。あるいは何度も言うように発音記号としてなら別に好きなだけ考えたらいいでしょうと。

仮名に従うと言いつつ、そこで<q>を入れるとかいう話を私がするもんだから、何かものすごい特殊なローマ字を思いつきで主張しているみたいに思われるかもしれないけど、いかに仮名に従うかということが基本で、<q>よりもっといい方法があるというならそれでも構わない。ないと思うんです。「’」で分けるとかいう間に合わせの方法では、私は納得しませんので。

こういったローマ字の話をすると、そもそもローマ字はだれのためにあるのかという話になって、インターナショナルがどうのと言い始める。ローマ字は日本の国字じゃないんだから、中国のようにもともと表音文字がないところでローマ字化を必要があって考えるのと違って、日本語ではローマ字は必要なくて、外国人のためにのみあるものだという話になる。そして、いかにもめんどくせえという顔をしながら、英語式に書いておけばいいんだよと言って、論点がどんどんずれていく。そして細かい話になると、どう書いていいかわからなくなって、おんなじことを十年一日で繰り返しぼやいている。佑樹と由貴が同じYukiになってもいい、大阪と小坂が同じOsakaでいい。どうせローマ字なんだから、というならもう話は終わりです。

仮名に従うというと仮名遣いなんか問題だらけだと言う。じゃ仮名遣いに文句があるなら、理想論ばかり垂れてないで現代仮名遣いを自分の主張する「新表音的仮名遣い」とやらでみんなを納得させてみたらいい。納得しますかね。私は納得しない。「そーゆーふーに」とか書きますか?現代仮名遣いでさえ古典と分断していると批判されてるのに、そんな破壊行為には私は加担したくない。第一、発音というのは時代とともに変化するものであって、それを表音的思考だけで考えることに私は強い不信感を持ちます。「小塚」(こづか)は発音どおり?に(そんなの人によって違うでしょう)「こずか」でいいとするものの考え方はまともとは思えません。

表音式という考え方は、発音をむりやり統一し言葉を破壊して強引に押しつけてくる危険思想だと思います。「やさしい日本語にしましょう♪」なんていうのはまやかしでしかない。何を企んでいるかは知らないが、やさしいふりをしているだけ。(まあ現代仮名遣いは歴史仮名遣いを大幅に表音化したものでしょうが、歴史仮名遣いが余りにも時代にそぐわないものだったので、この大改革には一定の評価はしていますし、表音的に見直すというのは百年単位では必要なことでしょうけど)

もっと言えば、表音式ローマ字は嘘つきです。例えば、「イェ」をどう書くかというと、それは<ye>と書くに決まっていると言う。はぁ?ですよ。「イェメン」を私は3拍では発音しない。実際には「イエメン」と4拍で言っているしアナウンサーもそう発音している。一体「イェ」がyeだという証拠はどこにあるのか。だから、私は「イェ」という仮名に対応させるために翻字表をつくって<yie>をこれにあてている。<yie>は[je]という発音をあらわさない。仮名の「イェ」に対応し、読みは「イェ」をどう読むかに依存する。仮名に従うローマ字の考え方の
本です。

私の主張するローマ字は(<q>の使い方は除いて)現実に無意識のうちに使われています。今の日本では表音式ローマ字だのヘボン式ローマ字だのといって、さもそれが正しいように認識されていますが、以下の例はネットで拾ってきたものですが、これは日本人として当然の感覚で書いたローマ字だと思います。ネットの世界では「物笑い」の対象になっていますが。

Rouka, kaidan ni mono wo oite ha ikemasen. 
Gomi ha bunbetu site kimerareta basyo ni sutete kudasai. 
Gokyouryoku onegai simasu.

