帝釈天ならではの特長知ってますか~?♪
昨日、一昨日はたくさんの、いいね、コメントありがとうございました
当日の夜は興奮のせいかよく眠れず夜中に目が覚めて、皆さんのコメントに返信してました。
そのせいか(?)翌日の帰りの新幹線ではしっかり爆睡してました
注:これは行きの車内の様子🚄
脚の調子ですが、当日も翌日も今朝も太ももの筋肉痛がひどくてひどくて、立ち上がれない、座れない
階段の上り下りが出来ないくらい
帰りの電車では、通勤時間帯(朝のラッシュ時)にあたってしまい、混雑する中、改札の階段を両手で手すりを使い昇り降りする私。
随分邪魔になり、大変迷惑をかけたよう
本人必死ですが、側から見るとただの変な人でしょうね。
なるべくエスカレーター、エレベーターを探して利用はしたんですが
今も生活に不便を感じております…。
いつ治るのかな
さあ、レースを振り返りたいと思います
帝釈天(たいしゃくてん)すぐ近くのホテルだったので、会場の柴又公園までは歩いて5分程度。楽チン〜
会場に着いて荷物、ドロップバッグを預けてスタート地点に並ぶ。
天気は曇り予報だったけど、案外暑い💦
これから日差しも強くなりそう
それより、脚の状態は?う〜ん、走ってみないと分からない、って感じ
前々日に針治療とテーピングしてもらい、もうこれ以上やれることはない、っていうくらいやってもらったので、もう行くしかないでしょう
この大会は、ウェーブスタートです。
Aブロック6:30、Bブロック6:40、と10分おきにスタート。
私は
Fブロックなので7:20スタート
スタートしてから、割と調子良く走れてます。
あれっ、昨日まで痛かった脚の痛みを感じない。不思議
まだ先は長いので、前半で貯金しとかないと、いつ脚が止まるか分からないので飛ばします。
0〜5kmまでで28:32。
8.9km地点のスイカがすご〜く美味しくて2切れいただきました
5〜10km 30.47。まずまずかな
そして、10km超えた辺りかな?
堤防を降りる場所があって、下ってたらその時ズキっと左膝が痛み出した。
キタッ〜
不安が頭をよぎる。
少しペースを落として走る。
そうすると痛くない
この痛み、実は下りで起こるのでは?
下りが好きな私はついつい飛ばしてしまう。
4月の掛川でもかなり飛ばしてたなぁ、と思い返す。
ということは、下りを飛ばさず、堤防沿い(ほとんどが堤防の上)を淡々と走れば痛みが出るのを遅らせることが出来るのでは?と思う。
上りもあまりないコースなので、臀部の筋肉も最小限しか使わないはず。
ハムの痛みも出にくいかも。
そんなことを考えて、走ってました
15〜20km 33:26。
やっと20km きました。ここまで2時間4分26秒。
あと80kmかぁ
今走った距離の5倍ね
気が遠くなる…
分かってたことだけど、単調な景色。
ちょっと飽きてきた
遠く先に見えるランナーさん達をぼっーと見ながら走る。
そんな時、後ろから「膝、大丈夫ですか〜?」「ちきさん、ブログ見てますよ〜。」と声をかけられる
急なことで何て返事したか覚えてないんだけど、「アメブロさん?誰?名前教えて〜。」って言ったのだけは覚えてる。
「
たー坊です〜!」と言ってスッーと私の横を軽く抜いていかれました。(
写真撮り忘れた)
速いなぁ〜、頑張って〜
あのペースだと完走間違いないだろうなぁ、と思いながら、私は自分のペースを守り淡々と走ります。
その間、脚の痛みがいつ出るかヒヤヒヤ
ロキソニンと胃薬、いつ飲もうか?
そろそろタイミングを計り出す。
20〜25km 37:14。
相変わらず単調な景色が続きます。
28km過ぎで、アミノバイタルを配ってた。
ありがたい
早速いただく。水も結構飲んだ。
コーラがすご〜く美味しく感じた
そしてこの頃からだんだん暑さが厳しくなってきた
25〜30km 38:28。
ようやく2年前の60kmの折り返し地点に着いた
ここまで順調に走れてる。
脚も痛くない。
よくここまで脚がもったなぁ、と嬉しい予想外の展開
さあ、ここまで来たらあと20km先の50km折り返し地点を目指していこうと、この時心に決めました。
走ります
パート②に続く。
帝釈天 もっと世界を自由に。
ウエサクの満月に向かう時を、此処で過ごしたくて。
その、スペースに。
迎え入れてくださること。
常に、そうだということ。
乾坤は経籍の箱なり
万象、一点に含む。
重々帝網なるを即身と名づく
子供の頃から、それとは知らず、
空海さんというお名前も知らず、弘法大師も知らず、
ずっとご縁をいただいてきました。
気がつけば、問いかけ、問われ、教えられ、語りかけられ・・生きてきました。
空海さんの言葉は響きが美しくて。
言葉の内にあることばが、深くて、広くて、遥かで。
子供の頃から、何度もリフレインして、
数えきれないぐらい、呼び込んで、
思惟して。
振り返ると、何万遍とも言える、ひとつの行だった。
今日は、わたしなりに、すこし意味を噛み砕いて、ここに置いておく。
本当は、噛み砕くまでもなく、そのままを味わえば、よい。
敢えて。
置いておく。
乾坤(けんこん)は経籍(けいせき)の箱なり
万象(ばんしょう)、一点に含む。 (性霊集)
この世界・・宇宙というものには言葉が満ちている。
それは森羅万象すべての命の発する無垢なる知。
天地は経典(命の発する無垢なる知)の詰まった箱なのだ。
一滴の露(われ)に、全宇宙が含まれている。
一雫の言葉に、全てが含まれている。
重々帝網(じゅうじゅうたいもう)なるを即身と名づく (即身成仏義)
重々帝網とは、帝釈天の宮殿を飾る輝く網のこと。
帝釈天の網とは、宮殿とは、実は宇宙そのもの。
その網の結び目の一点一点は宝珠になっている。
水晶の宝珠。
その宝珠は互いを照らし合い、照らし合い、
映しこめ、映しこめ、
この宇宙全体に鏡映し、響映している。
その網の結び目の宝珠とは、実は私たち一人ひとり。
全てが、繫がりあって、全てが全てにご縁をいただいて、
共に、生かされて、生きて、この世界を創っている。
一人ひとりの中に、無数の輝きが映り。
一人ひとりの中に、無限のご縁が生じている。
目に見えるものも。
目には見えないけれど確かにあるものも。
これこそが私たちの世界の真実の姿。
東寺展の立体曼荼羅は、その内に私たちを招き入れていただき、
体感させていただける、しかけでもある。
これを読んでから、立体曼荼羅の内に行かれる方は、
ぜひ、ご自分が、網の結び目の宝珠の一つであり、
みほとけたちと、生きとし生けるすべての宝珠と繋がりあって
そうやって共に今を生き、この世界を創っていることを、
イメージしてみてほしい。
この世界には、必要のない命なんてひとつもない。
どの、命も、どの、輝きも、どんなささやかな輝きも、大切なのです。
みんな、ご縁をいただいて、ご縁をもって、今此処にいる。