毛布をしていいか分からない私は、何もしていないだけ、かも。
関東に住んでると全然実感が湧かないけれども。
西日本、豪雨で大変らしいですね。
……今回は自分がやるべきこと多すぎて現地行ってる時間が取れないんだけども。
東日本大震災の際のボランティア活動経験から言わせてもらうと。
特にこれから、被災地に送るべきは。
モノではないんですね。
……最初は確かに、物資が足りなくなる。
食べ物、衣類、寝具。
……けれど、飢え死にするまでには必ず物資が届く。
衣類もなんとかなる。
けれど、その後も引き続き、全国から物資がじゃんじゃん送られてくる。
テレビ見て現地に送られた頃には、食料は山積みだ。
それを仕分けする人も、場所も必要だし、時間が経てば腐るものも混ざってたりする。
衣類なんてモロ置き場所に困る。
ただ避難所の場所を取るだけになってたりする。
東日本大震災の時は、結局処分費でかなりの余計なお金を要した。
この猛暑で寒さに震えるということはなさそうだけど。
……要らない服や毛布は、やっぱり全国に余ってるんだよね。
……「何か必要なモノを」という気持ちも実によく分かるんだけど。
やっぱり必要なのは、結局お金なんだよね。
……現地で、その場でその日その時、何が必要かなんて、現地にいる人しか分からないじゃんか。
というわけで、特にこれからは。
もしその気持ちがあるならば、もちろん金額は問わないので、お金を送ってあげよお。
……そういえばかくいう自分自身、まだだった。
明日キッチリ寄付します。
予期しない災害で困ってる同じ日本人の役に立つと思えば、自分が気分いいじゃんか。
毛布の世界
毛布を最大限活用するためのFirefoxプラグイン5つ
こんばんは。
今日は朝から有意義なミーティング、
その次は協会の顧問にもなってくださっている大澤俊彦先生とヘルスケアシステムズ細谷さんに活動のご報告。
そしてまたミーティング、
と、なかなか濃い一日でした。娘も疲れたようで、、、よく頑張ってくれました!
さて、今日はひょんな話でカンボジアについての話題が出ました。
私は2005年にカンボジアスタディーツアーに参加したことがあります。当時、週に1度だけですが高輪にある日本ユニセフ協会で、全国各地から課外学習にくる小中学生に展示物の案内や支援の仕組みなどを話すボランティアをしていました。少人数のグループのこともあれば、100人ほどを前にホールで話すことも。
その縁でスタディーツアーに参加したのです。これは朝日小学生新聞に掲載された子供向けに書いた報告文。
この新聞とは別に、個人的に感想を書いた当時(24歳)の私の文章を掲載します。
13年前に書いた自分の文を読んでみると、今日本ソイフードマイスター協会で行おうとしている事は私らしいことなんだなぁと、改めて感じました。
少し長いですが、よかったら読んでみてください。
(※数値は現在の状況とは違います。)
世界の子どもの人口は22億人。そのうち開発途上国の子どもは19億人、貧困下で暮らす子ども、10億人。小学校に行かれない子、1億2100万人。5歳未満で死亡する子ども、年間1100万人。これは3秒に1人の割合。2003年、日本で生まれた子どもの平均余命は82歳、5歳未満で死亡した子ども5000人。2003年、ザンビアで生まれた子どもの平均余命は33歳。5歳未満で死亡した子ども8万2000人。エイズで親を失った子どもの世界合計1500万人。これはドイツの子どもの人口とほぼ同じ。人身取引の対象とされる子ども、年間120万人。数十億ドル規模の商業目的の性産業で性的搾取の対象とされる子ども、200万人。日本、人身売買の最大の買い手国ではないかと指摘されることも。
みなさんはカンボジアという国がどのような国か知っていますか?カンボジアはアジアで最も厳しい状況下にある国です。貧困、水、衛生、エイズ、地雷、とにかくさまざまな問題を抱えています。
首都プノンペンに、ある記念館があります。そこは、高校の校舎を収容所として使用していたところで、内戦で起きた悲惨な大虐殺を生々しく語っています。虐殺されていった多くの人々の写真や拷問の道具が置かれており、血痕もそのまま残っています。
1975年から3年間で、人口800万人のうち170万人が命を落としました。そして最後の内戦が終わったのは1998年です。今では人口の半数以上が子どもです。そして、その約半数が栄養不良です。衛生的な水やトイレが使える人はわずかです。内戦が終わったあとも、埋められた地雷による被害が絶えません。
内戦だけでなく、お隣りベトナムとアメリカが戦争を起こした時の、アメリカ軍の流れ弾が多く飛んできていて、その不発弾による事故もまだ続いているのです。
わたしは、日本ユニセフ協会で、来協する人(子どもが多いです)に説明をするボランティアをしています。
「その国がいつか自分たちの力でやっていけるようにユニセフは支援しています。『自立と予防』がキーワードです。」
このような言葉をこれまで数百人の子どもたちに話してきています。
先のことを考えた支援、サンタさんになってはいけない支援、これはとても重要なことです。たぶん、支援といったら足りない物をあげているんだろうと思う方も多いかもしれません。でも、その国が自立するためには、それだけではダメなのです。わかっていても、目の前で飢えている子に手を差し伸べてあげられない苦しみは耐えがたいものでした。
レストランの外でずっと私たちを見つめる子、食べるものは支給されるお米だけで、塩も無いと言うエイズ孤児。その場しのぎの援助をすることはかえって後で苦しむことになりかねないのです。一人だけ救っても何も変わらない、また、そこで何年もかけてプログラムを組んで実行しているのだから、勝手な手助けはせっかく築いてきたものを壊しかねないのです。
何もしてあげられない自分に無力さを感じました。