私から言わせてもらうと、このローマ字は物笑いどころか「完璧」です。(もっとも、これの笑いどころは英語などの外国語で書くべきものをローマ字で張り紙してしまったところにあるわけですがw)

表音式ローマ字は発音をあらわすローマ字です。でも発音記号ではないのだから、必ず何かの基準が必要です。日本式で言うとそれは音韻論ということになるのでしょうし、ヘボン式は英語で区別する発音と日本語で区別する発音の最大公約数みたいなものでしょう。私が主張する翻字式ローマ字は人によって違う発音ではなく明確に目の前にある仮名文字を基準にします。どっちのほうが安心して書けるかという話です。

ちなみに、<q>を入れるのはローマ字での話で、外来語でのカタカナ言葉で長音符を使うなとは言わない。仮名の綴りについては一切ケチをつける気はないので。なぜなら、それは日常的に我々みんなが使っている表記だからです。それが正式な日本語の表記なのに、それを無視して表音的に無理やり表記を変えることに激しく不信感を持つわけです。つまりローマ字の正書法だなどと言って日本語の表記のダブルスタンダードをつくろうとしている。何をしたいのかという話ですよ。だから仮名に従う。学校は「がっこう」であって「ガッコー」じゃない。何を勝手に変えてるんだという話です。

外来語で長音符を使っている場合は「ふりがな方式」で「ボードレール」は同一の母音を重ねて「ぼおどれえる」に置き換えて考える。そうすれば、ローマ字化でとち狂うこともない。もし「ガッコー」と仮名表記される言葉があるとすればローマ字はその仮名のとおり(長音符号は同音の仮名に置き換えて)「がっこお」<gaqkoo>とローマ字化することになる。それはもはや「学校」とは関係ない別の言葉です。

言ってる意味わかりますかね。相変わらず説明が下手ですいません。
だれか頭のいい人まとめてくれませんかね。

ここに書いたのは大まかな考え方です。さらに細則を言うと母音で始まる語中の形態素といっても文法的形態素には<q>を入れないという規則もつくらざるを得ない。また形態素と一口に言ってもその定義は細かく考えると難しい部分もある。「青梅」はどこで切れるのかなど(私としての回答ではふつうにOumeで<q>は不要)。あるいは「お梅さん」のような接頭語でも<q>を挟んでよいか。細かいところではしっくりこないところもあります。「誤嚥」は<goqen>でいい。じゃ「ご縁」もそれでいいか。私はそれでいいと思うが、意見がわかれるかもしれない。「ご恩返し」は「ごーんがえし」とは言わないから<goqongaesi>だろうから、「形態素」というより何かもっとすっきりした説明の仕方があるのかもしれない。でも、多少混乱してもそれで読めなくなることはない。よく言うことに「洗濯機」は「せんたくき」か「せんたっき」かで悩むことはあっても、それで何か致命的な問題があるというわけじゃない。でも、きちんとした整理は必要だとは思います。

それから、子音についても考え方は同じです。よくヘボン式で母音だけ仮名に従うような書き方を見ます。魔法使い<mahoutsukai>など。でもこれは詳細に仮名との対応を考えていくと必ず矛盾してくるので、子音も仮名に従って<mahoutukai>と書かないとおかしいです。(shi「し」とsha「しゃ」の仮名文字との対応一つ考えても、私の仮名に従うローマ字の考え方では「し」はsiであり、「しゃ」syaという拗音表記では<sy>を<si>のかわりに使う。<y>は仮名小文字をあらわすだけで、基本的には<y>=<i>と捉えます。混乱するかもしれないので、ここではあまり詳しく書きませんが、すべての仮名小文字を<y><w>では表現できないので、「かぁ」などの特殊な仮名つづりをあえてローマ字表記すれば<káa>とアキュートアクセント(場合によってはグレーブアクセント)をつけて表記することになります。

こう説明すると「えー?」と言われるでしょう。ま~たありがちな私家版の怪しげなローマ字かいと。でも、仮名に完璧に従った考え方をすると特殊な仮名遣い(主に外来語など)は特殊な書き方にならざるを得ない。でも、「日本語のローマ字の話」ですから、こんな特殊な表記はどうでもいい話ではないですか?仮名に従うローマ字なら、普通の日本語である限り、長音符など一切の符号なしにすっきりと書けます。

ヘボン式などの表音式ローマ字ではこの発想が逆なんです。つまり音どおり?に外来語などの特殊な仮名つづりをローマ字に置き換えるのは書きやすいが(よくいう「ティ」とか「トゥ」ですよね)、肝心な日本語が書きにくい。本末転倒なんですよ。だけど、トゥーヴァなんていう言葉を「わざわざローマ字で」書きますか?どうでもいいでしょう。「トゥーヴァ」をあえてローマ字表記すれば<Tòuuva>と書けるが、だから何だという話です。むしろローマ字で困っている「奥羽」<Ouqu>をきちんと書けるかどうかが重要です。これでみんな困ってるんじゃないんですか?

