お父さんのためのマネージャー講座
一昨日、義父の葬儀が終わりました。
私は幸いまだ両親が存命しておりますので、初めて喪主席列にいる経験をしました。
親戚側として葬儀の手伝いは何度もしてきましたが、喪主側の煩雑さって、別格なのですね。
葬儀場の方との打ち合わせから始まり、お客様へのお茶菓子やビールなどの準備、斎場に寝泊まりするための自分達の食事の調達、葬儀の時に読んでいただく弔電の選定、喪主側としての御焼香の作法など、雑務たくさん。。
でも、それはほんの脇役的な話で、まず大変だったのが、認知症がかなり進んでいる義母の世話でした。
義父が亡くなったということが、理解できていません。自分がどこにいるのかもわからず、ただ「家に帰らないと。お父さん (義父のことです) 独りにしてきたから」と繰り返し、義父を探して回ります。危なくて片時も目を離せません。
義母は、自分の二人の息子のことももうわかりません。自分に息子がいたということさえ、覚えていません。終いには、夫が義父になっており、夫のことをお父さんお父さんと呼んでいました。私のことも、お通夜会場で最初に会った時は、「あ、mareちゃん来たねー♪」と認識できたのですが、そのうちわからなくなり、いつの間にか自分の妹になっていました。
義父を探そうとする度に、「お父さんは亡くなったとよ。ここで、寝とらすとよ。今日がお通夜で、明日がお葬式よ」と、何度も義父を見せましたが、わかっているのか、分かってもすぐに忘れてしまうのか、よくわかりませんでした。
お通夜の日はいつもより遅い時間に安定剤を飲んだので、夜間の徘徊はありませんでした。でも、いつも夜間の徘徊があり、義父を探して回るので、実はショートステイも、断られている状況です。義父が亡くなった日に私が実家に行ったときも、義母はデイサービスに行っていて、そのままお通夜の前まで預かってもらうと聞いていたのですが、実は断られて帰ってきていました。
このような状態なので、義父が亡くなった今、独りで家には置いておけず、早急に受け入れ先を探さないといけません。お通夜の弔問客が途絶え、落ち着いた夜中、義兄夫婦と夫と私の四人で、義母のことも話し合わないといけませんでした。
すると当然、今の家をどうするかということになります。義兄も夫も、家を継ぐのは無理です。家がなくなったら、もう私たちが帰ることもなくなるわけで、今度は義父のお墓の問題へと繋がります。義父は生前にさんざんお墓を探していたのですが、納得のいく物件にはとうとう巡り会えず、お寺の永代供養がよさそうだ、と言っていたようなのですが、お墓を作らないことをよく思わない義父の兄弟たちの声もあるのかなぁという感じで。。
義母のことをケアマネージャーさんに相談するのと同時平行で、お骨のことは、お寺の納骨堂か、永代供養か、お寺の住職にお尋ねすることになりました。
それでも、広い部屋で総勢8人、皆で布団を並べて泊まるなんてちょっと楽しくて、娘と高校生の従姉妹の女の子は、とても嬉しそうにいつまでも二人で遊んでいました。
明け方から少しだけ微睡んで、目が覚めると子どもたちと義母はもう起きていました。
義母にはパジャマを着せていたのですが、「こんな格好だから家に帰らないと」と繰り返します。「お洋服はあるよ、でもまだ早いから、ほら、みんなパジャマ着てるよ」と何度説明しても、10分後には同じことを言って部屋から出て行こうとします。口で言うだけじゃダメかなと思って、義母の洋服を見せ、見えるところにかけたり。。
これまでずっと目まぐるしく働き、皆の世話ばかりしてきた人なので、何もしないでいる手持ち無沙汰に耐えられないのかもしれません。姪がお棺に入れる折り紙作りに誘ってくれ、チューリップをひとつ折ったと聞きました。
葬儀も、火葬も、滞りなく無事に終わりました。私はやはり、火葬直前の最後のお別れが苦手です。お顔のところの蓋を閉めて、炉の中に入っていくあの瞬間。。母や娘が、と考えたら、入れないで!!としがみついて、離れることなどできなくなりそうです。
骨上げは、姪や娘にはかなり辛い経験だったようです。姪は変わり果てた姿にショックだったのが、泣きじゃくってお骨も拾えませんでした。娘は特有の臭いがダメで、窒息しそうになっていました。義母も、お骨は拾えませんでした。
親戚があまり拾おうとしなかったので、係りの方に最後までお願いしますと促されました。魂はもうここにはいないのだからなぁとは思いましたが、夫と2人で8割りがたのお骨を上げました。夫はさすがに骨を見ればどこの骨かがわかるので、私に説明してくれながらの作業でした。義父は骨が丈夫だったみたいで、崩れているところが少なく、かなりきれいな形で残っていました。
三日参りと初七日も、その日に一度に済ませることにしました。皆が一番集まっているときに、ということでそうしたのですが、そのためお寺での滞在時間が長くなってしまい、高齢の方にはちょっと厳しかったかなぁと思いました。
でも、お経って、好きです。
浄土真宗は、歌うような節のついたお経なので、耳に心地よく、ご一緒にお勤めくださいと言って渡された経本は、もう楽譜ですね。「ハ長調ミ」とか書いてありました。
葬儀の日は、私と娘は自宅に戻りましたが、義兄は義母の受け入れ先が見つかるまで帰るわけにはいかない、と言いました。お兄ちゃんは口下手でお世辞も言えないような人ですが、責任感が強くて、他人に頼らない人です。義姉も、社交的なところは義兄と違いますが、「私はこの家の長女だから」と、はっきり口にし、家のことを何でもやる気でいてくれます。本当にいい人たちで、二人のことが大好きです
あとは、母の受け入れ先です。。
施設が見つからない場合は、精神科の認知症病棟かもしれません。何
にしても、送球に決めないといけないのが辛いですね。
にしても、送球に決めないといけないのが辛いですね。
そして、その後、実家をどうするか。
義父が生きていた頃は、”(義父の) 姪が実家を欲しがっているので、ゆくゆくは義母と2人で施設に入り、家は姪に売る” と考えていたようなのです。でも、私たちのように近い身内ならいざ知らず、「義父がその中で亡くなっていた浴槽に、果たして入れるか」という問題があります、、。賃貸なら事故物件、ということになるのですよね。
義父が亡くなった今でもまだ家を欲しいと言ってくれるかどうか、従姉妹に確認しないといけません。
四男で生まれた義父ですが、それでも一家の長であった訳で、その義父が亡くなると、考えないといけないことがたくさんあるのですね。。
木曜の朝の突然の訃報から4日間、とにかく目の前にあることだけをこなして過ぎていきました。今日からまた日常がもどってくるのかぁ。。くたくたで、動けるかな(笑)。
あ。うちのちび、今日代休で休み、、
昨日のお弁当。完食してくれました
マネージャーをしていいか分からない私は、何もしていないだけ、かも。
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