今回訪れた州は、セコマー(子供の権利)プログラムを実施している所で、ユニセフは教育に力を入れています。 もちろん他にも保健、衛生、保護、さまざまな分野で活動しています。大きな枠組みや土台作りをし、支え、導いていると言えそうです。だから、すぐに目で見てわかるというものではないのです。
年月が経てば、確実に学校教育の質が向上していたり、予防接種が行き届くようになったり、効果は必ず表れ、実感できるのです。国という単位で考えれば、20年30年という年月は短いでしょう。しかし、一人の人生という単位で考えればそれはとても長いものです。(2003年出生のカンボジア人平均余命は57歳です。)
すべての国民が最低限整った衣食住環境の中、教育を受けて仕事を持ち、地雷や病気や人身売買の恐怖から解放され安心して暮らしていくことができるまでの間に、どれだけ多くの人が痛み、苦しみ、飢え、命を落としていくのでしょうか。
国を建て直し、発展していくためには多大な犠牲と努力が強いられる世代があります。ちょうどわたしの祖父母の世代です。もちろん他国からの援助があるわけですが、彼らのおかげで今の日本があります。しかし、途上国が同じようにいくわけではありません。
「日本も戦後はあたり一面焼け野原で、ユニセフの支援も受けていたんですよ。」と話しますが、あたり一面焼け野原であっても、焼け野原になる前の国力があったから再復興も早いのです。
弱い国は大国に搾取され、大国同士の戦いに巻き込まれ、さらなる貧困を強いられてきたのです。
カンボジアでは内戦が続きましたが、それも他の国がどれだけ関与しているか考えなくてはいけません。
私の乗っている車が停車したとき、老婆が車の窓をコンコンとたたいて「お金をください」というジェスチャーを
してきました。卑劣で悲惨そのものという時代を生き抜いた後も貧困に苦しみ続けなくてはならないのです。クーラーの効いた車の中で胸のつまる思いがしました。
戦いが終わってから生まれた子も被害に遭います。便利な生活ができないからこそ、二足で歩けることが私たち以上に必要なことなのに。
厳しい現実を目の前にして、支援は大国に課せられた義務だと思いました。
日本では、みんなが小学校に通うことは当たり前です。でも、学級崩壊が問題になっています。
行きたくても行かれない子どもは日本の人口と同じくらいいるというのに。
テレビをつければ「食べ放題」やら「セレブ」やら、なんだか悲しくなります。贅沢や娯楽が悪いわけでは決してありません。おいしいものを食べて、お買い物をして、遊んで、それで心が豊かになるならそれはいいことでしょう!でも、コンビニに行ってちょっと買った商品の中に、どれだけ途上国の人々が汗水流して働いて生産したものが含まれているか、忘れないでください。
今世界中にある食糧は、本当は世界中の人が毎日食べられる分あるのです。でも8億人は飢えています。私たちは毎日飢えることなく食べているのです。
だから自分の生活を変えて生活レベルを下げましょうというわけではないですよ!
ただ、少しでも自分自身に余裕がある時にでも、少し世界のことを気にしてみてください。
募金しかできない!と思う方、それで十分なのです。
現地で直接手を差し伸べることだけが支援なのではないのです。毛布やお洋服を送るというのも、なんだかわかりやすくて「支援した!」という気持ちになるかもしれません。学校を建てたら目に見えて支援がわかります。でも、そこで教える先生のトレーニングや運営力や教育プログラムが無ければどうにもなりません。
サンタさん的支援の他に大切なことがたくさんあるのです。
たとえば、教育はとても必要だけれど、その国では先生へのお給料が払えないので、募金のお金から払われているかもしれません。
実際、カンボジアで訪れた村の幼稚園の先生には月に約7.5ドルのお給料がユニセフから支払われていました。それによって何十人もの子どもが教育を受けられます。また、学校に設置する井戸の工事費に使われるかもしれません。それによって数百人の子どもが安全な水を飲めるようになります。使い道はたくさんあるのです。100円の募金が集まれば大きなことに繋がるのです。100円でも、失明を防ぐビタミンA錠剤が約40粒くらい買えます。1年に2粒必要なのでこれで20人分です。
一人の人が大きな力で協力するよりも、多くの人の小さな力が集まる方がずっと続くのです。
「感謝されたい」というような気持ちではなくて、世界中の人々が幸せになることを自分も幸せだと感じられる人が増えてほしいと思います。
私たちは、たまたま日本という国に生まれただけなのです。事実上「日本からOO国への援助」であっても、心の中では「友好的なパートナー」という気持ちを持って信頼しあえる関係になれたらそれは素晴らしいことだと思います。
無理をする必要はありません。日本人だってみんな生きるためにがんばっているんです。
子育てで精一杯かもしれないし、毎日毎日残業で休む暇も遊ぶ暇もないかもしれません。
ただ、ちょっと周りについて考えてみる機会があれば考えてみてください。そして、無理のない程度に自分にできることがないか、探してみてください。
たとえば、このお話を誰かに伝えるということだけでもいいのです。知ることからすべては始まると思います。テレビは視聴率の取れる番組を作ろうとします。だから、「知るべきこと」を伝えてくれるわけではありません。でも、今はさまざまなところから情報を得ることができます。関心を持てば、目に付くものも変わります。
私も、今の自分ができることをしているだけです。1年後2年後はどのような活動をしているかわかりません。ただ、関心を持ってその時できることをしていこうと思います。
これを読んで、少しでもみなさんの心の中に何かが生まれてくださればと思います。
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あれは、私が寝てた毛布🤣🤣