そんなに難しい特殊なローマ字を主張しているつもりはなくて、わかりやすく言うと、ふつうに日本式ローマ字で仮名の綴りのとおりに書いて、促音の「っ」はほぼ<q>、母音連続で困ったときにも<q>を思い出せば、大体私の主張する仮名に従うローマ字になります。長音符などの符号は一切不要。綴りがすっきりしますし、仮名のとおりなので悩まずに安心して書けるはずです。(上に書いたように一部の外来語では注釈符号が必要なものもありますが、外来語ですから符号がつくのは当然ですし、そういう注釈符号こそ、原則として省略してもよいという発想になります。つまり主客転倒、本末転倒が正常になります。言ってる意味わかりますかね。大阪の長音符を省略してOsakaにしたら小坂と区別できなくなるとかいう、そういう話じゃないということです)

下の例でもわかるように、あくまでも細則ですが、「思うん
す」は<omou n’ desu>、「思ってる」は<omoqte ‘ru>となり、助詞の「の」の母音が省略されて<n’>になるとか「いる」の「い」が省略されていることをあらわしますが、「書いちゃう」のように仮名遣いがそのようになっているものは<kaite ‘au>と書くのは苦しいので仮名のとおり<kaityau>とします。「私って」は<watasi ‘te>とし、この<‘>も「とて」の「と」が省略されて促音が発生したと見て、<watasi qte>ではなく省略の「’」で促音をあらわすことにしています(<q>は語頭には来ない)。

興味のある方はこちらを参照してください。

「」

(参考) 仮名に従うローマ字で書いてみました。音を聞きながらローマ字を追ってみてください。<wakariqaeru>の場合は<q>はなくても読めると言われそうですが、「わかる」と「あう」の2つの複合語で「わかり + あえる」ですから、発音するときにも連続した母音を言葉の切れ目ではっきりと分ける「意識」があると思います(「わかりゃえる」とはならない)。日本語として自然なメリハリがつくと思います。理系的な意味で簡素であることばかりにこだわって、日本語の本質を踏み外しているのが今一般に行われている表音式ローマ字の最大の欠点だと思います。

「魔法使いの嫁」OP()

Mahoutukai no yome OP (Roomazi)

Taqta hitotu taqta hitotu no
taqta hitori taqta hitori no
watasi ha koko

Gareki no mune iki mo dekinai
Huridasu ame nemuru you ni kurai
Kono SEKAI wo ikinuku no naraba
donna hana wo kazareba ii no
Sinzitai kuse ni sinzirarezu ni
muryoku de muqimi na zibun ga
sore demo kokoro de naku n’ da
Koqti he oide to koe ga kikoeru
Mugen de mubou na asita ga
sore demo dokoka de matu kara
taqta hitotu taqta hitotu no 
taqta hitori taqta hitori no
watasi ha koko

Hanbun sika yurusitaku nai
Hanbun sika wakariqaenai
kono SEKAI wo tatakainuku nara
donna uta wo utaeba ii no
mituketai nara mitukedasu made
Huzitu de humou na ziyuu wo
sore demo hosii to sakenda
Siqte ‘ru kuse ni siranpuri wo site
musyoku de mukizu na hikari wo
sore demo mou itido sagasita
taqta hitotu taqta hitotu no
taqta hitori taqta hitori no
watasi ha koko

Kimi dake no basyo ga kanarazu aru
Utukusii kono hosi ha subete wo kakusite ‘ru kedo
Muryoku de muqimi na zibun ga
sore demo kokoro de naku n’ da
Koqti he oide to koe ga kikoeru
Mugen de mubou na asita ga
sore demo dokoka de matu kara
taqta hitotu taqta hitotu no
taqta hitori taqta hitori no
watasi ha koko


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